神秘の探求
大正一二年(一九二三年)関東大震災の後、ふたたび大本の信仰に戻った教祖は、それから大正一五年(昭和元年・一九二六年)までの三か年間、人知では計り知れない神秘の世界を探求する意欲に燃えて、大本の書物、ことに『お筆先』を熟 …
神声
大本開祖の『お筆先』の研鑚と、さらにはまた身辺に生起する神秘的な出来事を通じて、神霊世界に対する目は急速に開かれていった。そして、目に見えぎる神秘な世界、霊界についての認識が深まれば深まるほど、心中には、神事に立ち向か …
見真実
この啓示を境にして、霊界研究の歩みは大きな転回点を迎えた。それまで書物を中心に続けられてきた探究から、霊的な力によって人々の悩みを救い、幸福へと導く、救いの業の在り方、すなわち、具体的救済法の確立という実践面へと進展し …
相次ぐ神秘
昭和元年(一九二六年)の神の啓示から二年余を経た昭和四年(一九二九年)四月一四日、教祖は大本の春季大祭に参拝するため、京都府の綾部、亀岡におもむいた。一四、一五日の両日、参拝があり、その翌一六日のことである。出口王仁三 …
神霊研究に没頭
見真実の境地に到達した後にも、霊界の研究は続けられた。それは、神秘を解き明かし、謎を追求しょうとする単なる知的欲求からなされたものではなかった。霊界が、より根源的な世界として、目に見える現実世界を動かしているからには、 …
文芸活動
教祖がふたたび大本に戻った大正一二年(一九二三年)ごろ、大本では、神業の一つとして、文芸活動が盛んであった。昭和二年(一九二七年)には明光社という文芸社をつくり、和歌や 冠句の月刊誌『明光』が発刊された。教祖はさっそく …
東京布教
大本には「宣伝使」という布教上の資格があり、さらにその資格の中にも、階級の別があった。大本に戻った教祖は昭和二年(一九二七年)東京愛信会の明光支社・主任となり、翌三年(一九二八年)四月には准宣伝使、同七月には正宣伝使と …
神の証し
昭和五年(一九三〇年)は、日本の社会が長い不況の幕開けを迎えた多難な年であった。昭和四年(一九二九年)一一月の、アメリカ・ニューヨーク市の金融市場の中心地であるウォール街で起こった株の大暴落は、当時の人々の記憶に生々し …
神業専一
すでに昭和二、三年(一九二七、八年)ごろから教祖は福本金蔵、長島孝の両番頭に岡田商店の経営、販売の実務を大方任していたが、昭和六年(一九三一年)の一月二一日には、両人に店の営業権を譲る話をし、二月五日には、引き渡し条件 …