美術の学び
教祖の美術品蒐集は、実業家時代にさかのぼる。すでに少年のころから美術を愛し、一度は画家を志したこともあったほどであるから、生活に余裕ができるにつれて、気に入った美術品を少しずつ買い求めたのである。 旭ダイヤが飛ぶよう …
出入りの美術商
そのころ、教祖のもとに出入りしていた美術商は数多くあったが、その中には水戸幸・吉田孝太郎、雅陶堂・瀬津伊之肋、飛来堂・山岡鉎兵衛、龍泉堂・繭山順吉ち、壺中居広田不孤斎の代理の横井周三など、業界を代表する錚々たる顔ぶれが …
蒐集の苦労
しかし教祖は、経済的に余裕があり余る中で美術品の購入を進めたわけではなかった。美術館の建設をはじめ、箱根、熱海の造営が進捗し、資金は常に不足しがちであった。したがって、いつも先方の言い値で美術品の購入をしたというわけで …
美術品の集まる理由
前節に述べた「湯女図」入手について、ある美術商は、 「天下に喧伝される『湯女』は、三井の大番頭として有名な団氏(団琢磨)の所蔵品で、どう推測しても手放すはずがないと思っていたものまで、教祖様の所に引き寄せられたのです …
海外流出を防止
周知のように、第二次世界大戦直後の日本は敗戦という未曽有の出来事に直面し、大変な混乱の時期が続いた。貴族、財閥、地主などいわゆる特権階級が一挙に転落したのもその一つであった。当時、激しいインフレの嵐が国中を吹き荒れ、そ …
建設
箱根神仙郷の一隅、観山亭の上に、教祖が「鳥の家」と名付けた、藁葺の小さな田舎家があった。かつて日本公園時代の貸し別荘の一つであったのを、面会に来る信者の休憩所として数年の間使っていたものである。しかし、昭和二三年(一九 …
開館
美術館の建物は、六月一〇日に完成した。そしてその日から陳列ケースが搬入され、美術品の陳列は、翌日の一一日から始められた。教祖はその間、終日、館内に在って美術品を並べ、説明カードの位置にいたるまで気を配りながら指揮をとっ …
一変した社会の目
美術館の完成を機として、社会の教団に対する考え方は一変した感がある。美術館の開館は多くの新聞紙上に報道され、異色の美術活動として世間の注目を集めるにいたった。教祖が説くように、宗教と芸術は歴史的に見てもその使命からいっ …
内外の識者
開館後、箱根美術館を多くの人々が訪れた。その中には、国立博物館長・浅野長武、美術工芸研究家の柳宗悦、洋画家の梅原竜三郎、阪急電鉄の創始者・小林一三、元皇族で陸軍中将だった賀陽恒憲、文化財研究所長・田中一松、文化財保護委 …