「大日本観音合」発会
昭和九年(一九三四年)九月一五日を期して、新たな道を歩み始めた教祖は、神の経綸により、世の中に向かって神示の教えを獅子吼(ひるむことなく正道を堂々と述べ伝えること)するべき時が目前に迫っていることを感得した。そして、ま …
獅子吼
東方の光といへど観音の救世の光の事にあるらむ 東方の光はいよよ拡ごりてやがて照らさん西の涯しに 主の神の真の救ひは弥果てに出づる東方の光なりけり 救世救人の門出の日、昭和一〇年(一九三五年)の元旦、「大日本観音会」 …
観世音菩薩と光の玉
教祖が観世音菩薩を祭神として、大日本観音会の名のもとに立教を宣言するにいたった背後には、観世音菩薩との深い因縁に目覚めていく、ひたむきな歩みがあった。昭和元年(一九二六年)以来、観世音菩薩の霊身は、常に教祖に付き添い、 …
機関紙の刊行
昭和一〇年(一九三五年)一月、「大日本観音会」が発足して以来、多忙な日を送っていた教祖は、新教団の誕生とともに機関紙として定期の新聞と雑誌を刊行した。東方の光を掲げて光明世界建設のために立ち上がった神命にちなんで、新聞 …
自観荘進出
立教後の教線の発展は目覚ましいものがあった。すでに触れたように、発会式の参拝者は一五〇名ほどであったが、それから四か月後の五月一日、教祖は立教後初めての春季大祭を挙行したのである。この時の参拝者は二百余人を数え、仮本部 …
『日本医術講義録』発刊と講習
教祖は、「大日本観音会」という宗教的な名前で発足し活動を開始したが、応神堂に進出して以来続けてきた治病法、すなわち、岡田式神霊指圧療法の施術にみずからあたり、神霊による癒しの業としてそれを積極的に進めていた。しかもその …
お守りの揮毫
白紙へ墨もて書きし文字さへも光を放つ観音力かも 一つ一つの文字の力に世の人の生命を救う奇しき神業 すでに記したように昭和一〇年(一九三五年)五月五日を期して浄霊は教祖が紙片に書いた文字を介して行なわれることにな …
観音講座
教祖は「大日本観音会」を立教し、この地上に天国を創造しようと神命のままに立ち上がったが、この理想を実現するにあたってその両輪となるものは、神与の救済力と、神から知らされた真理であると確信していた。そして神与の救済力を、 …