第2章 明主の教養 

一 新しい宗教家

 十七歳、美しい妃をむかえてこれをかえりみず、釈迦の日暮れての院想。十九歳、華子をすて玉城をでて、 尼連禅河の六年の苦行を経て、菩碍樹下の端生息惟からたちあがった前には、衆生済度の祈願がこめられていた。  ヨルダン河の東 …

二 映画

 私が映画の好きなことは私を知るかぎりの人はみんな知っている。忘れもしない私が映画を観はじめたのは十六七の時(明治三〇・三一年)だから、今から五十年ぐらい前で、まず最古のファンといえよう。その頃が映画が日本へ入った最初で …

三 演劇

 昔から世の中には多くの名人がでているが、名人になるには実に容易なものでないことは、名人なるものがまことに少いという事実によっても明かであろう。私は常にこう思っている。ある意味で名人が人類に対する功績はすこぶる大きなもの …

四 浪曲

 俳優以外の名人について語りたい人は二三に止まらないが、私は若い時から浪曲が非常に好きであったからここに書いてみよう。私の浪曲好きは関東節にかぎるので、今もて関西節に興味はもてない。したがって、関東節を主としてかくのであ …

五 音曲・講談・落語

 音曲についても少し書いてみよう。音曲といえば、以前大阪では浄瑠璃といい、東京では義太夫という、それが王座を占めていたことは衆知のことで、忘れもしない大正の初め頃かの有名な豊竹呂昇が大阪から毎月のように来ては、その頃の有 …

六 尾形光琳

私は若い頃から絵が非常に好きであった。そうして古今を通じて私の一番好きな画家は、なんといってもかの光琳である。光琳派のなかでは光悦も宗達も光甫も乾山も、それぞれよいところはあるが、なんといっても光琳は断然傑出している。彼 …

七 美術

 絵  画  日本美術を語るにあたつて、絵画彫刻と美術工芸とを分けて書いてみよう。  まず日本画であるが、日本画の現在は危機に臨んでいるといってもよかろう。事実、容易ならぬ事態に直面していることは、斯道に関心を持つものの …