景仰

新年には必ず凧を揚げる

夜に入りて 雨となりにつ初春の のどけさに昏て歌集ひもとく 子供等に 凧あげやると春の日を 大屋根にのぼり夫は楽しげ  このお歌は、昭和七年正月、二代様がお詠みになられたものです。  新年にはいつも、二代様は明主様をお誘 …

衆とともに楽しむ

 戦時中のことですが、明主様は、お正月などはご家族の方や、奉仕者ともども一緒になって、カルタもなさいました。実に楽しそうでした。また、奉仕者は暇を見つけてはピンポンをよくやりましたが、時々明主様もおいでになって見ておられ …

困っている人を助ける

 明主様は、若い時から人に迷惑をかけることが大きらいでした。  それで、いつもおっしゃっていたことは、『自分がいまに出世したならば、私はどんどん困っている人を助け、社会に迷惑をかける人をなくしたい。私はいつでもそのことが …

何事も投げやりにしない

 明主様は、たいへんな凝り性でした。明主様だけでなく、ここの方はみんなそういうところがありました。また手先の器用なところもありまして、よく『あまり器用貧乏でいけないんだ』なんて言っておられました。ですから、なんでもいい加 …

絶対の平和論者

 明主様は刀剣を見ることを非常にきらわれ、博物館などへ行かれても、刀剣の陳列部など横を向いて通られました。なぜだろうと思ったところ、『背筋に寒けを感じるのだ』と伺って、理屈ではなく、本能的というところまで争いをきらわれた …

愚痴や陰気はきらい

 明主様のお人柄──それは徹底的に陰気なことがおきらいでいらしたことです。いつも、私にも奉仕の人たちにもおっしゃることですが、たまには、私など考えごとをしていて自分では気がつかないのですが、不景気な顔をしている時があるの …

『わたしだって人間だよ』

 明主様というお方は、万事にこだわりがなく、カラッとしておられ、たとえば、「私どもには、それは出来ません」と申し上げたような場合、明主様は、『わたしだって人間だよ。わたしのやっていることを、あんたたちに出来ないことはない …

きれいな感じのする人

 私がまだ入信前のこと、友人が宝山荘(明主様のお屋敷)に御奉仕に上がるというので、私は一緒に子供をつれて、はじめて宝山荘をお訪ねしました。  宝山荘へ着いてお手洗に行くと、ひとりの年配の男の人が、『どうぞ』といって、私を …

後悔を先に立てよ

 年末になるとよく思い出すことですが、明主様は普通人があくせくする歳の暮でも、ほとんど平常とお変わりになるところはありませんでした。一年中の片づけも新年のご用意も、たいてい三十日までには終わられます。それも、数時間も費や …

几帳面でグズが大きらい

 お若い時の明主様は人と変わったところがあったと言われますが、具体的に申し上げますと、几帳面なども、その一面でしょう。  たとえば、手拭きなどを使われても、あとを決していい加減には乾かされませんでした。チャンと揃えて乾さ …