千里眼
昭和二十七年のこと、「エンズイコッテイルジョウレイニコイ」という電報を明主様からいただきました。延髄えんずいと肩の凝っているのを自覚してはいましたが、ここ一か月以上もお屋敷へ伺ってっていないのに、なぜ凝っているのをご存 …
生きかえる牡丹
たしか昭和十五年六月の御面会日だったと記憶していますし そのころ、明主様は玉川宝山荘にお住いになっておられましたが、その日、私は御面会をいただくべく朝早くお屋敷へ伺いました。時間が早くて、他の人はだれも来ておりませんで …
霊光を発する凧
昭和九年一月四日のことです。明主様はご治療を終えられ、お庭に出られて、凧をお上げになられました。 達磨の絵の大きな凧でしたが、明主様は盛んに凧の糸を繰り出されておられます。 ふと私はその凧を仰ぎ見ますと、なんという …
お光の籠った杖
昭和十一、二年ごろ、明主様は、お弟子たち数人が経営の任に当たっていた、岐阜県下呂町の鉱山へおいでになったことがあります。明主様は、麓の鉱山事務所に予め用意してあった杖をついて登山されましたが、その杖はご下山の後、事務所 …
救世会館に映った太陽
昭和二十九年十二月二十三日、明主様御生誕祭に、私は本部員としてお使いいただきましたが、当日、目のあたりに見させていただきました、ひとつのことを書きたいと思います。 私は当日、会場係をさせていただくことになっておりまし …
生きておられる絵姿の観音様
昔、明主様が観音様をおかきになる時、最も不思議に感じましたのは、お顔をお書き上げになると同時に、お顔の部分だけが際立って白く変色することでした。 大森時代、出入りの表具屋が表装中、同業者のひとりが訪ねて来て、そのお顔 …
神人のあかし
私は昭和十年、大日本観音会ご創立当時、ちょっと風変わりな、一老信者の体験談をよく聞いたものでありました。この人には以来十五、六年も遇いませんが、このあいだ、共立講堂の講演会(昭和二十五年五月)の聴衆の中に手をひかれて来 …
魂の目を開かれた白光
昭和十八年二月、私は目の病も治って、初めて東山荘で明主様にお目にかかりました。お座敷でお待ちしていますと、しばらくして明主様がおいでになりました。そのとき、私は非常に大きなショックを受けたのです。 私は入口近くにすわ …
大願を持たれた神人
昭和二十七年の秋、明主様が奈良にお越しになられる時のことでしたが、関西在住の教会長が、奈良春日野支部長の案内で、事前にご巡路の下調べをしていた時でした。 春日神社のご参拝も予定の中にはいっておりましたので、一同が春日 …
龍神のうれし涙
昭和二十九年四月十二日、明主様は関西ご巡教をされて、奈良公会堂でご講話をなさいましたが、その日は明主様の行かれるところ、不思議や必ずその前に雨が降り、あとでカラッと晴れたのです。 明主様は、その日の夕食を奈良ホテルで …