第1節 教団の中枢を担って

一布教師として

法難が始まり、しばらくして總斎はその責任のすべてを負い、教団の役職を辞任した。教団はこの機会に新たな組織に改変した。そのため長年培ってきた「五六七大教会」も解散となった。總斎も教団中枢から外れ閑職となった。總斎は改めて布 …

「宝生教会」の設立

 さて、昭和二十七年になって、總斎は明主様にお願い申し上げ、もう一度、世田谷区上野毛の宝山荘を拠点に布教を開始した。そして、總斎は昭和二十七年七月、明主様から「宝生教会」という名前をいただいた。  さらに總斎は明主様から …