第3章 渋井總斎の晩年

明主様、箱根へ──宝山荘の新しい主・渋井總斎

「私の代わりはあなたしかいないのだから、あとはよろしくお願いしますよ」  明主様のお言葉はただそれだけだった。 「それじゃあ、よろしく」  とお言葉をかけ、部屋を出て行かれた。  總斎はそれを聞いて肚が決まった。  今ま …

宝山荘での御用

 これほど明主様の御用を忠実に務めている總斎だったが、「私は昭和十三年に明主様の直弟子の末席に名を連ねるようになったいわば新参者である。諸先輩の中には、当然自分が明主様に代わって宝山荘での御用を務めさせていただくものと思 …

「日本浄化療法普及会」

 戦時下、思想統制の名のもとに、明主様は要注意人物、危険分子として執拗に警察などから監視されていた。宝山荘ではもちろんのこと、東京から箱根、熱海と転居すると、地元警察が早々に内偵を始めた。明主様はそういった警察の監視のも …

「日本観音教団」発足  

 昭和二十二(一九四七)年十一月十一日、この日、宝山荘で宗教法人「日本観音教団」の発会式が盛大に行なわれた。「日本浄化療法普及会」を解散し、新たに「世界協和会」の名をもって発足。その後、さらに本来の宗教形態に戻すために教 …

「日本五六七教会」

「日本観音教団」が設立されて約一年後の昭和二十三年十月三十日、組織の一つである「五六七会」が宗教法人「日本五六七教会」として独立することになった。このことにより「日本観音教団」は宝山荘に置かれていた教団本部を熱海別院(熱 …

陰徳の御用(法難前夜)

「それは明主様に対し誠に申しわけないことだから、全部私の方に課税するように査察官にお願いしてください。神田さん、このことはあなた一人の胸におさめて決して公言しないように。いいですね」 「しかし渋井先生、それでは先生一人が …

「世界メシヤ教」

 昭和二十五(一九五○)年二月四日、立春のこの日は本教にとって歴史上重要な日となった。「日本観音教団」が創設されて二年半、この間「日本五六七教」が独立し、陰陽二つの独立組織が御神業実現のために補い合いながら発展してきた。 …

熱海の大火

 總斎は「日本浄化療法普及会」「日本観音教団」「日本五六七教」、そして「世界メシヤ教」と続く教団の成長とともに、教団の責任者として忙しい日々を送っていた。組織の名称や形態は変わっても、明主様の御用をさせていただくという姿 …

法難

 先に述べたことでも明らかなように、「世界救世教」に対するいわれなき世俗の疑いは、その頃強大となりつつあったマスコミの影響によって増すばかりであった。それは昭和二十五年五月八日に起こった法難事件で頂点に達したのである。 …

判決

 明主様及び總斎、井上、金子に対する起訴が決まったのは、昭和二十五年七月十二日であった。裁判は同年十月十一日に、静岡地方裁判所において開廷された。これから二年二ヵ月、四十一回にわたる長い公判が開かれていく。結審は昭和二十 …