七 花の天国

 熱海桃山の瑞雲郷は、高さおよそ百米、熱海駅から教丁ぐらいで、徒歩で十五分、自動車で五分ぐらいのところにある。山腹にあって、展望台から望めば、南に相模湾を俯瞰する。花園の下方に熱海全市を、右に錦ケ浦から伊豆の島山が見え、正面に初島から遠く大島の御神火を見る。左に舞鶴岬から三浦半島が見渡される。すべてが半円一望のなかにある。

 宗教的建造物として、世界に有名なものは、古いところではギリシャのパンテオン、近世ではローマのヴァチカン宮殿、英国のウエストミンスター寺院がある。そして日本では日光の東照宮であろう。それらにくらべれば、瑞雲郷は金のかかり方は何百分の一にも足りない。しかし、眺望する四周の山水美、周囲の景観、その構想においては、世界に匹敵するものはないであろう。

 瑞雲郷三万坪に、明主は光琳風の大曼陀羅を描いたのである。ここは晴々台、景観台、石雲台の三段に区分される。晴々台の救世<メシヤ>会館は、コルビュジェ式を加味した鉄筋コンクリート造りである。フランスのコルビュジェ様式は、最も近代的様式で、現在世界を風靡しつつあるものである。明主はそれをとりいれて、さらに一層、新しい様式に設計した。全部白堊で、極端に簡素なデザインである。しかもコルビュジェ式は日本の茶室建築からうまれたものという。敷地面積は一千二百坪、総建坪は九百八十九坪二合五勺である。地下四十八坪七合五勺、一階六百九十七坪五合、二階三百四十三坪である。収容人員は約三千名である。(座席は二千五十名、その他補助席は九百五十名である。)宗教行事のほか、映画・演劇・舞踊・芸能などに用いる。

 正面舞台の奥に一段たかい床をつくり、主神の神霊を奉斎してある。その前が檜舞台で、さらにその前にセリ上げのできるエレベーター式オーケストラボックスとエレベーター式マイクロフォンを備えてある。舞台のカーテンには正面の緞帳幕<どんちょう>をはじめ何段にもなり、両側には袖幕をつけてある。すべて電気仕掛で、ボタン一つ押せば開閉自在である。舞台照明もボタンを押せば、五彩の色に変化する。舞台にむかつて両側には、スポット・ライトの設備がある。

 会館二階の奥に映写設備として、ウニスターン発声装置をもつ。また場内アナウンスの拡声装置もある。さらに排換気、暖冷房の装置があって至れり尽くせりの設備である。

 全く明るい近代的な宗教的会館で、現在までこのような新しい様式のものをみない。実に本邦唯一のものである。舞台にむかつて、左側廊下の扉の外には、相模湾が眺望される。グリーンの座席は清潔で美しい。外観は山上に高くたつ自堊の殿堂で、熱海市の随所から仰ぎみることができる。

 附属建物には会館の前を一段下つて、鉄筋コンクリート造り、約五十坪の荷物預り所を建築する予定である。会館西側の一段おりたところに、約四十五坪の電気室があり、八十キロのディーゼル自家発電機を備えてある。

 会館下の広場におりるには、大石垣に沿つて自動車道路ができている。広場の一隅には休憩所(約一千坪)をつくる予定になっている。

 つぎに第二に「景観台」である。その庭園は自然美と人工美とを調和一体化したのが特色である。特に光琳派の曲線美を造園化していて優艶である。曲線美をかくも大きく用いると、単調になりがちであり、曲線と曲線の配合にまとまりのない、間のぬけたところを生じがちであるのに、よく集約してゆったりと大様にひきしめ、少しの破綻もないのは、さすが、美術的感覚の新鮮にして鋭敏な明主の構想である。

 下から眺めると背後の山は高く、水晶殿の半円が自堊の曲線を描き、その下に曲線のつつじの花園があり、左右の曲線の起伏に照応して美しい。前面南の相模湾の大観、光琳好みの群青の海を抱き、蟠踞せる光琳の老梅、桜の老樹、枝を低くはわせたつつじの老木を配してある。これは雄渾なる天然の光琳屏風である。光琳の絵を自然のなかに描いたものである。かくも放胆に自在に、美の大曼陀羅を三万坪の自然の中に描いたのは神技の筆である。光琳の絵を大地の上に再現して美の天国をつくり、この大絵画の中に信徒衆生を抱擁するのであるから、その構想の雄大なること、絶後とはいわないが、空前といわなければならない。あえて絶後といわないのは、明主の構想はこれは単なる模型であつて、これを世界の上に描いてみようとするところにあるからだ。これは将来、構想される新しい世界の設計図にすぎない。そして仏教の曼陀羅のように、死後彼岸の極楽浄土の再現ではなく、現世の世界の上に描こうとする世界大の地上天国の下図である。

 光琳の優艶な曲線は幸福と平和の象徴である。人は美の中に生活するとき、法悦の人生をもつことができる。幸福と平和の曲線の美しさは清浄であり、そこには病貧争の三大苦は浄化解消して、真善美一如になる境である。これは光琳の地上天国への新生である。日本独創の美は、ここに美の天国を実現したのである。

 実に偉大である。古往今来、洋の東西を問わず、いかなる大芸術家が、これほど雄大な構想をもって、現実の大絵画を描きえたであろうか。実に雄渾である。いかなる大宗教家が、かくも豊かなる美の天国を実現しえたであろうか。釈迦の説く浄土の曼陀羅は、あの世の姿であり、生死の彼岸の高い霊界のありさまであり、いわば宗教的幻想の世界である。キリストは「天国は近づけり」といったが、それは遠い未来の平和の世界を暗示したにすぎない。ダンテの「神曲」の世界は中世的な、かつ詩的幻想にすぎないではないか。現実の大地の上に、現世の美の天国を描いてみせ、世界の人はかかる美の天国に住むべきであり、また住むようになるのであると、永遠の筆を振るつたのである。

 主神エホバの名は讃うべきかな、新しき創造主、明主の名は賞むべきかな。

 水晶殿を高く仰ぐ「梅の園」には、光琳の「紅白梅図屏風」(美術館所蔵)にあるような樹齢百年をこえる白梅の老樹に紅梅を随所に点在してある。その数三百六十本という。

 梅園の上、水晶殿の下に光琳の曲線を描く斜面の丘陵が「つつじが丘」である約一千五百坪の段丘一面に、光琳のつつじの老樹が地にはうように植えてある。その種類は三十有余、その数は三千六百本を密に植え込み花ひらけばたちまちに天国の花園を現前し、花の天国を現出する。

 明主はいう。「三万坪の起伏ある庭園に、梅、桜、躑躅<つつじ>の花樹に、緑樹をまじえて植えてある。その他、百花の花壇なども作る準備をしている。春ともなれば、目も綾なす美観はもとより、遙か相模湾一帯の景観をも眺めるのであるから、理想的な一大楽園といつても過言ではあるまい。しかも地上天国の位置は熱海随一であり、さらに錦上花をそえるために、典型的な美術館をもつくるのであるから、完成の曉は、恐らく内外人の憧憬<あこがれ>の的<まと>となるであろう。したがつて、何人も一度この天国に遊ぶや、夢の国に遊ぶ心地がして、この世の空気に汚れきつた心魂を洗い清め、かわき切つた魂にもうるおいを生じ、生き生きとして、仕事の上にも能率があがるのはもちろんのことである。そして自然に道義心も向上するわけだから、社会人心に寄与する効果は、なみなみならぬものがあろう」と。

 右の百花の園の構想はこうであった。紅白の老梅、吉野桜に八重桜。大躑躅のほかに、沈丁花、薔薇、ライラック、藤、山吹に椿などの灌木をはじめ、チューリップ、ヒヤシンス、水仙、春菊、アネモネ、パンジー、カーネーション、シクラメンなどの草花で、いずれも春咲きのもののみを植えるのである。春は花咲く時、ここにのぼれば百花繚乱、花の天国、夢の国、美の法悦に、恍惚と魂は浄化されるであろうと。

 景観台の庭園の中心は「水晶殿」である。鉄筋コンクリート造りで、紙面積百三十坪、ホール面積約六十三坪、半径三十六尺である。熱海、相模湾の風光明婚を眼下一望に収めえて、間然するところなき展望台に、円 形の自重の殿堂を築く。前方半円形二日八十皮)にひろけられた窓ほ、水晶にまごうアグリーライト(合成樹 脂、三菱レーヨン社製)張りとし、名づけて水晶殿という。三両玲璃とひらけて、あたかも水晶宮にある思い がする。

 室内の壁は白色仕上げ、腰はイグリー産の赤大理石を使用し、床に真紅の絨毯をしきつめ、排換気、電気暖房などの設備がある。さらに音楽堂としても使用しうるよう、音響効果も考慮されている。そしてこの特異な設計様式は建築界の新しい話題になっている。

 ここにあって遙かな思いにふければ、人の世の汚れをぬぐいさって、病貧争の憂いなく、身は水晶のようにすきとおる心地がする。神の国にけがれなく、永遠の平和と恒久の幸福にひたる。ここに人は神のごとく、花の園の美しさに酔う。すべての人の世の営みに、楽しみの湧く思いがするであろう。

 第三に石雲台である。つつじが丘の下方一帯を石雲台と名づけ、四囲に適当な樹木を配してある。左右の松林の中間を三つの円山をもって成形し、桜樹約百本を植える予定である。ここに美術館をたてるために、敷地約八百坪を整地し、目下工事中であるが、総建坪約五百坪で、一、二階は各二百坪ぐらいの展示室とし、三階に特別室をつくる予定になつている。なおそのほかに、美術館の玄関のところから、松林のなかを縫つて、水晶殿への登り道に達する自道車道路が計画されている。

 明主の地上天国の構想は、箱根強羅の神仙郷と熱海桃山の瑞雲郷にとどまらない。さらに京都嵯峨の平安郷もそのなかにあった。構想心は伸びる。いま一つ熱海西南の梅園の奥、数丁のところに、約四万坪の土地をえらんで、瑞泉郷と名づけ、中国の桃源郷を思わせるような、地上天国の模型をもつくりつつあつたのである。

 その地形は神祕で、景勝の地である。灌木や八重葎<やえむぐら>の生い茂る地帯をきりひらいてみると、それまではただ水の音だけがきこえていた溪流が、眼の前に姿をあらわしたのである。そのすばらしさ、奇巖怪石がいたるところに折り重っている。そのあいだをぬうように、残すじものせせらぎがながれ、ところどころに大小の瀑布が落ちていて、さながら深山幽谷にわけいつたような心地がする。杖をひき石を飛びこえ、小橋をわたつてゆくなど、時の移るをおぼえないほどで、熱海の近郊にこのような幽境があろうとは、たれが思うであろう。

 明主はこの幽境の溪流を名づけて、青嵐峽<せいらんきょう>といい、また熱海耶馬溪<やばけい>ともいった。しかも溪流をはさんで、奇巖怪石の上には枝ぶりのよい楓紅葉が茂りあい、ところどころに竹林があり、苔さびた山の木々もほどよく点綴されて、青嵐ふかきところ、山気身にしみ、佳景寂莫として、心魂あらわれ、塵外仙境にあそぶ思いがする。樹蔭からとうとうと落ちる滝がある。名づけて「竜頭の滝」と呼ぶ。この仙境から数丁のところに、繋華な熱海市があろうとは、たれが想像しよう。

 さればここをひらいて、日本式の庭園、洋風の花壇、中国の景観、桜並木、梅花の丘、躑躅山、牡丹園、菖蒲畠、藤棚など、やがて花の天国はここにもつくられるであろう。そして熱海の旅客ここに杖をひき、将来、よき名所ともなるであろう。

 明主の思いはこの桃源郷にかよい、あるいは京都の嵯峨、広沢池畔の名月にたたずむことであろう。その天国の構想を地上に、つぎつぎと実現していつた明主の心にのこるものは、なおはてしなき夢の里、花の夢であったであろう。この地上を花の天国たらしめよ。さらば地上は光ある大地となるであろう。

 明主の尊敬した宗教芸術家に聖徳太子がある。そのいかるがの里の法隆寺は、今に千三百年の法燈をつたえて、堂塔伽藍、荘厳に遺存する。これぞ古代の地上天国であったと、明主はいう。最も朽ちはてやすい、もろいはずの木造建築が、かくも世界最古のものとして、千数百年の星霜にたえてきたのはなぜであろう。それは芸術の永遠性にもよるであろうが、しかし、その朽廃からまもりつづけてきた、なにものかがなければならない。その内陣には太子在世の日から、たやすことなくもえつづける不滅の法燈があるという。またその日からかかすことなく、唯識論の講?がつづけられてきたという。法隆寺の五重の塔をささえてきたもの、それはこのふかい信仰と愛ではなかったろうか。この信仰と愛がうすれるとき、金堂の失火のごときも、おこるのではなかろうか。この信仰と愛の失われるとき、金閣寺も焼けほろびるのではなかろうか。人の心に信仰と愛を、人の心に真実と誠実を恢復しなければならない。それがこの世の地上天国をつくり、それをささえるものであるからだ。

 太子の悲願は十六条の憲法にみるように、日本に地上天国を、であつた。明主の構想は大地の上に描いた大曼陀羅にみるように、世界にあまねく地上天国を! である。