第六章 祓戸四柱の神のお働きのこと

 高山<*1たかやま>の未短山<すえひきやま>の末<すえ>より佐久那太理<*2さくなだり>に落<*3お>ち多岐<たぎ>つ速川<はやかわ>の瀬<せ>に坐<ま>す瀬織津比売<*4せおりつひめ>と言<い>ふ神大海原<かみおおうなばら>に持<も>ち出<い>でなむ此<か>く持<も>ち出<い>で往<い>なば荒潮<*5あらしお>の潮<しお>の八百道<やおじ>の八潮道<やしおじ>の潮<しお>の八百会<やおあい>に坐<ま>す速開都比売<*6はやあきつひめ>と言<い>ふ神待<かみも>ち加加呑<かかの>みてむ此<か>く加加呑<かかの>みてば気吹戸<いぶきど>に坐<ま>す気吹戸主<*7いぶきどぬし>と言<い>ふ神根国底国<かみねのくにそこのくに>に気吹<いぶ>き放<はな>ちてむ此<か>く気吹<いぶ>さ放<はな>ちてば根国底国<ねのくにそこのくに>に坐<ま>す速佐須良比売<*8はやさすらひめ>と言<い>ふ神持<かみも>ち佐須良<さすら>ひ失<うしな>ひてむ

   大意

 このように祓い清めてくださった罪穢をば、さらに高い山々、低い山々の頂上から、水が勢よく流れ落ち、奔騰<たぎ>りたち、さかまいている激流の浅瀬においでになる瀬織津比売という神様が、大海原の方まで押し流されるであろう。するとつぎには渺茫<ぴようぼう>たる大海洋上を走っている、幾筋もの潮の流れが寄り集まって渦巻<うずま>いているところにおいでになる、速開都比売という神様が、その罪穢をガブガブと海底へ呑みこみ、巻きこまれるであろう。このように、海底深くまきこまれた罪穢を、気吹戸主という神様が──この神様は海底から地底の根の国、底の国に通ずる門戸においでになるはげしい息吹きで、根底の国に吹き払われるであろう。そうすると、根底の国におられる、速佐須良比売という神様が、すばやくそれを一切無に帰するように、どことも知れず捨て去ってくださるのである。

*1本章について
  この章は、祓戸四柱の神々の御名をあげ、その神々が、罪穢をつぎつぎと浄められてゆく情景を、擬人的表現をもって格調高く、しかも韻律的に、また、躍動的に記述している。まことに古代日本文学の代 表的名文と申すべきであり、言霊の働きもまた、至大絶妙<しだ いぜつみよう>なるものがあろうと考えられるのである。
         
*2佐久那太理<さくなだり>
 
  水が山からまっさかさまに、垂直にはげしく流れ落ちる形容  である。
*3落ち多岐<たぎ>つ
  
 水が落下してさかまき奔流する形容である。

*4瀬織津比売神<せおりつひめのかみ>
  ご神名の「瀬織り」について、「瀬下り」で水流をあらわし、または、浅瀬の水の波紋が綾を織りなすように見えるところ、という説もある。その川の浅瀬に坐します神であると言われているが、罪穢を海に押し流すお働きとして、その流れで浅瀬の石が磨かれるように、お互いに磨き合いとぎすます神の お徳ということに留意すべきではないだろうか。

*5荒潮の潮の八百道<やおじ>の……
 
 海洋上のいくつかの潮流があちこちから流れ押しよせて、ぶつかり合い渦を巻いているところ。

*6速開都比売神<はやあきつひめのかみ>
 
ご神名の「速」は早く迅速という意であり、「開」は大きな口を開いて呑みこむの意で、素早く口を開けて罪穢を呑みこみ、いっさいを清く明らかにされるお働きを称えたものと言われる。
 
信仰とはこの神のごとき大きい度量をもって、相手の失敗をいたずらに責めず咎めず、それを呑みこみ、ゆるしてやるべきである、という寓意もあると思うのである。

*7気吹戸主神

 「気吹戸」とは「気吹門」ということで、この門は地脈の下にあり、海底と根の国、底の国との中間に所在するものと信じられていた。そこを主宰される神が罪穢をさらに地下の根底の国、すなわち、黄泉国に吹き払ってくださるとの意であろう。また、ご神名に見る寓意は、人の息をするその呼吸音に意志が働いて、歯や舌、あごに当たって出るとき言葉になる。つまり、言葉は自分の生命を保つ息に意志が加わって発するものであるか自分の意志が神のお心に叶った正しきものであれば、言葉も美しくなるべきだと教えられているのであろう。

*8速佐須良比売神<はやさすらひめのかみ>

 「速」は言うまでもなく迅速であり、「佐須良比売」は、サスラヒヒメの「ヒ」が二つ重なるところから一字省いたもので、散らし失せしめて、いっさいの罪穢を無にする意であるという。また、ご神名の寓意は、サスラヒはサスル(擦する)を敬語にしたもので、ハ(恥)じるをハ(恥)じらいと言うと同じである。とすればすべての罪穢を摩擦し、磨きあげて、その穢を消し、もとの正しい姿やあり方に浄めるというにあるのではないだろうか。