第五章 神々罪を浄めたもうこと

此<か>く宣<の>らば天<あま>つ神<かみ>は天<あま>の磐門<いわと>を押<お>し披<ひら>きて天<あめ>の八重雲<やえぐも>を伊頭<いず>の千別<ちわ>きに千別<ちわ>きて聞<き>こし食<め>さむ国<くに>つ神<かみ>は高山<*1たかやま>の末短山<すえひきやま>の未<すえ>に上<のぼ>り坐<ま>して高山<たかやま>の伊褒理短山<いほりひきやま>の伊褒理<*2いほり>を掻<か>さ分<わ>けて聞<き>こし食<め>さむ此<か>く聞<き>こし食<め>してば罪<つみ>と言<い>ふ罪<つみ>は在<あ>らじと科戸<*3しなと>の風<かぜ>の天<あめ>の八重雲<やえぐも>を吹<ふ>さ放<はな>つ事<こと>の如<ごと>く朝<あした>の御霧夕<みぎりゆうべ>の御霧<みぎり>を朝風夕風<あさかぜゆうかぜ>の吹<ふ>き払<はろ>ふ事<こと>の如<ごと>く大津辺<*4おおつべ>に居<お>る大船<おおふね>を舳解<へと>き放<はな>ち艫解<ともと>き放<はな>ちて大海原<おおうなばら>に押<お>し放<はな>つ事<こと>の如<ごと>く彼方<おちかた>の繁木<しげき>が本<もと>を焼鎌<*5やきがま>の敏鎌以<とがまも>ちて打<う>ち掃<はろ>ふ事<こと>の如<ごと>く遺<のこ>る罪<つみ>は在<あ>らじと★<はら>へ給<たま>ひ清<きよ>め給<たも>ふ事<こと>を

   大意

 このように奏上すると、天つ神々は、天界の堅牢な門を押し開かれ、天空に幾重にも重なりあっている雲を、勢よく押しわけ押しわけてお聞きくださるであろう。また、国つ神々は高い山や低い山の頂上に登られ、その高い山や低い山に、もやもやと立ちこめている雲や霧をかきわけ、押しのけてお聞きくださるであろう。このようにお聞きくださるならば、天つ神々、国つ神々は、あらゆる罪という罪は、消えてなくなれと、ちょうど強い風が重なり合う密雲を吹き飛ばしてしまうように、また、朝夕立ちこめる霧や霞を、朝夕の風が吹き掃ってしまうように、さらには、大きい港につながれている大きい船の船首のもやい綱や、船尾のとも綱を解き放って、その船を大海に押し出してしまうように、ないしは見渡すかなたに繁茂している木々の根元を、よく焼のはいった鋭利な鎌で、スッパリと切り払ってしまうように、そのように、たくさんの罪穢をひとつも残ることのないまでに、祓い、清めくださるのである。

*1高山の未短山<すえひきやま>の末
 
「高山」「短山」は文字どおり高い山、低い山の意であり「末」は山の頂のことである。

*2伊褒理<いほり>

 「伊褒理」は“気騰<いきのぽり>”を約したものであって、雲や霧などのことである。

*3科戸の風
 
「科戸の風」とは、大空を吹く勢のよい強い風のことである。「シナ」とは、息長──いきの長いということで、志那都比古神<しなとひこのかみ>とは風の神であるよしであるから、その「しな」を指すものであろう。

*4大津辺
 船の碇泊する大きな港ということ。「津」とは昔は港のことであり、いまでも大津、室の津、鞆<とも>の津などの地名が残っている。

*5焼鎌の敏鎌<とがま>
 
火で焼き鍛えた鋭利な鎌、「敏鎌」は利鎌の意である。この章は、罪穢が清められるさまを、いろいろの比喩を用いて描写した格調高い名文と言わねばならない