(五)本教と天津祝詞、神言の関係

 このように、われらは、明主様によって、神のご経綸と人生の真の意義を教えられ、浄霊によって、お互いに浄めあう道を許されたのである。これこそまことに、神の愛し子、神に近づき得た者といえるであろう。かかる人びとが、さらに浄められつつ誠をつくして、「天津祝詞、神言」を奉唱するとき、その言霊ははじめて大いなる力を発揮<はつき>しうるのである。

 本教において、古来からの、このふたつの祝詞を採用した意義も、実にこの点に存するものと確信するのである。

 したがって、いま一度この点を結論すれば、本教信者たるわれわれは、言霊だけにょる浄めのみに期待すべきでなく、また、祈りを忘れた浄霊にのみ頼ることもほんとうではない。誠をこめた天津祝詞、神言の奉唱と、祈りつつ浄霊し合う姿、さらに奉仕実践の三者が一体となったとき、神力は最大に発揮されるであろうことを認識しなければならないのである。

「天津祝詞」は本教創立<そうりつ>当初から奏上していたが、「神言」はそれよりずっと遅れて奉唱するようになった。これは教団が、はじめの間は種々の社会状勢その他によって制約を受け、じゆうぶんに宗教的形態を整え得なかったためで、時至って、ようやく主として神道形式によることになるとともに、二代教主様のお言葉によって、「神言」奉唱が採用されたものである。ついては、これらの「祝詞」の章句の解説をするまえに、まず、ここでわれらは、「神言」をいかに見、いかに受取るべきかを、明主様の御教えから考えてみたいのである。

 明主様は『現代は、何千年目か何万年目かに再びめぐりきた霊界の夜昼転換が、現界に移写されつつある、極<きわ>めて重大な変革期に当たる』と仰せられた。この点を心に潜めて、「神言」を見るとき、本教ならでは気づき得ない新しい見解に想到するのである。

「神言」の冒頭には、皇孫瓊々杵尊様<こうそんににぎのみことさま>が地上に降臨されるくだりが、荘重なる叙事詩として語られている。そして、その経緯を仔細に見るとき、それよりさき神界においては、古事記、日本書紀が伝えるごとく、夜昼転換の大異変があった。光明かげをひそめて常夜の暗にひとしく、万の神々の罵り騒ぐ声はさばえなすごとく、万のわざわいことごとく起こるというありさまであったが、やがて天の岩戸開きの神事によって、天照大神様がご出現になられて、光明世界に転じたという高天原<たかあまはら>──神界における夜昼の転換が、地上に移写されたありさまを物語っているのである。

 すなわち、地上には、荒れまわる神々が騒ぎ、物言わぬ「磐根<、樹根立、草の片葉」までが、ガヤガヤ立ち騒ぐ、物情騒然たる国の真中に、「皇御孫命<すめみまのみこと>」が地上経綸の委任をうけ勢いよく降臨されて、平和国家への大転換をなされるとともに、雄大なる宮殿を建設されたのである。またさらに、かかる物質的建設面の進展とともに、増加する国民に生<しよう>じた多くの罪穢を、祓い浄め抹消し去る神力の発現ということも、強調しているのである。

 それからの永い永い歳月を経て、現代となったが、いまその世相を見るとき、まことに明主様のお言葉のように、その混乱は顕幽両界における夜昼転換のそれを、如実に物語っていると言うべきである。

 明主様が、この非常時に当たって、大神のみよざしのもとに、この世を救う大便命をもって、お生まれになられたこと、数々の御教えと偉大なるご神力をもって、人びとの罪穢を払い浄められつつ、地上天国建設の巨歩を進められたことを考えるとき、

  霊界の転換と現界への移写
  霊主体従、霊体一致と浄化作用
  救世の神力発現と地上天国建設

などという、本教の根本理論のいくつかを包蔵しつつ、太古における大いなる黎明を、流麗重なる言霊の響きにうたいあげている「神言」を、第二の岩戸開きともいうべき現在の世界の転換期に当たって、本教があえて採りあげたということの意義が、よくわかるはずである。

 さらに、「天津祝詞」「神言」の両者を拝唱して感ずることは、前者は罪穢の消滅に対して「禊<みそぎ>」ということに重点を置き、後者は、普通「大祓の祝詞」ともいわれるごとく、「祓<はらい>」の神事に重点を置くようである。果たしてしからば、この両者はまさに車の両輪とも申すべく、これに「浄霊」の神事が加わって、三位一体の本教の浄めは他にその比類のない完成を見るのである。