第三章 地上天国の様相

 応<まさ>に此<これ>紫微実相世界<*1しぴじつそうせかい>にて 迦陵頻迦<*2かりようぴんが>は空に舞ひ 瑞雲天<*3ずいうんてん>に靉<たなび>けば 万華馥郁地<*4ばんかふくいくち>に薫<くん>じ 神殿玉楼聳<*5しんでんぎよくろうそそ>り建ち 救世<*5ぐせ>の神館霞<みやかたかす>みつつ 黄金<こがね>の甍燦燦<いらかさんさん>と 陽に照り映ず光景は 実<げ>にも天国楽土なり

 
 大意

 まことに、このような状態になることを考えると、これこそまったく最奥最高の天国の状態であって、天には、きれいな鳥が鳴きながら飛び交うなかを雲が美しくたなびきわたり、地には、いろいろな花が、とてもよい香りを放ちながら四季それぞれに咲き乱れている。さらに大神様をお祀りする神殿は、雲にそびえたち、街のあちらこちらには、地区、県本部、布教所、また御神体を奉斎している家々が、遠くかすんで見えるまで立ち並び、黄金の甍<いらか>がさんさんと陽光に照り映えている光景は、まことに天国楽土そのものである。

*1紫微実相世界<しぴじつそうせかい>
 紫微とは北斗の北にある星の名で、中国の天文学にては、天帝の居城となる紫微宮のあるところとし、転じては一般に王宮という意味に用いている。
 
 実相は宇宙万有の真実のありさま、つまり、真相を指す。明主様によれば、『紫微の主は、主神、観音様であり、宮殿のあるところを都卒天といい、これは第一天国を仏語で称えたものである。だが第一天国は神様の方ではまだでき  ていなかったので、ほんとうはこれからできるのである。だから、大光明真神様は、やはり、紫微の主である。実相世界はこれからできるのであり、真如がすんでから実相になるのであって、また実相とは法の華の実で、いまやその実をだんだんと備えつつある』という、意味の深いお言葉である。

*2迦陵頻迦<かりようぴんが>
 ヒマラヤ山中にいる美声の鳥といわれ、阿弥陀経には、極楽にいて美しい声で法を説くと記されてある。また、人間の頭をもち、鳥の形をしていると表現するものもあるが、明主様は、『霊界の極楽の絵などによくある金色の尾の長いきれいな鳥で、いい声で鳴くとされている』と教えられている。

*3瑞雲天<ずいうんてん>に靉<たなび>けば
 空に雲が美しくたなびいて、人びとにいかにもめでたきことがあるように感じさせる光景で、瑞雲はまた景雲、慶雲などともいう。その雲のたなびく下の風景がまた絶佳なところでなければならないとされている。

*4万華馥郁地<ばんかふくいくち>に薫<くん>じ
 いろいろの花が、四季とりどりに咲いてよい匂いを放っていること。

*5神殿玉楼<しんでんぎよくろう>……救世<ぐせ>の神館<みやかた>
 大光明真神様を奉斎する神殿を神道祝詞特有の繰り返しで美しく称<とな>えたものとも考えられるが、聳<そそ>り建ち、霞みつつという形容詞から考えるならば、前者は、聖地やその他布教拠点となる大切な地に空高く聳<そぴ>えたつ神殿を指し、後者は、地区、県本部、布教所その他信者家庭において御神体を奉斎している家々が軒を連ねているさまを現わしたものであろう。