一 新しい宗教家

 十七歳、美しい妃をむかえてこれをかえりみず、釈迦の日暮れての院想。十九歳、華子をすて玉城をでて、 尼連禅河の六年の苦行を経て、菩碍樹下の端生息惟からたちあがった前には、衆生済度の祈願がこめられていた。

 ヨルダン河の東、砂漠の予言者ヨハネの洗礼をうけたキリストは、群集と喧騒をあとにして、ひとり砂漠のなかへ入つていった。瞭野の孤独におそいくるサタン(悪魔)をしりぞけて、ふかい瞑想からでてきたときには、天国の福音、人類の愛を説く聖者として、光の中を歩いてきた。

 これが偉大な世界の聖者の映像である。しかるに世界救世教の教祖には、このような宗教家としての瞑想的な映像はない。面壁九年の禅坐の夜ふけて、「思念ならば則ち忘一にして撓まず、想寂ならば則ち気虚にして神朗かなり」散心をはらい、雑念をぬぐい去つた心境に、満月をたかく仰いで、月光胸中を照らすと観じた刹那、豁然として大悟したのは達磨である。鳥?禅師が樹上に坐禅をして、ゆらゆらと居睡りしているところへ訪れた詩人白楽天が、「和尚々々、危いではないか」と驚かすと、「そんなところに立って、大丈夫だと思っているお前の方がもっと危い」と喝せられた。こうした逸話から想像される脱俗的な高僧の通念から、あまりにかけはなれた現実的な宗教家が救世教の教祖である。

 いったい宗教の性格は、その教祖の人となりを反映したものであるが、救世教の教祖とその宗教には、今までにみないような宗教家と、今まで考えてもみなかったような近代的な宗教をみいだすのである。教祖はもと一介の商人にすぎなかったし、学歴も小学校を卒業して、美術学校予備校を半年で退学しただけである。経歴は病苦と事業の失敗とから、信仰生活に入ったものである。その前半生の病苦と事業苦のなかにあっても、決して憂欝や絶望におちいることなく、心境はいつも明朗であった。そのようにこの宗教は明るい。光明をもとめて明朗性があり、現実肯定の現実性がある。

 宗教もまた人類の理想である幸福にして平和な社会を建設するにある。政治や経済は現実の施策でこれを実現しようとするのに対して、宗教は霊魂の救いによってこれを実現しようとする。戦後、人心の動揺と社会の混乱と政治の貧困のなかから、多くの新しい宗教がうまれたのは、古い宗教がすでに時代性や社会性を失っていたからである。神道者は神前の祭祀に終始しているし、仏教者は葬祭を事としているだけだし、キリスト者は福音の伝道とわずかな慈善事業をなすにとどまって、いずれも現代の苦悩の解決と新しい社会の建設には、なんらの積極的な意欲を示さないからである。

 しかし、いわゆる新興宗教のなかには、迷信、狂信、邪教もすくなくない。しかし真実のないものは、いつまでも人の心をとらえてはいないであろう。戦後、人道主義の原理にたつ民主主義の社会が建設されつつある今日、この時代に即応する新しい宗教は、もう過去の現世否定の宗教ではなく、現世肯定の人間的な宗教でなければならない。この意味において、救世教は現代の宗教である。神道は古代の神ながらの道を再現しようとする時代逆行の宗教であり、仏教は現世は苦の娑婆だから、来世には極楽浄土にうまれさせるという未来宗教である。キリスト教は世界の終末を説き、天国の近づくことを祈念するが、この現世の解決は問題にしない。これでは既成宗教に対する社会の関心がうすれ、宗教の社会生活への浸透性が失われるのも無理はない。しかるに救世教は現世の苦悩をのぞき、幸福にして平和な社会を現在に建設しようとする。ここに救世教の現代性と社会性がある。

 つぎに新興宗教の教祖といえば、神懸りの無学の老女などを連想しがちであるが、この教祖はひろいゆたかな文化的教養の持主であり、聰明な常識人である。すなわち詩歌・書道・絵画をよくし、彫刻・建築・造庭・工芸・陶器などの美術工芸にはふかい鑑賞力とするどい批判力をもち、映画・演劇・音曲をはじめ講談・落語などの寄席演芸にいたるまでふかい趣味をもち、哲学・科学・医学の書を愛読し、商業に従事して商業・経済・金融のことを知り、政治・社会・教育についても一箇の見識をもつている。かくひろい教養と鋭い識見をあわせもちながら、しかも酸いも甘いもかみわけた苦労人であり、円満な常識人であり、人間味のゆたかな人であった。こんな教養のひろい教祖というものは、今までみることができなかった。しかも幸福にして平和な天国を地上に、真善美の調和した地上天国の建設という、霊感にみちた構想の雄大なことは、そのゆたかな文化的教養を基礎にしている。ここに今までになかった新しい型の宗教家をみいだすのである。またその救世教に近代性、教養性、文化性、社会性、現実性、光明性などのいちじるしい現代的な特性のあるゆえんである。このような宗教にしてはじめて、現代人の社会生活にはたらきうる宗教であり、かつ生活のなかにありうる宗教である。ここに宗教と生活がはじめてひろくむすぴつくところに、宗教の生活性がうまれてくるのである。

 そこで教祖の文化的教養の一端を知るために、救世教の宗教としての特性を理解するために、新しい型の現代の宗教家の認識をふかめるために、かつ救世教の目標たる地上天国の構想を考案するために、教祖自身の達意明快な文章による映画論・劇評・芸能評・美術論について、その著「自観随談」(昭和二四・八)から抄出してみよう。これらによっただけでも、この教祖が、世の常の宗教家といかに異っているかが理解されるであろう。けだし教祖は宗教人であるとともに、すぐれた文化人であったのである。