今日『聖書』を通覧してみる時最も重要である点は「最後の審判」と「天国は近づけり」と「キリストの再臨」の三つであろう。これを検討する時右の中最後の審判は神が行うのであり、キリストの再臨は、これは天の時到って表われる事で説明の要はないが、ただ天国のみは人間の力で建設するのである。とすればこれは何時の日か誰かが設計者となり建設の実を挙げなければならないのはもちろんである。
右のごとくでありとすれば、その時であるが、われ等の見解によれば時は今であり、そうして建設者は本教である事である。その具体化は已に始まっている。見よその模型を、目下建造しつつある事は本紙に再三発表した通りである。
右のごとく、本教が地上天国を造る事によって、キリストの予言はここに的中するのである、といっても別段誇ろうとするのではない。何となれば『聖書』の予言も、本教がそれを具体化する事も、神エホバが人類愛の御心によって理想世界の建設の為、時に応じて選ばれたる人間を、自由自在に駆使せらるるからである。
右の意味において、現在行いつつある吾等の事業は、既に二千年前聖キリストによって予言せられており、その予言実行の為の使命を課せられた一員としてのわれ等と思うのである。
「地上天国14号」 昭和25年03月20日