前項に説いたごとく、人間の罪が魂の穢れとなり、それが心を介して霊の曇りとなり、それの浄化が病気であるとしたら、その曇りを解消する以外、病を治す方法のあり得ない事は余りにも明かである。ところが西洋においてはヒポクラテス、東洋においてはかの盤古氏が、病人に薬剤又は薬草をのますと、一時的苦痛が緩和されるので、これをよいとして医術の始祖となったのであるから、この時から既に誤謬は発生した訳である。なるほど薬を用いれば、一時的苦痛が減るので、これこそ病を治すべき方法と、単純に考えたもので、その時代の人智の程度としては、無理もなかったのである。それが現在まで続けて来たのであるから、今までの人間の迷蒙さは不思議としか思えないのである。
ところが、私が生れた事によって、この人類の不幸の源泉たる病気が解決される事となったので、全く有難い時が来た訳である。したがってこれによって文明は百八十度の転換となり、理想世界実現となるのはもちろんであろう。
右のごとく、人類は古い時代から薬剤を体内に入れつつ、今日に到ったのであるから、現代人ことごとくは薬剤中毒にかかっている。さきにも述べたごとく、薬剤なるものは有毒物である以上、体内に残存して病原となるにかかわらず、医学は薬毒は自然消滅するように思っているが、これが大変な誤りで、実は薬毒は生命のあらん限り消滅しないのが原則である。これについて私の体験をかいてみよう。私は今から三十六年以前、入歯をする為歯を抜き、その穴へ消毒薬を詰めたところ、歯痛を起し始めたので、それを治すべく又薬を用いたところ、漸次痛みは増すばかりなので、次から次へ有名な歯科医にかかったが、どうしても治らず、ついに二進も三進もゆかなくなってしまった。何しろそれまでに四本の歯を抜いた位であるから、いかにひどかったかが分かるであろう。それでも治らず、しかも薬毒は頭脳までも犯して来たので私は結局発狂か自殺かの運命にまで押詰められてしまったのである。しかるにいまだ我を捨てざるか、ある動機によって薬の為である事が判り、それから歯科医をやめたところ、漸次治って今日に到ったのであるが、驚いた事には今もって少しではあるが痛みが残っており、毎日のように自分で浄霊をしている。これによってみても薬毒は数十年掛っても消滅しない事がよく分かるであろう。
右によっても分るごとく、薬剤は決して消えない事である。ではどういう訳かというと、本来造物主は人間を造るとともに、人間が生きてゆけるだけの食料やその他一切のものを造られておりその為に土壌や海川にその力を付与され、植物鉱物等は元より、空気日月星辰ことごとくがそうである。そうして単に食物といっても一定の条件がある。条件というのは食うべきものと、食うべからざるものとが別けられてある。したがってその必要から人間には味覚を与え、食物には味を含ませてある。又食物の種類も色々あり、ことごとく人間の健康や環境に適合するよう造られている。例えば塩分が必要な時には塩辛い物が食いたくなり、甘味が必要な時は甘味が食べたくなり、水分の必要な場合はのどが渇くというように、自然は必要によって意欲が起るように造られている。それとともに消化機能も一定の条件にかなうように出来ている。すなわち食うべきものはことごとく消化されるが、食うべからざるものは、処理されないで残存する。この理によって薬剤は異物であるから、消化処理されないので、これが古くなると毒素に変化してしまう。その毒素の排除作用が病気であるから、病原はとりも直さず薬剤という事になる。喀痰、鼻汁、汗、膿、毒血などはことごとく薬毒の変化したものであるから、世に薬剤程恐るべきものはないのである。
これを知らなかった人類は、病気を治そうとして病気を作って来た訳である。何と重大誤謬<ごびゅう>を犯して来た事に気がつくであろう。実に世にこれ程な愚な話はあるまい。としたらこの一事だけを人類に知らせるとしたら、いかに大なる救いであるかは、今更贅言<ぜいげん>を要しないであろう。何よりもこの私の説を信じて、専門家諸君は病気と対照してみるがいい。一点の誤りない事を知るであろう。
右によってみても分かるごとく、長い間人類は病気に対する誤った解釈が因となり、病気の解決ところか、逆に病気を作り病気の種類を増やしつつ今日に到ったのである。しかもこの誤謬が貧乏と戦争の原因ともなっているのであるから、何よりもこの蒙をひらかなければ真の文明は生れるはずはないのである。したがって現在の人間は薬毒のない原始時代の人間に比べれば、その健康の劣弱さは比較にはならない程で、無薬時代の人間の寿齢が、百歳以上が普通であった事など、種々の記録や文献等にみても余りに明かである。私はかの武内宿禰の寿齢参百六歳という有名な話は、本当とは思っていなかったが、先年武内家の家系を見たところ、これは確実である事がわかった。武内家の祖先の中、最長寿者は三百四十九歳で、次は三百二十何歳、次は三百十何歳、武内宿禰は確か四番目であったと記憶している。この時代は今から二千年以前から千六、七百年前位にかけてであるから、まだ漢薬の渡来以前であった事は間違いない。又神武天皇から千数百年までは、天皇の寿齢はほとんど百歳以上であった事は記録に明かである。
近来、米国及び日本人の寿齢が、いささか延びたといって喜んでいるが、この原因は医学の進歩の為ではなく、他に原因があり、これは後にかく事にするが、要するに一切の病原は薬毒である事がわかればいいのである。病気の為の痛み、かゆみ、発熱、不快感等すべての苦痛は、ことごとく薬毒が原因である事は、私の多数の経験によるも絶対誤りはない。もちろん遺伝黴毒も、癩病<らいびょう>、天然痘、麻疹、百日咳等の先天的保有毒素もことごとく薬毒である。何よりも現代人で全然無病の人は、恐らく十人に一人もないであろう。どの人をみても何かしらの病気を持っている。数人の家族で病人のない家は、珍しいとされており、一人や二人は一年の内に入院する者のない家庭はほとんどあるまいとともに、一年中一滴の薬を服まない人も稀であろう。この様に現代人は弱体となっているから、病気を恐れる事はなはだしく、この為に要する費用、不安、努力の為に及ぼす影響も、けだし甚大なものがあろう。
したがって、この世界から薬剤ことごとくを海へ投げ捨てたとしたら、その時を期とし病気は漸減し、何十年後には、病なき世界の実現は断言し得るのである。
次に、これから主なる病気について解説してみるが、人体の基本的機能としては、何といっても心臓、肺臓、胃の腑の三つであるから、これから先にかいてみよう。