これはまだ、テレビという便利なものがなかった時の話です。 教祖は常にご身辺に携帯ラジオを置かれておりましたが、それが私には非常に印象的でした。それは舶来のすばらしいデラックスなものでした。といっても、もちろん、現今のトランジスターラジオのような小型のものではありませんでした。
教祖は、このラジオで、まず第一にニュースは欠かさずお聞きになりました。終戦まもないころの、刻々変わる世界、および国々の情勢にお心を用いられておられるご様子が、いまも私の目に残っております。
さて、陽春四月、花の京都の春秋庵でのこと、それはご巡行の第一日目に当たる日でした。私は、博物館や美術館のご案内役を承わっておりました。
私は、突然ご陪食の栄に浴することが告げられて、同行のY氏とふたりで伺いまして、親しくお言葉をいただきました。
ちょうど正午のこととて、例の携帯ラジオからニュースが流れて来ました。食卓は、季節の珍味佳香に賑わい、教祖ご夫妻は、非常にご機嫌で、和気藹々のうちに食事が進みました。そして、ニュースに続いて、演芸放送が始まりました。
さあ、これから本題に触れるわけですが、そのときスピーカーから、三味線のバチさばきも鮮やかに、浪曲の前弾きが始まり、関東節の歯ぎれのいい高調子の出につれて、流れてくる朗々たる語り口やら節調に、私どももしばし耳をかたむけました。
題はたしか天保水滸伝の平手酒造の一節で、私も好きな浪曲のことですから、「二代目勝太郎でございますね」と、何気なく教祖に申しました。
教祖は、『や、きみ、浪花節がわかるのか』と言われ、「大好きです」とお答えしました。そして、初代玉川勝太郎、浪花亭愛造や虎丸、一心亭辰雄、東家楽燕、楽遊、楽雁、そして雲右衛門、奈良丸等々、知っているかぎりの語り手の名を連らねましたら、教祖も大変お好きとみえて、陽気に談笑されました。
そのとき、教祖が、『山岡君、浪花節がわかるようならば、美術も芸術もきっとよくわかるね』と言われました。
私は、この冗談とも思えるお言葉を吟味して、しばらく黙っておりますと、隣席のY氏が小さな声で、「これは驚いた、驚いた」と言ったことを覚えております。
そのY氏は、そのあと、別室に来てからも、“これは驚いた、驚いた”を繰返しているのです。そして、私に、「浪花節がわかると、古美術もわかると申されたのには驚いた」と、ふしぎそうな面持で言いました。
しかし、私は教祖のこのお言葉に感動していたのです。そして、それからはこのお言葉の中にふくまれている真意を解明することに努め、ようやくつぎのような答えを得ました。
それは、美術品を鑑賞することも、あるいは音楽や演劇を観賞することも、等しく本来の人間(信仰にはいり得る素質を有する上根の人)がもつインスピレーションによる心の躍動──つまり、一種の感動を湧き上がらせ得る人にはわかると言えるので、この点、信仰にはいるときの心の感激と同じものでしょう。
大事なのは、この感動であります。ですから、『浪花節がわかれば、美術、芸術もわかる』というお言葉は、自然そのものの響きを伝えておりますし、教祖が、いかに芸術の深奥にふれつつご生活されて来られたか、それがよくわかるのです。
言葉をかえて言えば、教祖が大衆を導き、信仰にはいらせるも、また、絵画、彫刻などに触れさせて、その美を感得させるに至る行程とは、よく似ていると申してもよいでしょう。この間のことを早くから悟られ、美術品を蒐集し、美術館を建てられ、それによって私どもをご鞭撻された教祖を、私は心からおえらい方と崇めております。
また、こういうこともありました。やはり教祖のご巡行のときで、例によって私は博物館や美術館の案内役を承っていました。私は教祖のお車に同乗させていただいたのですが、室生寺に向かう途中のことです。
いままで晴れていた空から、急に雨が降り出しました。
教祖は、その雨をごらんになって、『や、これは室生の龍が、私の参拝を喜んで、沿道に雨を降らし、清浄の気を漂わよせて下さるのだ』と申され、なお、『だが、室生寺に到着のときは晴天となる』とおっしゃいました。
これを聞いて、運転手の山口さんは、「それはどんな龍ですか。赤龍ですか」とお聞きしました。教祖は即座に、『黒龍だよ』と申されました。
伝説によると、東大寺の憎が雨乞いをして黒龍を呼んだとき、これを嫉む別の憎が、その黒龍を小さな壷の中に閉じこめてしまったが、とうとうその黒龍を壺から出して雨を降らせることができた──という話がありますが、教祖はこの話を知っていらしたのか、それで黒龍と言われたのではないでしょうか。
果せるかな、室生寺へ着くと、空はすっかり晴れ上がって、小鳥はさえずり、麗らかな早春の景色となりました。
もしだれかが、「教祖は奇跡をあらわす力をもっていたのか」とたずねるなら、私はこう答えるでしょう。「あなたが、教祖は奇跡をあらわす力をもっていない、と思っても、それは問題ではない。肝心なのは、教祖が、この人をあらゆる苦から救い、その人をしあわせにしたいという努力を、大衆のためになさっているということ、この事実がほんとうにあなたにわかればいいのです」と。
そして、私はやっばり自分にはこう言います。「教祖は、まことに奇跡の人であった」と。