若い時こそより多くの体験を

 神様は一旦綱<つな>をかけたら離さないと言われていますから、ご神命をいただいたそのときは、素直になることが一番であります。そして、それまでは精々<せいぜい>世の中のことを勉強し、現代的学問を受けておられる方は、それを熱心に学んでいただけばいいのです。神様の教えがしっかりと肚<はら>に入っていれば、学問をしても学問に捉われることなく、正しくいかして用いることができますから、いわゆる、ミイラ取りがミイラになることはありません。

 現代を救うには現代的のやり方、現代的の気持を知ることがまず必要です。それに嵌りこんでしまってはいけませんが、若いときはまめに動いて、なんでも身につけておくことが大切であります。より多く志<こころざ>し、より多く実行する、これが勝です。ときには失敗することもありましょうが、失敗を恐<おそ>れて何もしないよりはよいと思います。失敗もまたひとつの経験になりますから失敗を恐れず、よいことと思ったらやることです。もちろん、無計画にやりさえしたらよいというのではありません。熟慮断行<じゅくりょだんこう>すべきです。熟慮もまた過ぎると決断を欠き、退嬰的になりますから、いき過ぎぬように心したいものであります。

 他人の経験談もできるだけよく聞いて、実行の参考とすればよろしいでしょう。書物や他人の経験の受売りばかりして、体験がない人は実力がつかないからだめです。平時はそれでもよろしいですが、一朝逆境<いっちょうぎゃっきょう>に立った場合苦しまねばなりません。お嬢<じょう>さんやお坊ちゃんは苦労なしでのんびりと育ったよさは持っておりますが、どこか力が足<た>りないところがあります。あまり若いうちからいい地位につくのは考えものです。結局体験がものをいうのですから、よき体験を重ねることを心がけるべきであります。

 もちろん、耳から目からの浄霊として、御教書拝読<みおしえはいどく>は重要ですが、御教書をよく読んでよく知っているだけではだめで、それだけでは信仰とはいえません。実行が伴<ともな>ってはじめて信仰が生きるのであります。