ある日ご揮毫のときに、「物事はどこまでやったら、最善を尽くしたことになりましょうか。何かその基準のようなものがございますか」とお伺いいたしたことがあります。
そうしたら明主様は、『人間的に見て最善を尽くしたつもりでも、神様から見ると違ってくることもあるから、ちょっと判らない。しかし、わからないはずだ。私だってそれがわかるまでに十年はかかっているんだから。それを一年や二年でわかろうなんて……』とおっしゃったので、「僣越(せんえつ)でしょうか」と申し上げたら、『ズーズーしい』とお笑いになりながら、『まあ、最初はいろいろ疑ってみることだ。疑うことによって進歩し、覚れるんだから』 と教えて下さったこと があります。