熱心な信者ともなれば、“神様のためならどんな御用でもつとめます。たとえ、自分が困<こま>ってもかまいません”というような気持でなければいけないと思います。やがて酬<むく>われるときがくるのですから、そのときゆっくり休ませてもらうということで、いまは働かねばならない、という気持になっていただきたいと思います。
また、過去に間違<まちが>ったことがありましても、気にすることはいりません。今日ただいまから、それに匹敵する善をすれば、どんどん改造できるのです。ですから、取越苦労や過越苦労をせず、ただただ善の種を蒔けばいいのです。また、種を蒔いても、すぐ実るのもあれば、長くかかって実るのもあるのですから、すぐ実らないといって悲観<ひかん>することもないのです。いい心で蒔いたものは、いつか必ず実るのです。誠<まこと>でお祈りしてやったことに、実らないものはありません。実らないときは、まだ心にわれよしか、悪がひそんでいるのですから、反省<はんせい>してみることです。そして、あまり結果<けつか>にこだわらないことです。自然に神様がくださるのですから、気楽<きらく>にして、ただ蒔くことだけを一生懸命やればいいのです。