人間は神様についでの結構<けつこう>なものだ、と神様は教<おし>えておられますが、まったくそのとおりです。神様が苦心<くしん>して造られた大地の上に、家倉を建<いえくらた>てて住<す>まわしていただき、日月<じつげつ>のお照<て>らしを受け、食物衣服<しよくもついふく>の不自由もなく、職業<しよくぎよう>も授かり、まず安全にその日その日を送<おく>らしていただいております。
近ごろでは万事贅沢<ばんじぜいたく>になりまして、世界のすみずみまで交通が開<こうつうひら>け、行こうと思えば、海を渡<わた>り空を渡って、寝<ね>ている間にもいけるし、世界のどこの食物、品物でも、手に入らぬことはない便利<べんり>さで、結構にしていただいています。人生五十年といわれた人間の寿命<じゆみよう>も、いまはだんだんのびて、七十年がまず普通<ふつう>、したがって、後継者<こうけいしや>もできており、家業<かぎよう>も安定していますから、後顧<こうこ>の憂<うれ>いもないわけですが、さらに運がよければ、正<ただ>しい信仰の道にも入ることができて、この世からなる喜びの生活を経験<けいけん>したうえ、万一霊界へいっても、困<こま>らぬだけの善徳<ぜんとく>を常日<つねひ>ごろから積<つ>んでいるということは、人間としてこれ以上の上の安心立命はありません。
これもみな自分の手柄<てがら>だ、努力の結晶<けつしよう>だ、と信仰のない人たちは思うでしょうが、どうしてどうして、人間は自分の力だけでは、一日だとて生きることは難<むず>かしいのです。まず天地親神<てんちおやがみ>の恩<おん>、国の恩、父母の恩、衆生<しゆじよう>の恩というふうに、他からの恩恵によってここまで育<はぐ>くまれ、成長<せいちよう>してきたのであって、もちろん、自分の努力創造<そうぞう>もありますが、それとても、みな天地の神様の造られたものを利用しているのであります。
ですから、他があっての自分で、人間は相見互<あいみたが>い、仲よく扶<たす>けあって、ひとつの住みよい世の中を作っていく、義務<ぎむ>と責任があるわけです。これを地上天国建設の使命というのです。