知育に併わせ徳育を

 いまの学校は知識ばかりを詰<つ>め込んで、徳育<とくいく>を欠いておるから、長じても天地をはじめ、万物に序<じょ>あることを知らず、絶対者に随順するという道義の根本を知らず、学問の結果は、おおむね無神、無霊に傾いて報本反始<ほうほんはんし>の大道をなみするようになるのであります。

 これは現代教育の欠陥<けっかん>だと思います。人間は万物の霊長として、万物支配の知能力<ちのうりょく>と自由が与えられてあるだけに、学理のみ与えて、精神の開発<かいはつ>を怠<おこた>るときは、人間の強者は天地惟神の律法<りっぽう>に背<そむ>き、その智慧と力を弱肉強食の目的に使うようになって、ついに世界の動乱<どうらん>を招<まね>くに至るもので、人智が極度<きょくど>に進んだ今日、一刻<いっこく>を争って世界を取締<とりし>まる新しい道義の設定<せってい>がなされなくては、世界人類は平和を楽しみ、安心立命<あんしんりゅうめい>して生きるという、理想世界の実現<じつげん>は夢物語にすぎなくなるのでありまして、神意具現のうえからも、焦眉<しょうび>の急は人心改造であり、利他愛<りたあい>の教えを世人に伝え、実践<じっせん>することであります。そのための浄霊であり、地上天国雛型<ひながた>建設であります。

 人智を開発する学校は津々浦々僻村<つつうらうらへきそん>にまで完備<かんび>され、教育は国民に義務<ぎむ>づけられていても、肝心の精神の学校は宗教内にあって、微々<びび>として振<ふる>わない。社会は善悪の別なく、むしろ苛酷<かこく>な取締法さえ設定して、人心の教化改善<きょうかかいぜん>にはしごく冷淡<れいたん>にさえ見受けられますのは、私のひがみでしょうか。この点海外諸国の方がずっと精神的、宗教的であります。せめて信仰ある家庭においてでも徳育が行なわれないと、つぎの時代を担う青少年の行末<ゆくすえ>が案<あん>じられてなりません。

 まず、両親<りょうしん>が正しい信仰を持ち、生活をとおして徳育するということが、今日の日本にとくに大切なことではないでしょうか。