自分は正しいのだから、だれの世話<せわ>にもならない、という観念<かんねん>で、人も助けないかわりに、人からも助けを受けない、と威張<いば>っているのでは、こんなに哀<あわ>れなものはありません。そういう人は死んだときに、やはり想念の延長<そうねんえんちよう>で、孤独<こどく>な世界に入っていきます。この世では孤独であっても、淋<さぴ>しくなればお金を出して、賑<にぎ>やかな所へ出ていかれますが、霊界ではそれがなく、真の孤独になります。これは一種の刑罰<けいばつ>というべきものです。人間は大勢で助けあって、賑やかに人生を送るのが、最大の幸福です。
家庭でも信仰が違って、はだはだであっては、神様はせっかく大きな力を出してあげようと思っても、減殺<げんさつ>されて出ないのです。ですから、やはり信仰するならば、家ぐるみの信仰が一番よろしい。そうすれば、神様はどんな力でもくださいます。
祈りにしても、たくさん集まれば大きな祈りになって、神様に届<とど>くのです。また、この力を利用すれば、世界が悪い方へいくときも、世論<よろん>を出してそれを引き止<と>めることもできます。それには、われわれが正しいと信じたならば、それを倍増<ばいぞう>して、より大きな団体になっていくことです。それを神様はお喜びになるのです。そして、神様のお力をいただいて、地上天国を早く造ろうというところへいくわけです。
それで、信仰へのお導きを、みなさまにご協力を願っているわけであります。また、それが神様のお仕事をさせていただきながら、おのずから徳を積み、自分ばかりか、代々が幸福者になって、家が富み栄えていく、もとにもなるわけです。