瞬間々々を大切に

 私どもにとっては一時間さき、いな一分さきの事柄でも未来に属し、人間の自由にはなりませんし、たったいま、なしたばかりの事柄も、つぎの瞬間には過去のものとなって、これまた自由にならぬものですから、過ぎたことをとやかく悔<くや>んでみても取返しのつかぬことであります。結局取越苦労<とりこしくろう>も過越苦労<すぎこしくろう>も役にはたたぬのであります。としたら、ただ「いま」というこの瞬間こそ、私どもにとっていちばん大切な自由の天地であります。そこで「いま」というこの瞬間をいかに生かすかによって、人間の幸、不幸、あるいは成功不成功が定まるといっても過言<かごん>ではありません。たとえば、いま、すかさず一粒の善の種<た>子<ね>を蒔<ま>いておけば、やがて忘れたころ花咲き実って、思わぬ収穫<しゆうかく>となるのであります。一粒の種ですらこのような結果をもたらすとすれば、長い人生において、瞬間々々を大切にして、善事を行ったとしたならば、その人の前途の幸福は、はかりしれないものがありましょう。