信仰に入ると何かいままでの世俗的<せぞくてき>なものは、もう役に立たぬものとして、投げてしまう人が多いのですが、そういうことは間違いであります。世俗的な地位、名声、財力<ざいりょく>なども、信仰して正しく使えば役に立つものであって、邪魔<じゃま>とはなりません。
学問もないよりあるに越したことはありません。ですから、学べるときには大いに学び、それを教化の道に使っていけば、補助的<ほじょてき>力になるのです。信仰のない人には肩書<かたがき>や地位が大いにものを言い、信用してその人の話を聞くものですから、やはりそういうものを使っていくことは必要<ひつよう>であります。