崇高な人生の目的のために学ぶ

 御教えがしっかり肚に入っていれば、唯物的な学問をされても、それがけっして一方に片寄るのでなしに、取捨選択<しゅしゃせんたく>ができ、むしろ学問をどのように利用するか、という立場になっていかれると思います。

 いままでは詰込み的、鵜呑み的な学問であったり、あるいは、就職のために勉学をしているという人が、世間にたくさんあるのです。しかし、そうではなく、ほんとうに地上に天国をたてるという、崇高<すうこう>な人生の目的のために、いま学んでいるのだという態度<たいど>に変わっていかなければなりません。これが人間として日の開く、開かないの分岐点<ぶんきてん>になるのであります。