東方の光といへど観音の救世の光の事にあるらむ
東方の光はいよよ拡ごりてやがて照らさん西の涯しに
主の神の真の救ひは弥果てに出づる東方の光なりけり
救世救人の門出の日、昭和一〇年(一九三五年)の元旦、「大日本観音会」の発会式は、応神堂から、四町(約五〇〇メートル)しか触れていない麹町区麹町一丁目七番地一の仮本部において、午後六時から行なわれた。
それに先立つ真夜中の午前零時、教祖の筆になる「日之出観音」像を神体に迎えて、その鎮座祭が執り行なわれたのである。内堀通りの街灯の明かりを受けて、雨足が白く筋を引く中に皇居の森が黒々と見えた。中心になる信者一八名が参集した中で、まず教祖が『天津祝詞〈あまつのりと〉』を奏上し、続いて教祖の先達のもとに、一同恭しく『善言讃詞〈ぜんげんさんじ〉』をはじめとする祝詞、讃歌を唱和した。その荘重な響きとともに、昭和一〇年(一九三五年)の立教の年は明けたのである。鎮座祭の祭典は一時間ほどで終わり、一同はいったん散会したが、今しがたまで降り続いていた雨もあがり、神秘の思いをいだきつつ帰路についたのであった。
元旦は穏やかな一日になった。仮本部の門柱には、木の香も新たに教祖の筆によって「大日本観音会仮本部」と大書した五尺六寸七分(約一・七メートル)の檜(ひは火・日・霊〈ひ〉をさす。古来、霊木 とされてきた)の大看板が掛けられた。夕刻、続々と参集した約一五〇人の信者で、狭い仮本部は立錐の余地もないほどであった。
午後六時、新作の「大和島根」の琴歌もすがすがしく、八雲琴*の調べにのって祭典は始まった。
観音会の会長・竹村良三が祭主をつとめ、『天津祝詞』を奏上。教祖が着座の後、ふたたび竹村は祝詞を奏上し、玉串奉奠の後、教祖の先達で一同は『善言讃詞』を奏上、讃歌を奉唱して観音会の発会式は終了したのである。
*長さ三尺六寸(約一メール)、頭幅〈かみはば〉四寸一分(一二・四センチ)、尾幅〈しりはば〉三寸八分(一一・五センチ)の細長く平たい胴の上に、二本の絃を並行に張ってあるので二絃琴というのが正式の名称である。わが国の古代にこの種の琴があったかどうか不明であるが、今日行なわれる八雲琴の起源は江戸の中期、文政年間に始まったとされている
祭典後、教祖は参集した信者を前にして、力強く開教の第一声を発した。長い歳月を待ち、満を持して立ち上がった教祖の話には、この日にかける切なる思いと、また押えきれない喜びとが込められていた。神の経綸に基づいて第一歩が歩み出されたこの日、語られるその一言一言は後々の神業を方向付ける重要な意義を担っていた。それゆえ教祖と喜びを共にする信者の顔には、耳をそばだて、一言半句といえどもおろそかにはすまいとする熱気と緊張がみなぎっていたのである。教祖の開教の獅子吼は、「大光明世界の建設」(大光明世界とは地上天国、すなわち理想世界の意)と題し、左記のごときものであった。
「明けまして御芽出度う御座います。
お蔭を以ちまして大日本観音含も、発会の運びになりまして、非常にお芽出度い事と存じます。この発会は、もっと遅い積りでありましたけれど、観音様の方で、非常にお急ぎになられたのであります。(中略)
今晩は観音会の目的たる、大光明世界建設の事に就いて、お話したいと思ひます。
大光明世界といふのは、読んで字の如く『観音の光』に依って、闇のない世界が出来るのであります。闇の無い世界と云ふ事は、苦しみ悩みのない世界、罪悪のない世界であります。斯ういふ世の中が来ればいゝ、斯ういふ世の中を造りたいといふ事は、何千年前からもろ〈おおがえし〉の聖賢、あるいは大宗教家等が大いに教を説き、骨を折ったんであります。所が、そういふ世界は、今日まで出来なかった。それに似たやうな世界さへ未だ出来ません。それはただ、人類の理想だけにとどまるものとされて、そういふ世界が果して、出来るかどうか疑はしいといふのが、今日迄の状態でありました。所がそういふ世界は、確かに出来るんであります」
教祖はさらに、今日にいたるまでの、みずからの歩みに触れた。初めは理想世界実現の可能性に疑いを持ったが、その後経験した幾多の奇蹟によって、今やその実現に絶対の確信を有するにいたるとともに、観世音菩薩〈かんぜおんぼさつ〉が、ほかならぬ教祖の身体を機関として、理想世界を実現するという自覚を不動のものにしたという内容の言葉であった。
「然らば、その根本は何であるかといふと、それは『観音の力』であります。
この力、観音力といふものは、今迄、本当に世の中に、現はれた事がなかったのです。
釈迦〈しやか〉が慈悲を説〈と〉き、基督〈キリスト〉が愛を説いたり、又種々〈いろいろ〉な聖者が人間に道を伝へ、よく説いたが、説いた事は説いたが、それを行はせる力がなかった。相当に行はせたか知れないけれど、全部はとても、世界人類全体には行はせる事は出来なかった。その為に、悉くが予言や、理想に止ってしまって、その目的の世は、今日迄実現されなかったんであります。そうして今日迄に、人類世界が甚しく、堕落し混乱したのは、つまり、その宗教や、道徳に相当の力はあったが『絶対の力』がなかった。言はば、力が足らなかった為めに、悪に負けたんであります。
いよ〈おおがえし〉天の時が来て、絶対の力が、今度、これから地上に現はれるのであります。何千年の間、人類が知らなかった、力が出るのでありますから、種々〈いろいろ〉と想像もつかない事が、今後は出て来るでありませう。(中略)
世界は人間の集合体で国が出来、国は市町村から成り、市町村は家から成り、家は個人から成ってゐます、ですから単位たる個人が救はれねば、世界は救はれる筈はないのであります。従って、個人の利益のみ主とする、小乗的信仰も間違ってをれば、個人を犠牲にする大乗的信仰も、間違ってゐるんであります。ツマリ両方共良くなり、全体が救はれなければならないのであります。個人が救はれ完成し、それが拡って世界が救はれ、完成されるのでありますから、まづ個人が救はれ完成しなければならないのであります。一軒の家が世界の型とすれば、一家が天国になって、救はれて世界は救はれる訳であります。(中略)
今後、いよ<おおがえし>観音力に依って、それが必ず、完成する事になったのであります。それで之を、最も解り易くいへば、病と貧と争の無い世界、病貧争のない家庭が出来る事であります。病貧争は、小三災<しようさんさい*>たる飢病戦と、同じ事でありますが、病貧争と言った方が、何だかピッタリすると思ひます。これが絶滅するんであります。果して、それが出来るか、必ず出来るんであります。
観音様を信仰すれば、絶対に出来るんであります。今迄は、それが出来なかった。どんな立派な信仰をしても病貧争のない家庭は出来なかったが、それが、今度は出来るのであります。(中略)
大光明世界の建設は、難しいやうに思ふが、そう難しくはないのであります。つまり病貧争の無い家庭が世界中に満ちればよいのであります。それで、ここに世界は始めて、真の平和に浴する事が出来るのであります。観音力とは、昔から謂ふ『東方の光』であります。
何時、何処からともなく、斯ういふ言葉が、昔、出来たと言ふ事は、非常に不思議な事であります。
私も七年前、昭和三年(一九二八年)〈**〉の二月の節分の日から『東方の光』に就いて、種種〈いろいろ〉と観音様から知らされたのであります、じっとして、時の到るのを待ってゐました。否、準備をして居ました。(中略)
何故今日、東方の光が出たかといふと、それは今日の文明、文化といふものは残らず西から入って来たものであります。支那〈シナ〉文明も西の文明であります。之も先刻詠みました讃歌に『西方の文明釐〈ただ〉し永遠に栄ゆる東の道建つるなり』といふのでお判りの事と思ひます。
(中略)
飜って、日本国内を見ても政治に、経済に、教育に、あらゆる方面に渉って、行き詰り西洋精神の破産といふ事が、実に明かに見へるのであります。日本も最初は、東洋文明、即ち支那文明が、又インドの仏教が入り、充分吸収した頃に、西洋文明が入って来ました。
之は実に意味のある事であります。(中略)
最初、世界は支那、印度の東洋文明が興り、今日の欧羅巴<ヨーロッパ>文明の如く永い間、世界を風摩しそれが西漸<***>してエジプト、ギリシャ、アッシリヤ等の文明へ移り、ローマ文明を経て、今日の如き西洋文明が、発達したのでありますが、此の最初に、東洋文明が興り、次に西洋文明が興ったといふ事は、神が世界経綸の上に就て、実に深甚なる意味と用意があるのであります。即ち東洋文明は、霊的経の文明であり、西洋文明は、体的緯の文明であります。ですから今日までに『経と緯』との二大文明の見本が、一通り出来たのであります。又大小から言ふと、東洋は小乗文明であり、西洋は大乗文明であります。東洋思想が独善的孤立的であり、西洋思想が横に拡がってゆく形を見ても判る事と思ひます。処が、どちらの文明といえども、充分発達し爛熟期に入れば、行詰ってどうにもならなくなる。丁度、今日の西洋文明の状態が、それなのであります。先程申しました小乗でも駄目、大乗でも駄目だといふ事は、ここの事なのであります。それで、この二大文明は、何処へ行くといふ事です。之が、この観音会の使命になるのであります。この二大文明は、最後に結ばれるのが、神定の経綸であります。結ばれる地点は、我が日本であり、結ぶ時が之れからなのであります。ちようど、夫婦が出来るのであります。東洋といふお婿さんと、西洋といふお嫁さんと結婚するのであります。その媒酌人が、観音様であります。そうして生れた児供、其の児供が、『真文明』人類待望の『理想世界』であり、地上天国、ミロクの世なのであります。この結婚をさして、玉のような児を生ませる、空前の大事業を、遂行すいこうする其の力が、即ち『観音力』なのであります。
今日の非常時とは、其の文明の生みの悩みであります。経緯を結ぶ、『十字の形』が出来やうとする、最後の時であり、又、最初の時なのであります。観音会の紋、之は昔からあるのですが、卍<まんじ>紋は、その意味の表徴であります。十字に結んで、其の端が折れて居るのは、結んでから廻転を始める形であります。廻転とは経綸であります。左進右退に廻転する事であります。(中略)
今日迄に、西方から来た文明、それが九分九厘の処で、極東日本(中略)に顕現された光明、それが東方の光であります。此の東方光によって、今迄東漸しつつあった西方文明、破綻すべき運命にあった文明を、更生醇化し、経緯を渾然調和融合したる理想文明が生まれ、永遠に栄<さか>への光明の道となって、今度は、逆に西漸してゆくのであります。(中略)
此の東方の光の経綸の始りが、今日の発会式になるのでありますから、之から非常な勢を以て発展してゆく事と思ひます。で、千手観音様は別名、千手千眼観世音と申しまして、千の手を以て、あらゆるものに生命を与へ甦らせ、千の御目から放たれる御光に浴さしめて救はれるのであります。(中略)
之から日の本の中心、此の麹町から、観音会から左巻文明を始めるのであります。そして完全無欠な文明世界、即ち吾等の目標たる、大光明世界を建設するのでありますから、大変な、開闢(かいびゃく)以来未だない、大きな運動であります。(中略)神様の方では、何千年、何万年前から水も洩<もら>さぬ準備をなされて居<お>ったのであって、愈々<いよいよ>其の時期が来たのであります。」
<*> 風水火の大三災に対する人間社会の災厄<さいやく>
**( )内は編集者・挿入
***漸<ぜん>とは順次進むということで、ここでは西へしだいに移るの意
このように西洋文明の東遷(東へ移ること)と、東洋文明の西遷(西へ移ること)のあとをたどって、両文明の真の融合の結果、生ずる理想文明の到来を力強く宣言したのである。このような世界文明史の省察<しようさつ>は、単に歴史事実の客観的な分析の上に立ってなされたばかりではない。今や新たに「東方の光」が西へ移りゆく歴史の必然が、この日、この麹町の「大日本観音会」という場所を回転機軸<きじく>の起点として実現されるであろうことを、教祖は鋭く洞察<どうさつ>し、予言的確信に満ちた言葉によって、その実現を宣示<せんじ>したのである。