信仰の眼目は正しい人間になること

 明主様の御教えの眼目<がんもく>とは、要するに正しい人間をつくることであります。つくるためには自ら正しい人間になるということなのです。実践してはじめてその言霊に権威<けんい>があるのですから、まず、自分がやる、そうしてまた、人にもやらせるということであります。

 では、正しい人間とはどんな人間かと申しますと、まず、神様の目的に添うことであります。そして、神様のご意志を尊んで、人としての正しい歩みを続け、一身一家を整えて、さらに余禄<よろく>があったならば、天下公共のためにも善意と努力をおしまない人をいうのであります。

 およそ善というものは、自分のために一生懸命に努力することではありません。ほんとうの善行をしようということは、やはり天下国家公共のためになることをさせていただ く、徳を積むことであります。

 徳を積んで、そして、自分がいただいたご神徳を自分で持ちきりにしては申しわけない。自分が幸福になったならば、ほかの人も幸福にしてあげよう、というのがほんとうに神様のわかった人なのです。となりに施<ほどこ>す、そういうふうにしまして、いただいたものを、どんどんご神徳として分かてば分かつほど、そのパイプは無限に広がっていくのであります。

 そして、立派な人格になり、この人格をもって人に何か言えば相手は動くのです。この世の中を変えることもできるのです。こういうふうに、みなひとりひとりが偉大<いだい>なる人格者になっていただけば、もう本教の理想なんかはすぐに達成することができるのであります。