信仰体現こそ無言の伝導

 この間、ある教会で、わずか十五分でひとりの信者を導かれたという方がありました。なぜそんなに早く入信させることができたかと聞いてみますと、それは説得の力ではなくて、あの人が薦<すす>めることならば、あの人の信じている神様ならば、間違いなかろう、という信用によって入ったというのであります。つまり、この人は主婦ですが、普段の行ない、また、社会人として、実に近所の評判<きんじよひようばん>がよかったわけです。それで、たちまち、あなたを信用して入ろうということになったのです。

 信者は、すべてそうあるのがほんとうであります。お道を説くことも、むろん必要でありますが、しかし、一方にいかに上手に説きましても、その人の身の行ないが人を感動<かんどう>させるものでなければ、ほんとうに人はついてまいりません。この無形<むけい>の信用財産というものは、不言実行であります。

 たとえば、その人は朝早く起きて、家の前を掃除<そうじ>するにしても、自分の家の前だけでなく、隣<となり>近所を全部やってしまわれるそうですが、万事その調子<ちようし>です。それは要するに、神様のおっしゃる自分だけでなしに、自分もよいが人もよかれという気持、利他愛<りたあい>の精神を根本として、万事をやっておられることが、人を感動させたと思います。