明主様はいつも家族の者、また、おそばで働いている者に対して、非常に厳格でありました。何ごとによらず、依怙や曖昧<えこあいまい>さということは許されなかったのです。ですから、失敗<しつぱい>しますと、実にハラハラするように叱<しか>られたものです。あんなにまでいわれなくても、と思うこともありました。しかし、その反面に、実に暖<あたた>かい愛情を肚<はら>の底に持たれていて、その者を早く一人前<いちにんまえ>に仕立<した>ててやりたいという、大きな愛情があったですから、たとえ、叱られておりましても、それが相手の胸を打ち、相手の胸に通じますから、そのときは沈<しず>んでおりましても、間<ま>もなくたち直って、かえって叱られたことを、「お叱りを受けてきた」と喜んでいたものです。そうして、一層御用に専念<せんねん>するというふうでありました。
あのように人を動かすということは、如何に肚の中に、ほんとうの心と口と行ないの揃<そろ>った、誠<まこと>がなければできないことかということが、よくわかったものです。人を動かすのは技術<ぎじゆつ>ではなくて、誠であります。この誠があれば必ず人は動くのです。そこまでに、なかなかなれないものですが、やってやれないことはないのです。それを心がけるべきであります。