救世教は昭和二十五年二月四日に陣容を一新し、その名も世界救世教と改めて、明主を中心に、地上天国建設、人類救済を目標として邁進してきた。
基礎的経綸がほぼ終った昭和三十年二月十日に、梅花香る碧雲荘で、明主は波乱にみちた生涯を終えたのである。救世教ではかねての明主の内示により、良子夫人を二代教主に推戴し、明主の御遺体の前で宣誓式を執り行った。かく二代教主を推戴した世界救世教の組織の概要はつぎのようである。
本部は管長制を採用し、管長には管長補佐を配し、総務、教務、財務、編集出版、外国、自然農法、文化の七部を設け、他に自然農法普及会、東明美術保存会、熱海商事株式会社がある。各部は部長、副部長、委員、主任、事務職員によつて構成されている。部長、副部長は理事、幹事が担当し、委員は教会長が委囑されている。理事の総数は十五名、幹事は三名で、他に相談役、顧問、参与が若干いる。
全国には九十の大中教会があり、その傘下には約七百の支部がある。これら教会には約三千名の聖職資格者が配属されている。会員としての信徒は約十万、会員以外の信者をふくめると数十万にのぼるであろう。
事務所は熱海市田原町一二番地と神奈川県足柄下郡宮城野村字強羅一三〇〇番地の二ケ所にある。事務職
員は、常時は熱海で事務を執り、六月上旬から九月下旬までの四ケ月間は、事務所を強羅に移し、夏季事務所として事務を執つていたが、昭和二十年八月十日より熱海駅前に近代様式を誇る事務所(鉄筋地上四階地下一階のビル)の新築がなり、事務能率も一新することとなつた。
行事は毎月十日の一般参拝を月例祭として、メシヤ会館でおこなうが、夏季は強羅神仙郷内の日光殿でおこなう。年中行事としては、一月一日の新年祭、二月四日の立春祭、二月十日の教祖昇天記念祭、三月二十五日より三日間を春季大祭と定め、六月十日の箱根地上天国完成祭には毎月の一般参拝日を兼ねておこなう。九月二十三日より五日間を秋季大祭と定めてある。
建設事業は教祖昇天後、その奥津城を強羅神仙郷の上に設け、現在はその奥津城と庭園の工事を急いでいる。箱根の地上天国(神仙郷)はすでに完成し、熱海の地上天国も第一期工事の水晶殿は二十九年十一月に完成、メシヤ会館も三十年三月に完成して後は美術館の建設を残すのみで、現在は庭園の整理と会館前の整地をおこなつている。また熱海駅から伊豆山神社に通ずる市道の補装工事は、救世教の奉仕者の援助をえて、その八割ができあがつた。
さらに京都、嵯峨の広沢池畔の地上天国も、仏教美術館の建設などが予定されている。
また一方、農村には、自然農法という救世教独特の栽培法がおこなわれているが、昭和二十八年三月には自然農法普及会を結成し、会員はすでに一万数千をかぞえ、各地において作物の発表会を開催して、その成果は各方面の反響を呼んでいる。
箱根美術館は二十七年九月に完成し、同年七月に開館された。昭和三十年二月にはじめられた美術館別館の改装工事は五月下旬に完了した。美術館の開催期間は六月一日から十一月末日までである。その間半年に一回の陳列替えをする常設展と、月一回の陳列替えをする特別展とにわけてある。美術品の豊富多彩なことによって、その真価は一般に認識されるにいたった。団体の申込も多く、特に観光外人客には常に話題の種となっている。
渉外布教の状況はつぎのようである。二十八年二月十四日に樋口理事がハワイに赴いてはじめられた海外布教は進展めざましく、二十九年二月にハワイ教会を設立し、十数ケ所の出張所を設け、さらに教線はアメリカ本土に達し、同年十月にロスアンジェルス教会を設立、出張所も数ケ所となった。
またサンフランシスコ、サンノゼ、フレスノカナダ、南アメリカアルゼンチンにも発展し、現在ではハワイの信者は二千名、アメリカ本土各地の信者数は五百名を超える現況で、将来が期待されている。
(おわり)