聖地の参拝と教会参拝の相違

 大祭とか、月次祭<きなみさい>とかは、それぞれの祈願<きがん>と報恩感謝<ほうおんかんしゃ>の意味を籠<こ>めて、行なわしていただくのであります。たとえば、聖地の月次のお祭は、小規模<しょうきぼ>な感謝の形式、春秋二期<しゅんじゅうにき>の大祭は大規模な感謝の形式であります。もちろん、聖地にかぎらず、みなさまの教会、支部なり、各家々<かくいえいえ>のお祭も同様であります。

 それでは聖地も、教会も同一ご主神<すしん>を奉斎<ほうさい>しておられるから、ご神格ほ同一かと申しますと、さにあらず、聖地と教会の差に比例<ひれい>して現われたもうのであります。ご主神は、もとより宇宙<うちゅう>のいずこにもましまして、大宇宙が測<はか>りしれぬごとく、ご神格もまた測りしれぬ大きさであられますが、聖地には聖地相応<そうおう>、教会には教会相応、支部には支部相応にお降<くだ>りあそばすのは、神は順序<じゅうじょ>にましますからであります。

 聖地の神様としてお降りあそばすときは、その大きさにおいても、お力においても、教会と支部とは格段<かくだん>の相違<そうい>があるのであります。また、大祭日にご参拝になりますと、平常より幾層倍大きなお光に浴<よく>されまして、霊体の曇<くも>りを除<のぞ>かれ、おまけに神様から霊衣<れいい>を拡<ひろ>げていただけるのでありますから、大祭ご参拝は、まことに結構なことでございます。

 一方、神様は人間の真心<まごころ>と、感謝のお供<そな>えを大変にお喜びになられまして、そのお喜びのお心はたちまち参拝者の上に反映<はんえい>し、あたかも電流のようにご神徳が伝わって、霊的にも体的にも、お悪<めぐ>みをうけることができるのであります。