昭和二十七年一月二十七日 教集06 (2)
〔御伺い〕 O・K(未入信。四一歳)。昭和一五年六月左耳乳子突起病にて手術、一八年一〇月精神分裂症となり、県立精神病院に入院。電気、注射療法により二カ月にて快方に向かいましたが、二五年八月再発、同年大本教に入信、御神体奉斎しましたが、父が反対で御神体を焼き捨て、再度御神体を奉斎、またも先祖の位牌とともに焼き捨て、位牌はお寺で戒名をいただき祀りましたが、これも焼き捨て、このとき父は病院に入院、二カ月で退院、一一月発病、再入院。二六年五月退院後も経過悪しく、八月に入り御浄霊させていただいており、一二月に奉仕隊に参加させていただきましてよりおとなしくなりました。家には先祖代々の宝物として龍玉が二つありましたが、新家に一つ譲りました。大きさは直径三寸五分くらいで、新家のは一まわり小さく、いまは床の間の吊り棚に祀ってあります。御屏風観音様をお迎えいたしたく思っておりますが、仏壇のほうが下座になりますが、いかがいたしましたら、よろしいでしょうか。また、この龍玉は二つ一緒に祀ったほうがよろしいでしょうか。また
〔御伺い〕 出雲様に入るから御先祖はいらない。出雲様に入信してくれと言いますが、出雲になにか霊的関係がございましょうか。
昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号 (7)
御伺い M・S(昭和二二年入信。三二歳)。二三年六月長女Kが、一週間ほどの下痢が因で急性肺灸で死亡してより、教会へ御無沙汰いたしておりますうちに、長男T(四歳)が二四年一月浴場で引きつけ、以来毎日ちょっとした刺激などにも体をピクつかせ、一○日に一度くらい、少し熱が出ると引きつけます。お道が良く解らず、約一年医療を受けましたが、病状は一進一退でございました。近所の信者さんに、いま一度三日間の教修のお話を聞かれてはと言われ、いままで間違っていたことをお詫び申し上げ、御浄霊いただきましてより、だんだんビクつくこともなくなり、引きつける回数も少なくなり、御屏風観音様を御奉斎させていただき、妻も入信。昨年六月疫痢の御浄化をいただきましたが、教会の先生の御浄霊により御救いいただきました。八月に光明如来様を御奉斎させていただき、子供二人にも「小」の御守り様を拝受させていただきました。一二月ごろよりTの状態が以前より激しくなり、連日ちょっとした刺激にも、また遊んでおりますときにも、急にバネで弾かれたように体全体に痙攣を起し(以前は部分的でございました)目を離すことができなくなりました。現在、引きつけるときは口から泡を吐き、両手でなにか探るようなことをいたしたり、おびえるような大きな声を出し、目を引き吊り、なにかじっとにらむような顛をいたします。なお、その後は入浴を非常に嫌います。位牌は御先祖始め、諸々の霊位をお祀りさせていただいております。父は神経痛を二〇年ほど患い、死ぬ少し前に精神病でございました。兄は戦死、弟は自動車事故で死亡いたしております。以前に増して発作が激しくなりましたのは、いかなるわけでございましょうか。また今後いかがいたしましたら、よろしゅうございましょうか。
そんなわけで、箱根の美術館も着々としてできつつありますがね。六月までには充分できるわけですがね。そこで、いま美術が非常にさかんになってきましたがね。美術館なんていうのも、ほうぼうにできつつあり、外国でも非常に美術がはやってきたですね。この美術なんかは、もっとも平和的なもので、これが世界的に国同士で交流するようになると、非常に良いと思うね。ですから、美術がはやるのとスポーツがはやるということは、平和思想を大いに高めることと、それから国同士で仲が良くなるということについて、非常に効果があると思う。で、そんな意味で、ますます美術思想、スポーツ思想……これがさかんになると思う。そこで、今度箱根にできる美術館は、私は世界一と思っているんです。ちょっと不思議に思いますがね。しかし、いま美術館がほうぼうにありますが、仮に日本の美術品として、日本の美術品はあまりないんですよ。だから日本人が日本の美術を見たいと思っても、さて見られる所というのはないんです。まあ、仮に博物館としても、仏教美術は一番です。それはすばらしい物がありますね。非常に、お寺や皇室と関係がありますから、御物の仏像なんか、ずいぶん立派な物があります。ところが、仏教美術はふつうの人が見ても、なかなか解らないんです。だいたい、時代が解らないからね。何年くらい前にできた物か。これは天平だとか、藤原だとか。如意輪観音とか薬師如来、帝釈天、毘沙門天だとか言っても解らないですね。そうすると、美術思想を養うというところまでは、なかなかいかないですね、まあ歴史的、考古学的というような意味ですからね。ですから、だれにも理解できるような美術ですね。それを見せるようにしなければいけないと思う。博物館を始め、あとの品々は……いつも言う通り……どうもレベルが低いんです。だから仮に、日本人もそうですし、外国人が日本に来て、日本の実務を見たい。日本じゃ光琳という画家がたいへん偉い。光琳をぜひ見たいと思ったところで、見る所がないんですね。それから陶器類ですね。日本には仁清、乾山、柿右衛門とか、偉い陶芸家がある。ぜひ見たいと言ったところで、それも見る所がないんです。日本で博物館以外の美術館と言えば、個人の美術館ですが、そういうものでも……今度できたブリヂストン美術館のような具合に油絵か、あるいは岡山の大原美術館は、西洋の絵はあるけれども、どうも日本の絵はないんです。それから、私はいつも褒める自鶴美術館でも、支那の陶器と銅器ですからね。日本のはぜんぜんないんです。それから、京都の博物館と言えば、京都のお寺の博物館ですからね。まあ、お寺美術館と言っても良いのです。立派な大きな仏像なんかがありますが……たいしたものですがね、それから東京の根津美術館、長尾美術館、大倉集古館にしろ、本当の日本美術というものは、わずかなものです。それですからどうしても、日本の美術品を日本人も見られ、外国人にも見せるというのが、ぜひなければならない。それがないんですよ。私は先から、そこを狙っている。どうしても日本美術は……日本は世界の美術国だとか言っていばっているが、じゃ品物を見ようというと、ないんです。ですから、アメリカ人でもイギリス人でも、日本美術というのは、おそらく知らないくらいなものです。あっちの美術館というのは、ほとんど支那美術ですね。支那美術と言っても、支那の陶器と銅器ばかりで、絵はほとんどないんです。支那の絵は、やはり日本にたくさんある。また、アメリカにある日本の絵というのは、ほとんど贋物ばかりで、ひどいです。そんなわけで、日本人はいままで……良いか悪いか解らないが……国宝だとか言って、日本の美術を海外に出さないように政策を取っていたんです。これについてもフランスあたりのそうとうな識者は、日本が国宝という制度を作るのは非常に間違っている、ということを言ってますがね。なんだと言うと、国宝というのは、つまり外国に出さない……日本で占有する意味になるから、美術というと世界的に多くの人の目を楽しませるのが本当だと言うんですね。ところが、己の国に保存して他国に出さない。世界の人に見せないと言う、一つの独占ですね。だから本当でないという話があるんですがね。そんなような具合で、いままで日本は良い物を持ちながら、まことに……隠して見せないようにしていた。ですから、どうしても日本の美術を世界的に……世界の人たちに見せるような……そういう機関を作らなければならないですね。それからもう一つは、日本の美術家というのは、近ごろ非常に堕落と言いますか、なんと言いますか、とにかく日本画にしろ、油絵のまねするのが多くなった。これは時代の風潮にもありますけれどもね。もう一つは、日本の美術を見る方法がないんです。日本でも、昔の名人のにいろいろな良い物があるんですが、それを見ることができないからして……かえって油絵のほうがよけいに見られますからね。だからどうしても美術眼ですね。そういったものは、西洋のほうに偏っている。ですから、そういう人たちに大いに日本の傑作品を見せなければならない。要するに眼識を養うんです。そうすると、日本はすばらしいというんで、それにまねしないまでも、大いにヒントを得て、変わっていくわけですね。ところがそういう機関がないために、どうしても日本の本当の特色ですね。そういうものが薄れていくんです。だからどうしても、そういう日本の芸術家……美術家に大いに見せるという方法をとらなければいけないと思う。私はそういうつもりで、美術館も日本美術を根本にして、東洋美術、支那、朝鮮……そういう物を参考としておくという順立てにするつもりですがね。おそらく、できたらば非常に喜ぶだろうと思う。むしろ日本人が「俺の国の先祖はこんな立派な物を作ったのか。これは良いな。それじゃ大いに日本的なそういった良い物を作らなければならん」という意欲が、大いに起るだろうと思う。ですから、そのために外国人も、なるほど日本は大した物がある、と言って驚くだろうと思ってます。そのようなわけで、本当に日本の美術を並べてある美術館は世界中にないんです。勿論日本にさえないんですから、外国には、なおさらないんです。そうしてみると、その意味において世界一だと思ってます。なにも、規模とか……そういうのでなく、日本の美術を集めたというので、世界一だと思ってます。世界の美術品をいろいろ検討してみますと、やっぱり美術は日本が一番なんです。仮に仏像にしても、支那にできた六朝仏といって、仏に関心を持つ人は六朝仏を一番貴んだ。それが日本に、欽明天皇時代に渡ってきて、それから推古ですね。最初は支那のまねをした。ところが不思議なことに、やはり日本的の味を出している。推古から飛鳥、天平、弘仁。鎌倉時代になって非常に……木彫ですね。最初は金銅仏といって、銅で作って金のメッキをした。それが、藤原時代に木彫のそうとう良い物ができた。それが鎌倉時代になって俄然発達した。鎌倉時代の木彫を……私は近ごろ仏を研究してますが、すばらしい物です。ロダンなんか足下にも及ばない。これは世界に知られないですね。すばらしい物です。それはどこにあると言うとお寺ですね。京都、奈良、それから関東にもあります。不思議に、鎌倉でできた物は京都、奈良にある。国宝になってます。私は一度仏を見に行こうと思ってますがね。近ごろはあっちのほうのお寺に知り合いができたのでね。知り合いができたと言ったところで、仏のためにですがね。ぜひ見にきてくれという所がチョイチョイあるんです。いずれ行くつもりですがね。それから日本の陶器ですが、陶器も支那には陶器はすばらしい物があります。私も感心しているんです。世界で、陶器は支那が一番ですがね。ロサンゼルスで、支那の宋時代の展覧会をやるんですがね。宋時代と言うと、いまから八〇〇年前から一〇〇〇年前ですね。約二〇〇年の間に、できたものです。たいしたものです。私も好きで多少はあります。で、宋時代の展覧会を……やっぱり日本にも勧誘して、一五点日本から送ることになって、この間発送しました。で、宋磁展覧会と言って、アメリカとイギリス人が非常に好きですね。フランスはあんまり……フランスは朝鮮が好きですね。とにかく、支那の宋の物はたいしたものです。まるで、美術品を講義しているみたいだね。それで、支那の宋時代が、日本の平安朝時代になるわけですね。で、平安朝時代にも良い物ができましたがね。それから、日本の鎌倉時代に彫刻の良い物ができたのですがね。支那で言うと、明の時代に入りかけている。明の初期から中期に良い物ができた。これは、ぜんぜん宋時代とは違ってね。それで桃山時代になって、明の次の康煕に入って、まあ……そうとうに良い物ができましたがね。そういった、文化交流時代ですね。それが、支那と日本とだいたい符合が合っているんです。そんなような具合で、日本は支那から学ぶと言いながら、日本独特の物を出した。日本人の一つの、美術に対する秀れた才能ですね。そういうものがある。そういった美術品を見て、研究した結果やはり美術においては、日本人は世界一と言って良いんですね。非常に秀れた天才ですね……それを持っている。これが本当に世界的に知られてないから、それをどうしても、私は知らせたいと思いますね。それには日本人が作った良い物を見せる。それよりないですからね。箱根の美術館は小さいですからね。仏教美術までは見せるわけにはいかないから、将来できる熱海の大きいのは、仏教美術の良い物を……お寺にある国宝級の良い物を集めて、世界的の展覧会をやりたいと思っている。そのために外国の観光外客が、当にして見にくるというまでにやってみたいと思っている。とにかく、平和ということに対する……いま言ったような具合に、美術思想なんかを植えつけるということは、非常に良いんです。そんなことにも、非常に金がいりますがね。私は、その金を始終心配している。しかし、いままではどうやら、それだけの金は集まるんです。箱根の美術館なんかも、頼めるときは、ほとんど余分な金はないんです。だからまあ、やって、うまくできるかどうか、実際おっかなびっくりだった。だけども、神様のほうでは非常に急がれる。だから他のほうで調子が良くなって、だんだん進んでいくので、これは良いだろうと思って始めると……一一月に始めると、一一、一二、一月とスラスラとそれだけの金は集まった。現金はまだそれだけありませんが、申し込みだけはだいたいね。で、まあ……ホッと安心したわけです。それで信者だけ見るという、そんなものじゃ駄目ですから、だれでも一般的に見られる……そういうふうにしようと思う。ちょうど地勢がそういうふうになっている。萩の家の後ろに門を作ると、教団のほうに関係なく、美術館だけ見られる。やっぱり神様は地形までされている。それでまあ、入場料までとる。二〇〇円くらいね。二〇〇円と言うと、ちょっと高いようですが、この間ブリヂストン美術館ですが、あれが五〇円ですがね。あれが五〇円だとすると、私のほうは一〇〇〇円でも安い。品物を見れば解りますがね。油絵は、日本でも見られます。しかし、西洋に行っても見られます。今度できる箱根の美術館は、どこにも見られない物です。それが、一品か二品でなく、たくさんあるんだから、どんなに喜ぶか解らないですね。文士連中でも……ああいうのも非常に待ってます。作家連中でも、とても好きなんですよ。去年の暮れあたりに川端康成、吉川英治、大仏次郎、高見順、武者小路実篤、徳川夢声の諸氏など、まだまだいろいろありますが、来るのを止めてあるんです。美術館ができたら一遍に見せるからとね。いま、少しずつ見せてもしようがないからね。徳川夢声氏なんか、馬鹿に好きですよ。つい二、三日前に古九谷の良い物を買ったから、一遍見てくださいと言ってね。そういう連中が、期待して待っているんです。だから、始めたら、ずいぶん来るだろうと思います。本当に良く見れば、半日もかかりますからね、そこで始終来るより、面倒臭いから……一々入場料やってね。いっそ信者になれば、見たいときに只で見られるからと、そのために信者になる人も、ずいぶんあるだろうと思います。それで、信者になっても良いんです。なにしろ神様と縁が繋がりますからね。結局だんだん信仰的なことも解るんです。だいたいあそこの空気を吸うだけでも良いんです。なかなか神様も抜け目なくやられます。そういうようなわけで、着々としていろいろな設備もできつつあります。まあ、美術館も大いに役をすると思ってます。
昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号 (13)
御伺い O・E(一七歳)。生後六カ月ごろ風邪を引いて、以来高熱が続き、脳膜炎とのことで、注射や薬を続けました。以来十五、六年間あらゆる治療、祈?をいたしました。整形手術をし、脊髄注射六本うっておりますが、なんの効果なく、長年寝たままにてダルマ同様でございます。昨年夏より御浄霊をいただくようになり、私(父)が入信、御浄霊をいたしております。私の父は三〇年前に心臓病で死亡、母は昭和一八年脳溢血にて死亡、上の姉は大正九年、下の姉は昭和一七年脳病にて死亡。そのため母は熱心な天理教の信仰をいたしておりましたが、母亡き後はお詣りしておりません。私の家は臨済宗妙心寺派の檀家で先祖よりお祀りいたしております。これは霊的でございましょうか。御浄霊の急所につき御垂示のほどお願い申し上げます。
昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号 (16)
ところが力というものは、丸が九分九厘とすると、真ん中の力が一厘ですからね。それで、悪のほうの力が九分九厘あるから、そこでどうしてもやっつけられた。真ん中の力というのが蔭に隠れていた。直接に現われなかったから、どうしても表面的には悪のほうが勝っちゃったんですね。悪のほうが勝ったというのは、いまの医学のほうですね。あれは、医学のそういう間違ったことは、やはり必要があったんです。これが大乗的見方ですが、だいたい薬というものは、あれは毒ですね。毒をなぜ薬といって、人間にあれを服ましたり使ったりするかというと、必要があったんです。あれによって人間を弱らせなければいけなかった。そこで観音様は薬師如来となって薬を奨めたんです。そこで、人間を弱らせれば文化が発達するんです。人間が、原始時代から健康が続いていると、物質文明というのは発達しなかった。ですから、つまり野蛮人ですね。野蛮人は非常に健康なんです。健康だと満足しちゃうんです。進歩性がなくなる。というのは一番解りやすく言うと、身体が弱りますね。歩くのがつらい。じゃ、坐って遠くに行けるような物をこしらえるというようになる。いま自動車が発達したり、飛行機が発達したりするのは、結局人間が不精になったから、物事が億劫だからです。早く寝てしまうのはつまらないから夜まで起きていたいから、というので電灯なんかを発明するね。弱って不精になるので、発見発明があるんです。便利にしたり、組織を良くしたりする。それからいろんな理屈を覚えたりするのは、結局そういうためです。文化を発達させるためにです。文化を作るために人間を弱らせた。それは薬でなければ弱らせられないからね。薬で、人間を弱らせるのに、神様が人間を瞞したりね。しかし、それが瞞しておくと、だんだん弱ってきちゃうんです。その弱ってきたのはイギリス、フランスを見ると解ります。近来意気地がないですね。みんな、中央アジアにある植民地もだんだん離れて、仏印も結局離れます。仏印からビルマですね。あの地方はぜんぜんフランスの勢力がなくなったからね。そこでホーチミン軍に攻められて、一生懸命に維持しょうとして、うんと金使ったんですね。たいへんなものですよ。うんと金を使ったために、貧乏になった。そこにアメリカからヨーロッパ統一軍を作るんで、ヤンヤ言われるんで、なるほどソ連のほうも危ないから、軍備をある程度しなければならないが、金がない。それがフランスの政変ですよ。総理大臣ができてもできてもすぐに駄目になっちゃう。今度三度目の、変な名前のあれも怪しいものです。結局因の因はフランスの国民が弱ったからです。活動力がなくなったからです。イギリスとくると、もっとひどい。イギリスは戦勝国……勝った国ですが、かえって日本、ドイツのほうがありますね。老人のようです。活動力がないから生産がうんと減ったんです。日本が戦後五、六年経って……去年ですね。去年でも、日本の綿糸……木綿ですね。生産が世界一になって、イギリスのほうが負けちゃったんです。そんな具合に、軍備とかそういった勢力がなくなった。無論元気もないから、そこでおかしな話だが、中共政府をイギリスは先に承認しちゃったですね。いまじゃ後悔してますがね。ところが米国は承認しないからね。そこが米国とイギリスの違いです。というのはイギリスは香港を失うのが恐いんです。そこで中共を承認せざるを得ないんです。いまイギリスではポンドがなくなっちゃって、財政危機はたいへんなものですね。アメリカが助けているから、どうやらやっているようなもので、実に危ないものですね。ずいぶんアメリカから金を貸すんですが、じきにそれがなくなっちゃう。日本からも、二億円買おうとしているが、日本じゃポンドが多過ぎちゃってね。ポンドはうっかりすると、価格が下がる憂いがあるので、そうなるとたいへんで、日本でもポンドを増やさないようにしているが、そんな具合で、ポンドが非常に頼りないということは、生産が減ったからです。生産が思うようにないというのに、国民のカが弱ったんです。弱ったというのは、医学のためです。薬のためです。この根本が種痘ですからね。イギリスが一番最初に始めた。イギリス、フランスと、そういう順序になっている。そこで種痘が一番行なわれていないのは、ソ連なんです。米国はどうかというと、米国も遅いんです。あれはほとんど移民ですからね。最初にイギリスのピューリタンが渡航した。あれが先祖ですからね。二〇〇人ですかね。増えたと言っても、たいしたことはない。ですからソ連、米国は威勢が良いんですよ。そんなような具合で、神様のほうは、薬で弱らせるのは、このままでいったら世界の人類は駄目になるから、で、これ以上やらない……私がメシヤ教であばいているのは、神様の弱らせ方法を打ち切りにするというのが本当なんです。これほど文化を発達させて人間の智識をこれほどにしておけば、今度健康にしてやれば、鬼に金棒になりますからね。それで初めて地上天国ができるんですね。これは根本的の理由なんですがね。で、その力ですが、力を……神の力を現わさなければ、目が覚めない。その力を見せているんですね。
昭和二十七年五月一五日 『御教え集』九号 (8)
.この間の日比谷のときも言いましたが、こういう点が自然農法の効能ですね。で、それは非常においしいんですよ。野菜でもね。これは、米に限らない。いっさいの作物ですね。ところがいままで肥料を使っているために不味いんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。やはり、近ごろ自然農法で穫れたものをだいぶ食べるようになりましたがね。だいぶおいしいから肉より野菜を食べたいんですが、以前ときたら、野菜は不味いんです。だから、ついごちそうといったら、動物性のものを食べるようになるんです。だからして西洋は昔からそうですが、日本でも近ごろ非常に肉食が多くなってきた。動物性が多くなってきた。そうすると、精神的にどうしても気が荒っぽくなる。怒りたくなる。そこで白人くらい戦争好きなものはない。野蛮人が戦争好きと言うが、野蛮人より白人のほうが戦争好きです。野蛮人は部落と部落の戦争はやります。ところが白人は、戦争によって自分の野心を遂げようとするのが、歴史にたくさんありますよ。それから社会的の争いですね。裁判とかあるいは警察の取り締まりとか、そういうことが非常に必要になるのは、肉食の原因が非常にあるんです。私は七、八年前に……私の本にも書いてありますが、川治温泉というのがありますが、川治温泉と日光の間くらいの所に、湯西川という温泉がありますが、そこに行ったときに、戸数が九〇戸で、人間の数が……六〇〇人という村人がおりますが、そこでは絶対菜食です。川に鮎があっても食べないんです。先祖から食べたことがないから食べたくないと言うんです。鶏もないんですからね。鶏を食べようと思ってもないんです。とうとう隣村まで行って買ってきましたがね。鶏がいないから、無論卵もないんです。そこでは問題が起ると、宿屋の親父が一人で裁いている。それですんでいるんですからね。病人なんかないんです。肺病なんか無論ない。というのは、そこの村は絶対に東京なんかの都会人とは結婚しない。絶対に村中の人間と結婚しているんですね。たまに……日光が一番近いから、日光の人とはたまには結婚するらしいですがね。あとは絶対に村中でやる。なぜかというと、東京なんかとすると肺病になりやすいので、そんな危険なことはやらないほうが良いというので、村中ですんでいるんですね。そういうわけですから実際理想的ですね。天国みたいな村です。私はそのときに……だからみんな心が穏やかで、そこのいろんなことを宿屋の娘に聞きましたが、娘も二〇くらいで女学校ですがね。女学校は日光の女学校に行くが、非常に頭が良くて、話し方もめったにないくらいにはっきりして気持ちが良いんですね。そういう点を聞いてみると、菜食というものの影響……これが非常にある。だから、つまり自然農法も、そういった米にしろ野菜にしろ非常においしくなりますから、どうしても多く食べるようになる。そうすると、そのために人間に、精神的効果が非常にあると思う。だから、自然農法の効果は、いままでそれを言わなかったが、近ごろそういう点に非常に影響があると思ってお話するんですがね。だからそういうふうになると、西洋でも野菜をもっと多く食べるようになりますね。外人ですね。もっとも外人でも菜食家というのはありますがね。死んだバーナード・ショウなんかは有名な菜食家ですね。ですから、やっぱりミロクの世の、一つの条件になるわけですね。
昭和二七年七月一五日 『御教え集』十一号 (6)
浮世絵ですが、真ん中にある大きいのは、浮世絵としては日本一なんです。これは掛物で、湯女といって、昔の湯屋に……まあパンパンみたいなものですが、有楽町のガード下にいるようなあんなのではない。もっと高等なんです。それが散歩しているところで、実に良いです。桃山時代の絵です。日本にその湯女と、彦根屏風がありますが、屏風のほうは疎開するについて、剥がして……まだできないでしょう。こっちは掛物ですから、これは日本一と言って差し支えない。その隣が土佐光起の高尾の絵ですが、これも実に良く画いてあります。あとは蒔絵ですが、これも一つ一つみんな謂があるようなものばかりですが、それをいま話すると時間がかかってなんですから、それは見てもらうとして、ただそのうちに一つすばらしい手箱があるんですが、それはあそこに説明書がついてますから、それを読んでもらう。あとは印籠があります。これは珍しいものです。印籠一つ一つが最高のものです。いまそれが一つでもたいへんなものです。それが一二並んでます。それで蒔絵が画いてあって、それに印寵箪笥があります。私は一つ一つ蒐めたんですが、不思議に一致した。これは神様のお働きがあるんです。そこにある巻物ですが、巻物は二、三ありますが、住吉具慶という、昔の大和絵の名人です。その人の「源氏物語」ですが、歌と絵と交互になってますが、その時代の気分が実に良く表われている。それを見るとなんとも言えない気品に打たれます。宗達の巻物、光琳の団扇……それも珍しいです。光悦の書ですが、一つは漢字です。光悦は仮名書きの名人ですからね。支那の詩かなにかです。あとは光悦の画帖です。これは色紙を何枚も貼ってあるんですが、これは近衛家の先祖が、じかに光悦に画かしたんだそうです。ですから光悦の色紙でも最高のものです。いくらもありますが、このくらいのものはめったにないです。次は第五室です。これは支那のものです。これはまず道具屋やそういったものの専門の者でも驚いてました。掛物で、宋時代のものですが……元もあります。宋元時代のものです。そのうちの一番のものは、牧蹊の画いた双幅で、鶺鴒と翡翠です……小鳥のね。これは実に良いです。なんでも、関雪の弟子のなんとかいう人……鉄香ですね。その人が二日続けてきたんです。それだけを見にね。いつまででも見ているんだそうです。それは実に良いんです。あとはその隣に梁楷という人の寒山拾得があります。その隣の三尊の弥陀ですが、これは国宝です。有名なものです。まだいろいろあります。徽宗皇帝のもあります。徽宗皇帝の本物というのは非常に少ないんです。めったにないんですが、これは本物です。それから馬遠だとか因陀羅、銭舜拳、高然暉、李安忠の鶉……これは鶉の名人です。支那のものは妙なもので、一つのもので名人がある。それだけ画いている。ですから日観の葡萄といって、葡萄ばかり画いている人、また檀芝瑞の竹といって、竹ばかり画いている人もある。そんなようで宋元画はたいへんなものです。それから陶器類も、いま鎌倉の美術館で支那陶器の展覧会をやってますが、この間も各国大使を招んで、たいへんな名器を蒐めたということになってますが、商売人がここの美術館を見て、てんで鎌倉の美術館とは違うと言ってましたから、すばらしいものには違いないです。第六室はふつうですが、この中でぜひ知ってもらわなければならないのは、例の天平因果経です。これは、説明が昨日出てましたから、それを見たら分かります。ただ、一二〇〇年くらい前で絵具なんかちっとも浅せてないです。これは不思議なんです。そういった絵巻物の中では日本一です。たくさん因果経はありますが、これは最高のものです。知らない人はないくらいです。アメリカでも珍重しているんです。それで、アメリカ人が欲しがってたいへんです。一五行いっているんですが、一五行もここにある因果経の次の因果経です。これは非常に欲しがって、いくら高くても買うそうです。これを知っている人は決して売らないです。これは国宝以上のものです。なぜ国宝にならないかというと、切ってあるからです。まとまっていないからです。切ってあるのは国宝にならない。それから推古仏で、一番古い……一三〇〇年くらい前です。肘をついている観音さんで、金銅仏ですが、これは日本で四九体できた。で、四八体だけ法隆寺から献上した。ですから四八体仏といって、御物になっている。そのうち一体だけ、よけいできたのが、ある所に非常に大事に隠されていた。それがうまい具合に私の手に入った。ですから民間にあるのでは、これが最高です。それから旗があります。これも奈良朝ですから一〇〇〇年以上前です。持統天皇の……その時分の錦の御旗です。ですから、もうボロボロになってますが、肝腎な所だけは残ってます。これは歴史的におもしろいです。あそこに出てます。それから、仏画の中でちょっとおもしろいのは、不動さんの絵があったのを、宗達が矜羯羅童子と制多迦童子を画いたんです。衿羯羅童子と制多迦童子は、かなり大きく画いてありますが、それは宗達の仏画です。それは珍しいんです。良く画いてあります。あとの仏画は、たいしたことはないです。
昭和二七年八月一五日 『御教え集』一二号 (2)
あんまり専門的になってますが、ここにある支那陶器だけではやっぱり日本で一番です。ただ、これだけ蒐まってますが、去年の五月までは支那陶器というのはまだ知らなかったのです。もっと精しく書いたら書けますが……。その代わり去年からは支那陶器のある所にはどこにでも行きました。東京にも行きました。一品でもある所には行きました。それから支那陶器に関した本も集めました。ふつうなら一〇年二〇年はかかるでしょう。それを私は一年ですから馬鹿に早いのです。これは、将来外人を誘致するには非常に力があります。英、米に行きますと支那陶器というのはほとんど美術の代表みたいになっている。だから今度もロサンゼルスで支那陶器の展覧会をやりましたが……二、三日前にその図録が来ましたが、ずいぶん数があります。日本で一五点出しましたが、一五点が断然良いのです。品数としては二、三百ありましたが、一五点を向こうの新聞、雑誌に書いたそうですが、記事の三分の二は日本に関するものだそうです。それで、世界一というのがあるのです。そんなようなわけで、なにしろ英、米で蒐めたのは明治以来です。ところが明の時代のを蒐めたのが多いのです。日本は天平時代から来ているのです。唐時代のものがその時代から入ってきているのです。それから藤原時代。足利時代が一番多く入ってます。そんなわけで伝世といってきれいなのです。ところが英、米に行っているのは土中物といって土に埋まっていた物ですから、艶がなくて色もずっと変わっているのです。だから日本の支那陶器は断然良いです。今度の一五点で支那陶器は日本というくらいの評判が出てきたそうです。そんなような具合で日本にはなかなか良い物があるのです。それはまだまだずいぶんあります。そのうちのごく良い物を私が選んだわけです。しかし支那陶器なんてぜんぜん知らなかったのですから、知らない最初は見当つけるのに骨を折りました。しかしやっぱり霊感でいきます……見ていると自然に感じます。それで、割合に外れないのです。だからみんな驚いてました。どうしてこんなのが手に入ったか、とね。いろんな原因がありますが、やっぱり神様がやっているということが良く分かるのです。やっぱり霊界で、先祖が持っていたようなのが、大いに手柄をして救ってもらいたいというのでやったものに違いない。そんなわけですから特に必要な物はちゃんと蒐まる。それから種類は実に良く蒐まる。支那陶器は、見ただけでも種類は実によけいある。それで、みんな一流、二流の物です。
昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号 (6)
M・S(昭和二二年入信。三二歳)。二三年六月長女Kが、一週間ほどの下痢が因で急性肺灸で死亡してより、教会へ御無沙汰いたしておりますうちに、長男T(四歳)が二四年一月浴場で引きつけ、以来毎日ちょっとした刺激などにも体をピクつかせ、一○日に一度くらい、少し熱が出ると引きつけます。お道が良く解らず、約一年医療を受けましたが、病状は一進一退でございました。近所の信者さんに、いま一度三日間の教修のお話を聞かれてはと言われ、いままで間違っていたことをお詫び申し上げ、御浄霊いただきましてより、だんだんビクつくこともなくなり、引きつける回数も少なくなり、御屏風観音様を御奉斎させていただき、妻も入信。昨年六月疫痢の御浄化をいただきましたが、教会の先生の御浄霊により御救いいただきました。八月に光明如来様を御奉斎させていただき、子供二人にも「小」の御守り様を拝受させていただきました。一二月ごろよりTの状態が以前より激しくなり、連日ちょっとした刺激にも、また遊んでおりますときにも、急にバネで弾かれたように体全体に痙攣を起し(以前は部分的でございました)目を離すことができなくなりました。現在、引きつけるときは口から泡を吐き、両手でなにか探るようなことをいたしたり、おびえるような大きな声を出し、目を引き吊り、なにかじっとにらむような顛をいたします。なお、その後は入浴を非常に嫌います。位牌は御先祖始め、諸々の霊位をお祀りさせていただいております。父は神経痛を二〇年ほど患い、死ぬ少し前に精神病でございました。兄は戦死、弟は自動車事故で死亡いたしております。以前に増して発作が激しくなりましたのは、いかなるわけでございましょうか。また今後いかがいたしましたら、よろしゅうございましょうか。
そんなわけで、箱根の美術館も着々としてできつつありますがね。六月までには充分できるわけですがね。そこで、いま美術が非常にさかんになってきましたがね。美術館なんていうのも、ほうぼうにできつつあり、外国でも非常に美術がはやってきたですね。この美術なんかは、もっとも平和的なもので、これが世界的に国同士で交流するようになると、非常に良いと思うね。ですから、美術がはやるのとスポーツがはやるということは、平和思想を大いに高めることと、それから国同士で仲が良くなるということについて、非常に効果があると思う。で、そんな意味で、ますます美術思想、スポーツ思想……これがさかんになると思う。そこで、今度箱根にできる美術館は、私は世界一と思っているんです。ちょっと不思議に思いますがね。しかし、いま美術館がほうぼうにありますが、仮に日本の美術品として、日本の美術品はあまりないんですよ。だから日本人が日本の美術を見たいと思っても、さて見られる所というのはないんです。まあ、仮に博物館としても、仏教美術は一番です。それはすばらしい物がありますね。非常に、お寺や皇室と関係がありますから、御物の仏像なんか、ずいぶん立派な物があります。ところが、仏教美術はふつうの人が見ても、なかなか解らないんです。だいたい、時代が解らないからね。何年くらい前にできた物か。これは天平だとか、藤原だとか。如意輪観音とか薬師如来、帝釈天、毘沙門天だとか言っても解らないですね。そうすると、美術思想を養うというところまでは、なかなかいかないですね、まあ歴史的、考古学的というような意味ですからね。ですから、だれにも理解できるような美術ですね。それを見せるようにしなければいけないと思う。博物館を始め、あとの品々は……いつも言う通り……どうもレベルが低いんです。だから仮に、日本人もそうですし、外国人が日本に来て、日本の実務を見たい。日本じゃ光琳という画家がたいへん偉い。光琳をぜひ見たいと思ったところで、見る所がないんですね。それから陶器類ですね。日本には仁清、乾山、柿右衛門とか、偉い陶芸家がある。ぜひ見たいと言ったところで、それも見る所がないんです。日本で博物館以外の美術館と言えば、個人の美術館ですが、そういうものでも……今度できたブリヂストン美術館のような具合に油絵か、あるいは岡山の大原美術館は、西洋の絵はあるけれども、どうも日本の絵はないんです。それから、私はいつも褒める自鶴美術館でも、支那の陶器と銅器ですからね。日本のはぜんぜんないんです。それから、京都の博物館と言えば、京都のお寺の博物館ですからね。まあ、お寺美術館と言っても良いのです。立派な大きな仏像なんかがありますが……たいしたものですがね、それから東京の根津美術館、長尾美術館、大倉集古館にしろ、本当の日本美術というものは、わずかなものです。それですからどうしても、日本の美術品を日本人も見られ、外国人にも見せるというのが、ぜひなければならない。それがないんですよ。私は先から、そこを狙っている。どうしても日本美術は……日本は世界の美術国だとか言っていばっているが、じゃ品物を見ようというと、ないんです。ですから、アメリカ人でもイギリス人でも、日本美術というのは、おそらく知らないくらいなものです。あっちの美術館というのは、ほとんど支那美術ですね。支那美術と言っても、支那の陶器と銅器ばかりで、絵はほとんどないんです。支那の絵は、やはり日本にたくさんある。また、アメリカにある日本の絵というのは、ほとんど贋物ばかりで、ひどいです。そんなわけで、日本人はいままで……良いか悪いか解らないが……国宝だとか言って、日本の美術を海外に出さないように政策を取っていたんです。これについてもフランスあたりのそうとうな識者は、日本が国宝という制度を作るのは非常に間違っている、ということを言ってますがね。なんだと言うと、国宝というのは、つまり外国に出さない……日本で占有する意味になるから、美術というと世界的に多くの人の目を楽しませるのが本当だと言うんですね。ところが、己の国に保存して他国に出さない。世界の人に見せないと言う、一つの独占ですね。だから本当でないという話があるんですがね。そんなような具合で、いままで日本は良い物を持ちながら、まことに……隠して見せないようにしていた。ですから、どうしても日本の美術を世界的に……世界の人たちに見せるような……そういう機関を作らなければならないですね。それからもう一つは、日本の美術家というのは、近ごろ非常に堕落と言いますか、なんと言いますか、とにかく日本画にしろ、油絵のまねするのが多くなった。これは時代の風潮にもありますけれどもね。もう一つは、日本の美術を見る方法がないんです。日本でも、昔の名人のにいろいろな良い物があるんですが、それを見ることができないからして……かえって油絵のほうがよけいに見られますからね。だからどうしても美術眼ですね。そういったものは、西洋のほうに偏っている。ですから、そういう人たちに大いに日本の傑作品を見せなければならない。要するに眼識を養うんです。そうすると、日本はすばらしいというんで、それにまねしないまでも、大いにヒントを得て、変わっていくわけですね。ところがそういう機関がないために、どうしても日本の本当の特色ですね。そういうものが薄れていくんです。だからどうしても、そういう日本の芸術家……美術家に大いに見せるという方法をとらなければいけないと思う。私はそういうつもりで、美術館も日本美術を根本にして、東洋美術、支那、朝鮮……そういう物を参考としておくという順立てにするつもりですがね。おそらく、できたらば非常に喜ぶだろうと思う。むしろ日本人が「俺の国の先祖はこんな立派な物を作ったのか。これは良いな。それじゃ大いに日本的なそういった良い物を作らなければならん」という意欲が、大いに起るだろうと思う。ですから、そのために外国人も、なるほど日本は大した物がある、と言って驚くだろうと思ってます。そのようなわけで、本当に日本の美術を並べてある美術館は世界中にないんです。勿論日本にさえないんですから、外国には、なおさらないんです。そうしてみると、その意味において世界一だと思ってます。なにも、規模とか……そういうのでなく、日本の美術を集めたというので、世界一だと思ってます。世界の美術品をいろいろ検討してみますと、やっぱり美術は日本が一番なんです。仮に仏像にしても、支那にできた六朝仏といって、仏に関心を持つ人は六朝仏を一番貴んだ。それが日本に、欽明天皇時代に渡ってきて、それから推古ですね。最初は支那のまねをした。ところが不思議なことに、やはり日本的の味を出している。推古から飛鳥、天平、弘仁。鎌倉時代になって非常に……木彫ですね。最初は金銅仏といって、銅で作って金のメッキをした。それが、藤原時代に木彫のそうとう良い物ができた。それが鎌倉時代になって俄然発達した。鎌倉時代の木彫を……私は近ごろ仏を研究してますが、すばらしい物です。ロダンなんか足下にも及ばない。これは世界に知られないですね。すばらしい物です。それはどこにあると言うとお寺ですね。京都、奈良、それから関東にもあります。不思議に、鎌倉でできた物は京都、奈良にある。国宝になってます。私は一度仏を見に行こうと思ってますがね。近ごろはあっちのほうのお寺に知り合いができたのでね。知り合いができたと言ったところで、仏のためにですがね。ぜひ見にきてくれという所がチョイチョイあるんです。いずれ行くつもりですがね。それから日本の陶器ですが、陶器も支那には陶器はすばらしい物があります。私も感心しているんです。世界で、陶器は支那が一番ですがね。ロサンゼルスで、支那の宋時代の展覧会をやるんですがね。宋時代と言うと、いまから八〇〇年前から一〇〇〇年前ですね。約二〇〇年の間に、できたものです。たいしたものです。私も好きで多少はあります。で、宋時代の展覧会を……やっぱり日本にも勧誘して、一五点日本から送ることになって、この間発送しました。で、宋磁展覧会と言って、アメリカとイギリス人が非常に好きですね。フランスはあんまり……フランスは朝鮮が好きですね。とにかく、支那の宋の物はたいしたものです。まるで、美術品を講義しているみたいだね。それで、支那の宋時代が、日本の平安朝時代になるわけですね。で、平安朝時代にも良い物ができましたがね。それから、日本の鎌倉時代に彫刻の良い物ができたのですがね。支那で言うと、明の時代に入りかけている。明の初期から中期に良い物ができた。これは、ぜんぜん宋時代とは違ってね。それで桃山時代になって、明の次の康煕に入って、まあ……そうとうに良い物ができましたがね。そういった、文化交流時代ですね。それが、支那と日本とだいたい符合が合っているんです。そんなような具合で、日本は支那から学ぶと言いながら、日本独特の物を出した。日本人の一つの、美術に対する秀れた才能ですね。そういうものがある。そういった美術品を見て、研究した結果やはり美術においては、日本人は世界一と言って良いんですね。非常に秀れた天才ですね……それを持っている。これが本当に世界的に知られてないから、それをどうしても、私は知らせたいと思いますね。それには日本人が作った良い物を見せる。それよりないですからね。箱根の美術館は小さいですからね。仏教美術までは見せるわけにはいかないから、将来できる熱海の大きいのは、仏教美術の良い物を……お寺にある国宝級の良い物を集めて、世界的の展覧会をやりたいと思っている。そのために外国の観光外客が、当にして見にくるというまでにやってみたいと思っている。とにかく、平和ということに対する……いま言ったような具合に、美術思想なんかを植えつけるということは、非常に良いんです。そんなことにも、非常に金がいりますがね。私は、その金を始終心配している。しかし、いままではどうやら、それだけの金は集まるんです。箱根の美術館なんかも、頼めるときは、ほとんど余分な金はないんです。だからまあ、やって、うまくできるかどうか、実際おっかなびっくりだった。だけども、神様のほうでは非常に急がれる。だから他のほうで調子が良くなって、だんだん進んでいくので、これは良いだろうと思って始めると……一一月に始めると、一一、一二、一月とスラスラとそれだけの金は集まった。現金はまだそれだけありませんが、申し込みだけはだいたいね。で、まあ……ホッと安心したわけです。それで信者だけ見るという、そんなものじゃ駄目ですから、だれでも一般的に見られる……そういうふうにしようと思う。ちょうど地勢がそういうふうになっている。萩の家の後ろに門を作ると、教団のほうに関係なく、美術館だけ見られる。やっぱり神様は地形までされている。それでまあ、入場料までとる。二〇〇円くらいね。二〇〇円と言うと、ちょっと高いようですが、この間ブリヂストン美術館ですが、あれが五〇円ですがね。あれが五〇円だとすると、私のほうは一〇〇〇円でも安い。品物を見れば解りますがね。油絵は、日本でも見られます。しかし、西洋に行っても見られます。今度できる箱根の美術館は、どこにも見られない物です。それが、一品か二品でなく、たくさんあるんだから、どんなに喜ぶか解らないですね。文士連中でも……ああいうのも非常に待ってます。作家連中でも、とても好きなんですよ。去年の暮れあたりに川端康成、吉川英治、大仏次郎、高見順、武者小路実篤、徳川夢声の諸氏など、まだまだいろいろありますが、来るのを止めてあるんです。美術館ができたら一遍に見せるからとね。いま、少しずつ見せてもしようがないからね。徳川夢声氏なんか、馬鹿に好きですよ。つい二、三日前に古九谷の良い物を買ったから、一遍見てくださいと言ってね。そういう連中が、期待して待っているんです。だから、始めたら、ずいぶん来るだろうと思います。本当に良く見れば、半日もかかりますからね、そこで始終来るより、面倒臭いから……一々入場料やってね。いっそ信者になれば、見たいときに只で見られるからと、そのために信者になる人も、ずいぶんあるだろうと思います。それで、信者になっても良いんです。なにしろ神様と縁が繋がりますからね。結局だんだん信仰的なことも解るんです。だいたいあそこの空気を吸うだけでも良いんです。なかなか神様も抜け目なくやられます。そういうようなわけで、着々としていろいろな設備もできつつあります。まあ、美術館も大いに役をすると思ってます。
昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(2)
御伺い O・E(一七歳)。生後六カ月ごろ風邪を引いて、以来高熱が続き、脳膜炎とのことで、注射や薬を続けました。以来十五、六年間あらゆる治療、祈禱をいたしました。整形手術をし、脊髄注射六本うっておりますが、なんの効果なく、長年寝たままにてダルマ同様でございます。昨年夏より御浄霊をいただくようになり、私(父)が入信、御浄霊をいたしております。私の父は三〇年前に心臓病で死亡、母は昭和一八年脳溢血にて死亡、上の姉は大正九年、下の姉は昭和一七年脳病にて死亡。そのため母は熱心な天理教の信仰をいたしておりましたが、母亡き後はお詣りしておりません。私の家は臨済宗妙心寺派の檀家で先祖よりお祀りいたしております。これは霊的でございましょうか。御浄霊の急所につき御垂示のほどお願い申し上げます。
昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(7)
ところが力というものは、丸が九分九厘とすると、真ん中の力が一厘ですからね。それで、悪のほうの力が九分九厘あるから、そこでどうしてもやっつけられた。真ん中の力というのが蔭に隠れていた。直接に現われなかったから、どうしても表面的には悪のほうが勝っちゃったんですね。悪のほうが勝ったというのは、いまの医学のほうですね。あれは、医学のそういう間違ったことは、やはり必要があったんです。これが大乗的見方ですが、だいたい薬というものは、あれは毒ですね。毒をなぜ薬といって、人間にあれを服ましたり使ったりするかというと、必要があったんです。あれによって人間を弱らせなければいけなかった。そこで観音様は薬師如来となって薬を奨めたんです。そこで、人間を弱らせれば文化が発達するんです。人間が、原始時代から健康が続いていると、物質文明というのは発達しなかった。ですから、つまり野蛮人ですね。野蛮人は非常に健康なんです。健康だと満足しちゃうんです。進歩性がなくなる。というのは一番解りやすく言うと、身体が弱りますね。歩くのがつらい。じゃ、坐って遠くに行けるような物をこしらえるというようになる。いま自動車が発達したり、飛行機が発達したりするのは、結局人間が不精になったから、物事が億劫だからです。早く寝てしまうのはつまらないから夜まで起きていたいから、というので電灯なんかを発明するね。弱って不精になるので、発見発明があるんです。便利にしたり、組織を良くしたりする。それからいろんな理屈を覚えたりするのは、結局そういうためです。文化を発達させるためにです。文化を作るために人間を弱らせた。それは薬でなければ弱らせられないからね。薬で、人間を弱らせるのに、神様が人間を瞞したりね。しかし、それが瞞しておくと、だんだん弱ってきちゃうんです。その弱ってきたのはイギリス、フランスを見ると解ります。近来意気地がないですね。みんな、中央アジアにある植民地もだんだん離れて、仏印も結局離れます。仏印からビルマですね。あの地方はぜんぜんフランスの勢力がなくなったからね。そこでホーチミン軍に攻められて、一生懸命に維持しょうとして、うんと金使ったんですね。たいへんなものですよ。うんと金を使ったために、貧乏になった。そこにアメリカからヨーロッパ統一軍を作るんで、ヤンヤ言われるんで、なるほどソ連のほうも危ないから、軍備をある程度しなければならないが、金がない。それがフランスの政変ですよ。総理大臣ができてもできてもすぐに駄目になっちゃう。今度三度目の、変な名前のあれも怪しいものです。結局因の因はフランスの国民が弱ったからです。活動力がなくなったからです。イギリスとくると、もっとひどい。イギリスは戦勝国……勝った国ですが、かえって日本、ドイツのほうがありますね。老人のようです。活動力がないから生産がうんと減ったんです。日本が戦後五、六年経って……去年ですね。去年でも、日本の綿糸……木綿ですね。生産が世界一になって、イギリスのほうが負けちゃったんです。そんな具合に、軍備とかそういった勢力がなくなった。無論元気もないから、そこでおかしな話だが、中共政府をイギリスは先に承認しちゃったですね。いまじゃ後悔してますがね。ところが米国は承認しないからね。そこが米国とイギリスの違いです。というのはイギリスは香港を失うのが恐いんです。そこで中共を承認せざるを得ないんです。いまイギリスではポンドがなくなっちゃって、財政危機はたいへんなものですね。アメリカが助けているから、どうやらやっているようなもので、実に危ないものですね。ずいぶんアメリカから金を貸すんですが、じきにそれがなくなっちゃう。日本からも、二億円買おうとしているが、日本じゃポンドが多過ぎちゃってね。ポンドはうっかりすると、価格が下がる憂いがあるので、そうなるとたいへんで、日本でもポンドを増やさないようにしているが、そんな具合で、ポンドが非常に頼りないということは、生産が減ったからです。生産が思うようにないというのに、国民のカが弱ったんです。弱ったというのは、医学のためです。薬のためです。この根本が種痘ですからね。イギリスが一番最初に始めた。イギリス、フランスと、そういう順序になっている。そこで種痘が一番行なわれていないのは、ソ連なんです。米国はどうかというと、米国も遅いんです。あれはほとんど移民ですからね。最初にイギリスのピューリタンが渡航した。あれが先祖ですからね。二〇〇人ですかね。増えたと言っても、たいしたことはない。ですからソ連、米国は威勢が良いんですよ。そんなような具合で、神様のほうは、薬で弱らせるのは、このままでいったら世界の人類は駄目になるから、で、これ以上やらない……私がメシヤ教であばいているのは、神様の弱らせ方法を打ち切りにするというのが本当なんです。これほど文化を発達させて人間の智識をこれほどにしておけば、今度健康にしてやれば、鬼に金棒になりますからね。それで初めて地上天国ができるんですね。これは根本的の理由なんですがね。で、その力ですが、力を……神の力を現わさなければ、目が覚めない。その力を見せているんですね。