昭和二十六年十月十五日 『御教え集』三号 (2)
御伺い 私の長男(K・S)本年三月初め視力がなくなり、その際御開示をいただきまして後、五月上旬御守護いただきましたが、その後二回浄化がございまして、現在は眼が翳み、目脂が出まして、眼がイライラいたします。私の家の先祖からお祀りしておりました地の神を、現在諏訪神社(村の産土神)として村でお祀りいたしております。また神社の裏にありました池を、現在は氏子一同にて水田として耕しております。昔、その池の魚は片目だとの伝説もございます。なお屋敷内にありました古井戸を埋めましたので、K明神としてお祀りしてございます。長男の眼の御浄化と諏訪神社と霊的に関係がございましょうか。お伺い申し上げます。
昭和二十六年十月十八日 『御教え集』三号 (5)
よく、宗教を替わった場合に、特に神道ですが、神道に祀るのが良いとして、また先生にもそういうふうに勧められますが、それが、祖霊にとっては非常に有難迷惑なんです。それを霊が出て言うんですから、一番はっきりしているんですが、以前から私が、やたらに改宗してはいけない。一軒の家族でも、揃って改宗することはめったにないんですからね。ところが、やっぱり祖霊さんでも同じことで、天理教の信者になっても、俺は嫌だ。昔からの仏界のほうが良いという祖霊のほうが多いですから、それを気づかせようと思って、天理教に入ってから、重い病気になったり、苦しんだりするというのは、そういうわけなんです。またキリスト教に入って先祖を祀らなくても良いと、祖霊を祀るのを止めますが、祖霊は悲しんだり怒ったりします。ところがメシヤ教は違います。信者になったというだけでも喜びますから、不賛成という者はないんです。これは霊が憑ってよく言います。それでも、中にはこういうのがあります。御嶽教、豊川さんと、いろんなのがありますが、そういうので、役員になったりしたのが、霊界に行ったのは、メシヤ教は良い宗教には違いないが、癪に障ってしようがない。邪魔してやれというのがいる。また狐が憑って邪魔する場合もありますからね。すぐに祀り替えや、そういうことはしないようにして、以前通り祀ってやって、何年か経ってから、メシヤ教が分かってくるから、ぜひ祀られたいという気分が起ってきますから、これが一番安全なんです。稲荷なんかそうですね。狐ですから、悪いほうが多いが、メシヤ教というと、とんでもない。邪魔してやれというのがいる。この間の『地上天国』の質問応答に、そういうのがありました。これは、先生が知らないんです が、要するに指導者の失敗ですね。光明如来様をお祀りするや否やすぐに処分してしまった。それで狐が怒って……というのがあった。それで、処理の仕方が早かった。ということを答えた。そんなわけで祖霊さんを祀り替えるというときも、慎重にしなければならないという生きた実例なんです。それで、いずれメシヤ教のほうの祀り方……形式をこしらえますが、いまのところは、こっちのほうで、そういう形式になってないんだから、いばって言えませんが、そういう点はメシヤ会館ができてからです。本部の形が一通りできてから、そういう冠婚葬祭のやり方について考えます。やはり順序からいって、本部の形ができてからでないと、順序が違うんです。それで、それまでは待ってもらうとして、いまのお蔭話も、祖霊さんについてのこういう実例を見ると、たいへん参考になりますから、それで読んだのです。
昭和二十六年十一月一日 『御教え集』四号 (2)
御伺い 昭和二四年一二月入信の信者U・N(五九歳)、同年九月初め、右足を蟻の巣に踏み入れたため、そこに小さい傷ができ、それが二、三日するうちにキリキリと痛み出したので御浄霊をいただきましたところ、痛みはますますひどくなるばかりで、ついに歩行もできなくなりましたが、一二月ごろから小康を得、杖にすがって歩くことができるようになりましたので、さっそく教修をいただく光栄に浴しました。傷口は依然として残り、毎日相当量の排膿がありました。翌二五年二月ごろより、全身が浮腫み始め、しだいにひどくなり、五月ごろには口中、特に舌が痺れ、火傷のような痛みを感じ、ついには顔面まで痺れ、同時に手足の第二関節までローソクのように白くなり、感覚がなくなってしまいました。このころふと邪神にやられ、病院にもちょっと行き、手当てを受けましたが、排尿はますます悪く、ために全身は浮腫み、心臓の動悸も激しくなりましたので、ふたたび御浄霊をいただくうちに、一二月ごろ足の傷はやっと治りましたが、最近また、右足に傷口ができ、痛みも以前と同じような状態となってまいりました。二〇年前、胃潰瘍、腎臓炎、肋膜、腹膜、膀胱、盲腸、肺炎を一時に患い、生命の危険を感じたこともございました。注射の名は解りませんが、二本以上打つと生命の保証はできないという注射を、主人と同意の上、毎日二本ずつ一カ月続けて打ちました。やっと生命は取り止め、一年病床につき全快いたしましたが、以後右の足が常に腫れています。私の家は、昔お寺の屋敷跡で庭の隅には先祖の墓と無縁仏の墓がありますが、本年八月、家の墓を山の墓地に移したときに、その無縁仏の墓も一所に移し、仏壇には「諸霊位」として祀ってあります。ちなみに御屏風観音様は二四年四月、御神体は二六年五月御奉斎させていただいております。右御開示のほどお願い申し上げます。
昭和二十六年十一月十一日 『御教え集』四号 (2)
御伺い 先祖の関係はございましょうか。
昭和二十六年十二月六日 『御教え集』五号 (7)
御伺い 私の兄J(三二歳)本年六月ごろは、浄霊または御神殿に行くのを嫌い、その節お伺い申し上げ、祝詞を奏げて浄霊するようと御垂示を賜り、御浄霊をいただき御神殿に休ませていただけるようになりました。現在は便所に行くにも心臓が苦しく一、二回休んで行くような状態でございます。左側延髄より頭にかけて痺れ、前頭部を針で刺すように痛み、目の前が暗くなってまいりますが、動かねばなんともなく、また鳩尾の所に玉のようなものができるとたいへん苦しく、食物がつかえ、特に油気の多いものを食べると、心臓が苦しくなります。絶えず左乳の所がひどく脈を打ち、顔色悪く体は冷たいほうです。兄は一八歳のときに後頭部を強く打ち、兵隊のとき、内地で心臓部に予防注射を打ったこともあり、二一年八月、心臓性喘息で御浄霊いただき一カ月ほどで良くなり、その後家族全部入信させていただき、大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎。二三年に疥癬の御浄化をやり、家中で兄が一番ひどくできましたが、一〇カ月ほどで全快させていただきました。そのころ、皇大神宮、熱田神宮を始め、家中の御本尊などをまとめて、お供えものをし、善言讃詞をお奏げして、氏神へ収めました。その中に一〇年前、父が病気中お迎えした何神様か分からぬものがあり、稲荷さんではなかったかと思われます。先祖代々の位牌も作り、面識のあるものは、別々にして古いのは焼きました。父親の父が胃病で死病しておりますが、位牌は別になっておりません。兄弟の分は一つの位牌に二人の名前を書いております。右は霊的関係の御浄化でございましょうか。また御浄霊の急所を御垂示賜りたくお願い申し上げます。
昭和二十六年十二月八日 『御教え集』五号 (10)
御伺い T・T(二九歳)、腎臓病が悪化し、医師に見離され、御浄霊にて御守護いただき、入信いたしました。お腹の御浄化で、だんだん張って臨月くらいになり、心臓も苦しくなりましたが、動くことはできました。上下に汚物をたくさん出し、お腹はふつうになりましたが、三カ月ほどすると、再浄化いただき、前の半分くらいに張り、たいへん苦しく、足はぜんぜん立たなくなり、横にもなれず座ったままです。下痢はしておりますが、出るのを感じません。膝に薄赤色の斑点ができ、破れそうになり、お腹の上部に水ぶくれができて、汁が少しずつ出ております。お道のことは、母親だけ少し解っておりますが、父親および家族全部は解っておりません。御先祖は祀っておりません。お祀りするように話ましたが、その気持ちはございません。里に帰っておりますが、嫁入り先はぜんぜん解りません。御浄霊の箇所御垂示のほどお願い申し上げます。
昭和二十六年十二月十八日 『御教え集』五号 (1)
御伺い 連れ子をしてS家に再婚し、その末子(I・T二九歳)は昭和二〇年の暮れごろより失恋の結果神経衰弱となり、悪化して二二年春ごろより完全に精神病となり、二四年九月M精神病院に入院、各種療法、電気治療を三六回ほど繰り返しました。また仏の因縁とて霊友会に入会し、一心に供養いたしました。それよりしだいに快方に向かい、本人の希望により退院を申し出ましたところ、まだ完全な治療を施してないので、完全に治癒していない。とにかくベストを尽くすべきだ、とて強いられるままに手術をし、その経過香しくなく、「九分九厘は治癒したが、後の一厘が治癒しない。しかし、現代医学の最善を尽くしたので、これもやむを得ない」と言われ、手術前より悪化したまま、本年一月退院し今日に至っております。去月一〇日にお道のことを聞き、さっそく御浄霊をお願いいたしました。御浄霊前は常識外れのことばかりいたしておりました。私の浄霊は厭がりましたが、支部長先生の御浄霊はおとなしくいただき、最近ではたいへん落ちついてまいり、熟睡できるようになり、顔の艶も良くなり、目玉も上がりぎみで白眼がちでありましたが、少し下がって黒眼がちとなり、声もたいへん静かになってまいりました。電気療法や手術をいたしておりますが、今後どのようにいたしましたらよろしいでしょうか。なおどこを主に浄霊いたしましたらよろしゅうございましょうか。主人は頑固で信仰を嫌い、近所の家を借りて、そこに出張いただき御浄霊をいただいております。なお、Tが退院後間もなく、霊友会でいただいたもの(仏壇中央に貼るもの)をはがして破り棄てた後は「位牌が見えなくなった」と言って、仏壇内のものを全部払い落とし、ボロや自分の脱ぎ捨てたものなどを押し込んだりいたします。なにか先祖関係、霊的関係がございましょうか。
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(28)
ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるが、これはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様、親子兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。
位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(霊および霊界)(11)
御伺い 憑依霊は副霊の働きの強いときに憑依するでしょうか。また憑依する霊は先祖に関係あるでしょうか。
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(47)
御伺い 脊髄カリエスは巫子などにより先祖の因縁を調べたほうがよろしいでしょうか。