キーワード:「供養」

昭和二十四年七月二十一日  日光会報四号 「妙智の鍵」(1)

 釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。元来祖霊は全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで、子孫が拝むときだけ仏壇に集まるものである。その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られない。つまり八衢以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られないのである。お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここからお入りくださいという目印である。これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので灯りを見せないと霊がまごつくからである。ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるが、これはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様、親子、兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。

昭和二十五年十一月二十五日 地天18 「神智の光」(10)

〔 質問者 〕(一)H・N(三三)は八年前中国に出征中糧秣運びに使った中国人に酒を飲ませたところ言うことを聞かなくなり、激昂のあまり左胸を銃剣で貫き、死体を池に蹴り込みました。それより左肺の痛みを覚え、内地に送還され、左右肺結核および喉頭結核になり、苦しんでおりましたところ、このお道を聞き、二四年三月入信しましてからは声も出やすくなり働いておりましたが、最近、また左肺の痛みに苦しんでおります。殺した中国人の姓名も、殺した日も場所も覚えていないそうですが、このような人の供養はいかがすればよいのでしょうか。お教えくださいませ。

 (一)供養しなくてもよろしい。できるだけ御神書を拝読し浄霊を続ければ治るはずである。

昭和二十五年十一月二十五日 地天18 「神智の光」(11)

 ところが今度家を増築いたしますとき、水道を引くまで使用しておりました井戸の上に食堂を作りまして、冬になると、鍋物料理の部屋に改造することになっております。申し遅れましたが、その井戸は、先生方の御指導もあって、水神様の供養もしていただいており、それ以来店のほうもうまく行っております。家族の者はこのようなことを話しましてもわかっていただけませんし、それと言って、井戸をそのように取り扱うと、せっかく良くなってまいりました主人が、また悪くなるような気がしてなりません。いかが取り計らえばよろしいでしょうか、お伺いいたします。

昭和二十五年十二月二十五日 地天19 「神智の光」(14)

〔 質問者 〕九月一三日ごろから約一カ月に亘り、妻が産褥の大浄化をいたし苦しみましたが、「妻の実家の祖霊の供養をすれば良い」との御教示を実行いたしましたところ、たちまち快方に向かい、最後の日のお祭りがすむと◎のように良くなりました。これを機会にいままでこの教えの良いことを充分識っていながら、世評を気にして入信しなかった実家の人々を入信させたいと思いますが、まだ時機が早いでしょうか。またこのような状態にある親戚がたくさんあるのですが、今後このように親戚の諸霊に頼られた場合、一々祀ってやるべきでしょうか。また霊界と現界の救いの順序をいかにしたらよいか御教示願います。

昭和二十六年十月八日 『御垂示録』三号 (24)

〔 質問者 〕牛を殺している商売ですが、娘が入信しており、両親は反対ではありませんが、入信しておりません。牛の供養をさせていただきたいと思いますが、どのようにいたしたらよろしいでしょうか。

昭和二十六年十二月十八日  『御教え集』五号 (1) 

御伺い 連れ子をしてS家に再婚し、その末子(I・T二九歳)は昭和二〇年の暮れごろより失恋の結果神経衰弱となり、悪化して二二年春ごろより完全に精神病となり、二四年九月M精神病院に入院、各種療法、電気治療を三六回ほど繰り返しました。また仏の因縁とて霊友会に入会し、一心に供養いたしました。それよりしだいに快方に向かい、本人の希望により退院を申し出ましたところ、まだ完全な治療を施してないので、完全に治癒していない。とにかくベストを尽くすべきだ、とて強いられるままに手術をし、その経過香しくなく、「九分九厘は治癒したが、後の一厘が治癒しない。しかし、現代医学の最善を尽くしたので、これもやむを得ない」と言われ、手術前より悪化したまま、本年一月退院し今日に至っております。去月一〇日にお道のことを聞き、さっそく御浄霊をお願いいたしました。御浄霊前は常識外れのことばかりいたしておりました。私の浄霊は厭がりましたが、支部長先生の御浄霊はおとなしくいただき、最近ではたいへん落ちついてまいり、熟睡できるようになり、顔の艶も良くなり、目玉も上がりぎみで白眼がちでありましたが、少し下がって黒眼がちとなり、声もたいへん静かになってまいりました。電気療法や手術をいたしておりますが、今後どのようにいたしましたらよろしいでしょうか。なおどこを主に浄霊いたしましたらよろしゅうございましょうか。主人は頑固で信仰を嫌い、近所の家を借りて、そこに出張いただき御浄霊をいただいております。なお、Tが退院後間もなく、霊友会でいただいたもの(仏壇中央に貼るもの)をはがして破り棄てた後は「位牌が見えなくなった」と言って、仏壇内のものを全部払い落とし、ボロや自分の脱ぎ捨てたものなどを押し込んだりいたします。なにか先祖関係、霊的関係がございましょうか。

昭和二十六年十二月二十五日 『御教え集』五号 (明主様御聖誕祭)(1) 

御伺い F・M(三四歳)未入信の男子。戦争中大鳥島にて、鳩くらいの渡り鳥をなぶり殺しにして食べたそうですが、その後栄養失調となり復員し、医療にていったんは回復しましたが、二カ年後にときどき食物を吐き、栄養失調のような状態になり、医療や鍼の治療を続けるうちに、昨年一二月よりしだいに視力が弱り、間もなく完全に失明、その後日蓮宗の人より、鳥が怨んでいると言われ、位牌を作って供養してもらいましたら、食物は吐かなくなりましたが、眼は変わりなく、本年四月母親が入信して、熱心に信仰するうちに、しだいに本人の気持ちも動き、二カ月ほど前より母親の御浄霊をいただくようになりました。最近、食事のときに咽喉が詰まるようなことがあり、また右の手足に思うように力が入らず、言葉もはっきりいたしません。鳥霊の祟りとは本当でございましょうか。もしそうでございましたら、それに対する処置と御浄霊の箇所を御垂示賜りたく謹んでお伺い申し上げます。

昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(28)

御垂示 釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くというが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれて子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(霊および霊界)(20)

御垂示 位牌が本当だ。そうでないのは嫌がる霊もある。過去帳は祖先の帰幽を忘れぬために、年、月、日を記くのである。毎日の礼拝、法事や供養するとき、霊がうつるための位牌である。過去帳などは位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。繰位牌も感心しない。

昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(霊および霊界)(26)

御垂示 家畜類を殺して食うことの可否は一概には決められぬ。営業で殺す場合は割合に罪は軽いが、そうでないのは重いわけで、動物といえども殺されれば怨む。その怨みもたくさんになると、共同して人間に対し恨みを返すことになる。故に年に一遍くらいまとめて供養してやるといい。そうすれば罪は消える。営業でなく自家の家畜を殺す場合は怨みが大きいから必ず供養してやる要がある。そうしてそのとき幽世の大神様に、「その家畜類がこの次は転生して人間に生まれ代わらしてくださるよう」お願いしてやると、かえって大きな功徳となるのである。