昭和二十四年三月一日 講話(14) 地天03 「妙智之光」
宇宙一切のものは人間のために存在するのであるから、いかなるものでも人間のために役立たしむべきが本当である。動物を食うことは一種の小さい罪にはなるが、供養してやればよい。その中でも特に鶏、鰻の類はぜひそうすべきである。よく鰻屋と鳥屋は良くないと言うがそれは供養を怠るからである。
昭和二十四年九月二十五日 講話(7) 地天08 「妙智之光」
位牌が本当だ。そうでないのは嫌がる霊もある。過去帳は祖先の帰幽を忘れぬために、年、月、日、を書くのである。毎日の礼拝、法事や供養するとき霊がうつるための位牌である。過去帳は、位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。繰位牌も感心しない。
昭和二十四年七月三十日 御講話(8) 『光』二十号 「超人的の業」
〔 質問者 〕私は営業のため牛、馬、羊、豚その他の家畜をそうとう殺すのでこれらの霊を供養してやりたいと思いますがどういう方法で供養したらよろしいでしょうか。
昭和二十四年二月一日 実生News二月 (16)
いずれもたいして問題はないが、常識的に言えば、代々之霊位がよい。過去帖、繰位牌は位牌を作るべきである。だいたいある物の使命、用途を考えるべきで、過去帖は元来祖先の戒名や命日を忘れぬために記録してあるもので、供養の対象ではない。供養のために位牌があるので、それに祖霊がお憑りになるのである。繰位牌も感心せぬ。
昭和二十四年四月二十日 実生News四月 (7)
〔 質問者 〕ある鰻屋の妻女が腹部の病気で二回も開腹手術をいたし、その後も健康勝れず、このたび御浄霊を受けましたところ、身体をクネラセて霊の憑依状態を現わし、また、その間その妻女の目に鰻の首が無数に見えたようですが、鰻の霊を祀るにはいかがいたしたらよろしゅうございましょうか。また鳥屋スッポン屋などの家庭にも不具者が出ますが、これらの霊の供養の方法を御教えをお願い申し上げます。
鰻も龍神の一種で、一年に一回供養をする必要がある。それは新しい盥に水を入れ、御供物を供え祝詞を上げ幽世の大神にお願いをし、霊界で救われるように、また因縁の魂は人間に生まれ代わるよう念じてやればよい。
鳥、スッポンも怨みの霊である。鰻同様しかるべく供養してやれ。
昭和二十四年七月十日 実生News 七月 (1)
釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。
昭和二十四年三月 直心会報03 「無碍光」(8)
刃物類を置くのは昔から魔除けとされており、動物霊が憑依するのを防ぐためであるが、むしろそれよりも生きている人間のほうの気休めが多いでしょう。着物を左前に着せるのは霊界と現界は逆であるからです。一膳飯に一本箸を立てるのは死人は「体」がないから一本箸で結構、生きているときは霊、体と二本になる。一膳飯の理由は、霊は一日三粒で足りるから一膳飯を供えればたいへん供養になる。枕団子はいかなる貧者といえども供養ができるからお供えをして霊を慰める。
昭和二十四年八月一日 直心会報08 「妙智の鍵」 (33)
〔 質問者 〕地縛の霊がおられる現場はたびたび同様の事故が起りますが、事故防止をするため供養の方法につき御開示をお願い申し上げます。
昭和二十四年四月十日 日光会報 3.4月 「観音妙智力」(5)
いずれもたいして問題はないが、常識的に言えば代々之霊位がよい。過去帳は元来祖先の戒名や命日を忘れぬために記録してあるもので、供養の対象ではない。供養するために位牌があるので、それに祖霊がお憑りになるのである。繰位牌も感心しない。
昭和二十四年五月二十二日 日光会報 5月 「観音妙智力」(6)
家畜類を殺して食うことの可否は一概には決められぬ。営業で殺す場合は割合に罪は軽いが、そうでないのは重いわけで、動物といえども殺されれば怨む。その怨みもたくさんになると共同して人間に対し恨みを返すこととなる。故に年一遍くらいまとめて供養してやるといい。そうすれば罪は消える。営業でなく自家の家畜を殺した場合は恨みが大きいから必ず供養してやる要がある。そうしてそのとき、幽世の大神様に「その家畜類がこの次は転生して人間に生まれ変わらせていただけるよう」お願いしてやると、かえって大きな功徳となるのである。