キーワード:「供養」

昭和二十四年八月三日 講話(14) 光録14

 それから、猫は殺しちゃいけませんね。牛なんかは殺してもしかたがない。しかし、一年に一回供養してやることですね。これは自然死でも撲殺したときでも同じですね。

昭和二十四年八月十三日 講話(5) 光録14

 これは霊界で三角関係になりますね。(笑声) これはそばに置いたらいいんです。けれども順序は正しくしなければいけませんよ、ぜんぜん霊線が離れるわけじゃないんですから。供養するときには霊は来ますからね。そして、来ても順序が正しくないと、霊はかえって苦しんだりするんです。

昭和二十四年八月二十三日 講話(13) 光録14

 死者の写真はね、一年くらいは外しておいたほうがいいですよ、写真を見ると始終死んだ人のことを思い出しますからね。ところが思い出されることは霊にとって必ず迷惑になるんです。例えば、その霊が天国に救われるような場合でも、思い出されるたびに現界へ引っ張られますからね、天国へ行くのが遅くなってしまうんですこぶる迷惑なんです。しかし、ぜんぜん忘れちゃったんではあんまり薄情な奴だと思いますからね、まあ、適当に思い出すんですね。(笑声) 殊に、供養するときには一生懸命に誠意をこめるんですよ。ふだん始終思い続けるっていうのはいけないんです。写真でも拝むと死者の霊がやはり写真に来るんですからねえ。それに、霊だって一々面倒ですしね、嫌がりますよ。だから、まあ一周忌のすむくらいまで外しておいたほうがいいですよ。それからなら差し支えないですがね。

昭和二十五年一月二十日 講話(38) 光録16

 お祀りすると治るってのもありますが、まあ比較的少ないですね。また、こういうこともあるんです。お祀りすればいいって言うけど、霊は形式だけじゃ駄目ですよ。どうしても祀る人が心をこめて本当に供養するつもりでやらなけりゃいけませんよ。ただ祀ったからってそれだけじゃ霊は満足できないんです。

〔 質問者 〕供養の際雑念が入るのもいけませんでしょうか。

昭和二十四年三月一日 講話(5) 地天02 「妙智之光」

【 明主様 】釈尊の大慈悲から孟蘭盆会<うらぼんえ>というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

昭和二十四年四月二十日 講話(11) 地天02 「妙智之光」

【 明主様 】家畜類を殺して食うことの可否は一概には決められぬ。営業で殺す場合は割合に罪は軽いが、そうでないのは重いわけで動物といえども殺されれば怨む。その怨みもたくさんになると共同して人間に対し恨みを返すことになる。故に年に一遍くらいまとめて供養してやるといい。そうすれば罪は消える。営業でなく自家の家畜を殺す場合は怨みが大きいから必ず供養してやる要がある。そうしてそのとき幽世の大神様に「その家畜類がこの次は転生して人間に生まれ代わらしてくださるよう」お願いしてやると、かえって大きな功徳となるのである。

昭和二十四年四月二十日 講話(1) 地天03 「妙智之光」

 宇宙一切のものは人間のために存在するのであるから、いかなるものでも人間のために役立たしむべきが本当である。動物を食うことは一種の小さい罪にはなるが、供養してやればよい。その中でも特に鶏、鰻の類はぜひそうすべきである。よく鰻屋と鳥屋は良くないと言うがそれは供養を怠るからである。

昭和二十四年九月二十五日 講話(6) 地天08 「妙智之光」

 位牌が本当だ。そうでないのは嫌がる霊もある。過去帳は祖先の帰幽を忘れぬために、年、月、日、を書くのである。毎日の礼拝、法事や供養するとき霊がうつるための位牌である。過去帳は、位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。繰位牌も感心しない。

昭和二十四年三月一日 講話(5)  地天03 「妙智之光」 

【 明主様 】釈尊の大慈悲から孟蘭盆会<うらぼんえ>というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

昭和二十四年三月一日 講話(11)  地天03 「妙智之光」 

【 明主様 】家畜類を殺して食うことの可否は一概には決められぬ。営業で殺す場合は割合に罪は軽いが、そうでないのは重いわけで動物といえども殺されれば怨む。その怨みもたくさんになると共同して人間に対し恨みを返すことになる。故に年に一遍くらいまとめて供養してやるといい。そうすれば罪は消える。営業でなく自家の家畜を殺す場合は怨みが大きいから必ず供養してやる要がある。そうしてそのとき幽世の大神様に「その家畜類がこの次は転生して人間に生まれ代わらしてくださるよう」お願いしてやると、かえって大きな功徳となるのである。