キーワード:「供養」

昭和二十三年六月八日 御講話(3) 光録(補)

 (二)できるだけ永いほうがいいです。昨日の質問に「霊を供養してもその霊が生まれ代わってこの世に来てしまっている場合はいかがでしょう」とあったが、そういうふうに霊界に不在のときその供養は現界に戻ってきて、ある程度その人の霊を高めることに役立つのです。古い仏のもまあ臨機応変にしたらいいです。古いのは強いて坊さんを頼まなくてもよい。ふつうは一七回くらいまでです。

昭和二十三年六月十八日 御講話(9) 光録(補)

 鰻は龍神の変わったものでふつうの魚と違います。殊に耳のある鰻は「蟠龍」と言って、これを殺して食えば必ず祟ります。少しずつ殺しても長い間にはそうとう怨みが溜まるから祀ったらいい。なにか鰻の霊の憑きやすいようなもの、位牌のようなものへ龍神として、あんたの名前は? 折原? そんなら「折原明神」として高い所へ上げ、酒、米、水、魚……魚は共食いになるからやめたほうがいいですね。まあそんなものをお供えして祝詞を上げればいい。あなた、じゃ変だし、鰻さんかな、「お蔭で商売させていただいてありがとうございます。今度御供養しますからそのつもりでいてもらいたい」というふうなことを言葉で言ってから祝詞を上げなさい。月一度日を定めて祀ったらいい。龍神だから必ず水を大きな容器に入れてお供えする。御軸をお祀りしている床の間に祀ってもいいですよ。多少鰻は苦しいかもしれませんがね。

昭和二十三年七月八日 御講話(13) 光録(補)

 〔 質問者 〕漁師は魚類の供養をいかがしたらよろしいでしょうか。

 一年一度くらいは供養したほうがよい。漁村には眼の悪い人が多いがこれは魚の怨みですよ。よく波を見るから眼が悪くなると言うがそんなものではない。供養の方法は供養するつもりでやれば供養になる。観音様のお祀りのとき魚霊と書いて観音様の前に置き祝詞を上げればよろしい。

昭和二十三年八月二十八日 御講話(16) 光録(補)

 空洞というが私は合点が行かない。私は医者ではないし解剖してみたくもないからはっきりしたことは言えないが、おそらく毒の固まりだと見ている。肺病で死んだ体を解剖するとき、毒素が収縮して固まり空洞になるのでしょう。……肺結核の場合体中どこからでも痰や咳が出る。殊に頭と股です。以前股だけやって肺病が治ったことがあります。これは体のあらゆる部分の毒は溶けるといったん肺に入り痰になって外へ出るからで、肺はちょうどゴミダメのようなものです。医者はこんなことが判らないのです。肺結核なんかみんな医者が製造するのです。だから大病院の近くは死亡率が高いですね。なんだって物が停滞していてそこに湿気と温度があれば黴菌は湧くんです。だから肺病はまったく自家発生です。死霊が憑いて間もないのはすぐ出ます。先に私の奥さんに肺病の霊が憑き、突然肺病三期の症状を呈した。で、さっそく調べたら一年前に死んだ鈴木某で「祀ってやるから離れろ」と言ったところ、すぐけろりと治ってしまったことがありました。肺病が重くなり衰弱すると憑くので、兄弟の霊も憑きやすいです。それはなぜかというと重病で血が薄くなるとそれだけ霊も薄くなるので死霊なんかが憑きやすくなるのです。死霊だと判ったら「いま訊ねるから首で返事をしろ」と言って、「あんたは死んだ人ですか」「男ですか」「年は若いか(老人か)」「肺病で死んだか」などそうして調べたらよい。その場合患者は正座させておく。あらかじめ観音様に「ただいまから調べますから御守護をお願いいたします」とお願いし患者に祝詞を上げてから調べるのです。また供養するにしても仏をただ祀るだけではだめで女中に仏壇へ食物を上げさせても仏は食べられない。やはり当事者が心をこめて祀ることです。

昭和二十三年十二月十日 御講話(4) 

〔 質問者 〕轢死溺死者などの変死者の霊は地縛の霊と言って、相当の期間その死の場所から遠くはなれることができず淋しがって、ほかの霊を招く。これが魔の踏切とか魔の渕とか言われるゆえんであることはご存じのことと思います。そして、お仏壇にその人の位牌をに祀り供養する場合は霊はその位牌に来れるでしょうか。

 来れません。しかしお祀りする人々の想念によってその霊に伝達し、その功徳で霊は浄まり地縛の期間が短縮されます。よく供養をなすべきです。

昭和二十四年四月二十三日 御垂示(34) 光録06

〔 質問者 〕今度、私の家で近所との交際上、総供養の儀式をやってくれと頼まれております。その式には、阿弥陀如来の掛軸をかけることになっておりますが、光明如来様の御軸を一時外させていただいて式をしてもよろしいでしょうか。

【 明主様 】光明如来様の前でやったほうが、供養されるほうも喜ぶんですがねえ。光明如来様は日、阿弥陀如来様は月、日と月ほど違うんですからね、そこをよく説明して上げたらいい。それでも判らなければ断ればいいですね。掛け換えるのはおもしろくない。断るよりほかにしかたがないですよ、道に外れますからね。ちょうど、電灯を消して、蝋燭《ろうそく》をとぼすようなもんですよ。

昭和二十四年八月二十一日 講話(25) 光録11

 じゃあ、もうそろそろ原則から言えば遠のくわけですがね。……しかし、その霊の執着にもよりますからね。それにこんなのは永いですよ、人を殺してますからね、その罪によって永く苦しむんです。そして、よくこの霊を供養してやったり、子孫が徳を積むとこの期間が早くなるんです。私なんかが行くと一遍ですよ、光によってね……

昭和二十四年八月二十一日 講話(35) 光録11

 実際、戦場の跡なんかにはよくこういうことはありますよ。こんなのは供養してやるといいですよ。その付近に石碑を建てるんですね。よく、「三界万霊供養」なんて石碑があって、観音様が彫りつけてあったりしますがね、そういう意味なんですよ。もしそんな場所がなければ自分の家の仏壇に位牌をこしらえてね、「三界万霊之供養」……「三界万霊之救」でもいい……そう書いてね、祖先の位牌より大きいとまずいから祖先のより小さくして、仏壇の端のほうにおいて供養するんです。それでもいいですよ、そうして、光明如来様にお願いすればたいへんな救いになりますよ。

昭和二十四年六月二十三日 講話(12) 光録12

 これはね、どっちでもいいんですがね。結局その人の誠ですよ。供養しようとする人の誠が映るんです。しかし、できたら、そして経済も許したら寺がいいですね。寺っていうのはそういうことの専門の場所ですからね。ふつうの家は人間の住む所ですからね。 

昭和二十四年七月十三日 講話(1) 光録13

 そうも決まってませんがね。しかし、ああいう死に方は地獄で苦しみますね。……それから下山氏のようにバラバラになったのでも、すぐに繋がるんですよ。しかし繋がっても、その繋がった所が当分の間痛んで苦しいんですよ。それで残った人達が誠意をこめて供養すると、その痛みが早くとれてくるんです。例えば爆弾なんかで体がバラバラに飛び散ると、霊も粉々になってしまうんですが、けれどもすぐにまた元通りになってしまうんです。これは割に早くなりますね。たいてい一週間くらいで治りますよ。