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昭和二十八年十一月六日の御講話(2)

 『救世教奇蹟集』はこの間『読売新聞』に出しましたが、毎日と朝日は首をひねっているらしいので、よほど困っているらしいです。私はそれは百も承知しているのです。なにしろ数十万のキリストができているというのですから。良いとか悪いとかと批評はできないのですが、中を読んでみると事実に合っているのです。というよりも、本人が書いたものですから否定するということはできないし、そうかといって、あんまり桁外れな、思いもつかないことであるために気味が悪いのです。私のほうからみると実にナンセンスです。先方はまじめで、そうとう論議をしているだろうと思いますが、なにしろこっちのやり方があんまり時代よりか離れ過ぎているわけです。離れるといっても、上のほうに離れているのです。

昭和二十八年十一月六日の御講話(3)

 二、三日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』という大きな新聞……アメリカでも大新聞のほうでしょう……の東洋総支配人の奥さんで、婦人の記者です……アメリカには婦人で偉いのがいます……なかなか頭が良く、観察や、そういうことが実によく、日本人と違った見方をしていました。そうとうに新聞に出すらしいのです。ずいぶんよく質問し、約二時間ぐらい、いろいろと話をしました。これは無論そうとう紙面に出すようです。「日本におけるとにかく飛び抜けた存在だ、飛び抜けたものが現われた」というような見方をしているらしいです。そして救世教を紹介するのに、自分のところがトップを切りたいという意向なのです。当分の間はアメリカの他の新聞がもしか来ても、話をしないことと、広告をしないことと、そういうことを前もって断ったくらいですから、そうとうに認められるだろうと思ってます。やはり美術館によって一番心を動かしたらしいのです。ああいうようなものは、つまり日本にはまだない、それからその根本は宗教だ、そこで主に宗教的のことを聞きましたが、その中でおもしろいと思ったのは、私が宗教の仕事をしたのは五〇ぐらいからで、本当に専門にやるようになったのは約二〇年ぐらい前からです。ところが釈迦やキリストは、生まれながらというか、ごく若いときに宗教の仕事をやった、私は五〇からというのは実に世界に例がない、珍しいと言ってましたが、そういう見方などは、日本人にはちょっと気がつかないようなことだと思います。いろんな話をしましたが、結局アメリカは緯<よこ>の文明の中心であり、日本は経<たて>の文明の中心だ、だからどうしても経と緯を結ばなければならない。救世教はその結びの仕事をするということは前から決まっているのだから、あなたが来られたのもそういう意味ではないかと思う、というような話をしました。それから熱海の地上天国も見せましたが、非常に驚いて感心してました。どうも見るもの間くもの心を打たれる、だからなんと言ってよいか言葉がないと言って、とにかくこういうような構想はアメリカにもないと言うのです。それでこういうことを聞いてました。「こんな景色の良い所をどうして」と言うから、「私が八、九年前から手に入れてやった」と言うと、「それまで熱海の人がどうして残しておいたか、なにもしなかったということはどうも疑問だ」ということを言ってました。「それはここは薮みたいで、こんなような形さえぜんぜん想像もできないほどだった」と言ったので、やっと分かってました。とにかくこれからアメリカのほうもだんだん燃え始めるだろうと思ってます。ハワイのほうはますます発展しつつありますから、近き将来ハワイはメシヤ島になるかも分かりません。つまりほとんど救世教信者になるとすると、ハワイ島でなくてメシヤ島になるだろうと思ってます。そうすると世界的に注目されてきますから、急激にハワイ全島に拡がるということは、よほどの脅威的力があるものに違いないというようなことになって、そこでアメリカなどもだいぶ注目されて発展してくると、そこで初めて日本の新聞とかそういうものが目が覚めてびっくりすることになり、そうすればこっちの出版物でもなんでも喜んで歓迎し、それからまた私の言ったことはなんでも「結構だ、本当だ、それに違いない」と言って感心するというようになります。それまでのことです。大本教のお筆先に「灯台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがありますが、いま言ったような意味だろうと思ってます。なにしろ日本人は、つまり自信がないのです。劣等感が強いのです。それも無理がないので、昔は支那文化で、なんでも支那でさえあればよいというのです。ですから骨董品でもそうで、唐物<からもの>といえばたいへん尊ばれたものです。それでいま茶入などでも唐物といってあります。もっとも文字からいっさい支那の文化を取り入れたのです。ですから調べてみると、宮中……皇室の行事やいろんなことは支那のものを写したものです。昔から「日本は駄目だ、どうしても外国でできたものでなければ良い物がない」というような、一つの伝統的にそういった信仰というようになっているからして、いまでも舶来物でなければ駄目だというのです。もっともだいたいいまの日本の文化は、みんな舶来ですから無理もないです。化粧品の広告も、いやに「アメリカ、アメリカ」と出てます。アメリカではやるとか、薬がどうとかとあります。ペニシリンの広告に「アメリカ以上の効果がある」とか出てます。しかし化粧品などは馬鹿げてます。アメリカの婦人と日本の婦人とは皮膚が違います。第一食べ物が違います。それを同じに思っているのですから、アメリカ崇拝の結果そういうふうになったわけです。ところが私はアメリカの文化が間違っているというのですから、よほどくい違っているわけです。なにしろ「アメリカを救う」というわけですから、ある時期までは「救世教という奴は変な奴だ」と言うが、そうかといって悪いものとは思えないのです……悪くはないのですから。良いものとしても、少し桁外れだし、そんな偉いものが日本から出ることはない、日本人でそんな偉い者はいないと決めているのです。特に決めているのは……これは世界的かもしれないが……キリストとか釈迦とか、ああいう人よりか偉い人はもう出るはずがない、地球上に現われるはずがないと固く決めているのです。私がキリストや釈迦などはずっと下だと言っても、正気の気違いくらいに思って、どうも少し変だととられるぐらいなもので、そう急には分かるわけがないのです。これもあまりに桁違いなのでしかたがないです。だから『奇蹟集』などは、いずれは大問題になるべきものです。

昭和二十八年十一月七日の御講話(2)

 それから四、五日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』というあっちの大新聞の東洋総支配人の奥さんで、女の新聞記者ですが、来ていろいろ質問して、新聞に載せるのだそうです。それで箱根美術館も見たし、熱海の地上天国も見せたので、非常に感心して、なにを見ても聞いても心が打たれ通しで、なんと言ってよいか言葉で表わせないというようなことを言ってました。ところが昨日聞いたところによりますと、教主様に会ったけれども、自分には荷が勝ち過ぎて、どうもたちうちができない、まあ負けた形だというのです。しかしずいぶんいろいろな質問をして、自分ではそうとう自信があるらしかったです。私も思いきって話しました。その人の主人はいま朝鮮にいるらしいですが、いずれ東京に来たときに、ぜび主人と十分談話を交<かわ>してもらいたい。それでぜび『トリビューン』にそうとう大きく扱って出すという希望だそうです。「世界平和の建設者」という標題で書くつもりだと言ってますが、非常におもしろいと思います。これで一躍米国に救世教というものが知れるわけです。将来あっちに宣伝するうえにおいて、とにかく第一印象を与えておくということは非常によいと思います。先方で感に打たれたといいますか、印象づけられたのは、とにかくアメリカは白人文明、西洋文明の代表者だ、日本は東洋文明の代表者だ。つまりアメリカは緯<よこ>の文明だ、日本は経<たて>の文明だ。だからこれを結ぶということが世界としては一番重要なことで、これによって本当の文化が生まれるのだ。だからあなたのほうで私のほうを新聞に載せるということはその第一歩だ、つまり結ぶ第一歩です。だから非常な結構なことだ、というようなことを話したので、そういうようなことは向こうでも非常に印象づけられたように思われます。ただ向こうで言うことでおもしろいのは、私が宗教を始めたのは約五〇ぐらいのときからだと言ったところが、これは珍しいというのです。釈迦やキリストでもずっと若いときからだったけれども、あなたは五〇からというと、そういう年輩になってから大きな宗教的存在になった人はないと言うのです。この点は非常に珍しいことを言ってました。これは私もウッカリしていたことで、おもしろいと思います。それから共産主義はどう思うと言うから、あれは私は問題にしてない、あんなものは決して成功するものではないからと言ったら、どういうわけだと質問するから、人間で言えばアメリカや日本は上半身だ、それで下半身が共産主義国……ソ連……だ。つまり足にあたるのだ。だからもしソ連が支配権を握ったとしたら、人間は逆様<さかさま>になって歩くようなことになってしまう。そういうことはあり得ることはないと言ったところが、非常に笑ってましたが、あっちの新聞に出すでしょう。ちょうど二時間ばかり話をしました。それからもう一つ私が言ったことは、箱根、熱海、京都の順に地上天国を造るつもりだが、いずれハワイにも造り、アメリカにも造る。そうしてだんだん世界的に増やしてゆくつもりだ。というのは、いままでは公園はほうぼうにできている。しかし公園というのはごく一般的で大衆の憩いの場所というようなもので、私の計画しているものはもっとレベルの高いものです。つまり天然の美と人工の美を取り入れた、上等なものを造る。なにしろ人間が見るものとしては、現在のごとくみんなあまりに俗悪のものが多過ぎるので、見て品性が向上するようなものはほとんどない。見て堕落に導くようなもののほうが多いのだから、少しはそういった高級な、品性を高めるようなものも大いに必要だと思う。そういう意味でこの地上天国を造るのだと言ったが、非常に共鳴していました。まだいろいろありますが、気のついたことはそういう点です。

名古屋市金山体育館での御講話(2)

 最近アメリカの『シカゴ・トリビューン』というアメリカでの四大新聞の一つです。『ニューヨーク・ヘラルド』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』などとともに大新聞です。発行部数は一〇〇万以上だそうです。日刊新聞が六〇頁というのですから大きなものです。まるで日本の雑誌みたいな読みでがあります。あっちの新聞ですから広告が大部分なのでしょう。社員が四〇〇〇人だそうです。本社の建物が二四階というのですから、ちょっと度肝を抜かれる大きさです。その新聞の東洋総支配人の奥さんが来たのです。女の新聞記者というわけですが、なかなか頭の鋭い人です。箱根、熱海の地上天国を見せました。それからいろいろな質問を聞きましたが、日本人と話をするよりか分かりよいのです。日本人の新聞記者などは、よほどこっちが加減してもなかなか分からないのです。それは見方が公平で、急所を見るのです。ですから私も気持ち良く話ができました。約二時間ばかり話をしました。その中で私は一番おもしろいと思ったのは、私のいままでの経歴を話したところ、「あなたは珍しい、釈迦やキリストはずっと若いときから宗教のことをやっていた。ところがあなたは五〇過ぎてから宗教に入ったのだから世界に例がない」と言ってましたが、私もなるほどそう言われてみるとそうだと、ちょっと見方が違うところにおもしろみがあると思ったのです。それからいろんな話がありましたが、その中で気のついたことだけを話します。「天皇制はどうか、天皇制に対してはどういう考えか」ということを質問されたのです。それで私は、「天皇制はないほうがよい」と言ったのです。アメリカが天皇制をやめるようなしかただから結構だ、どうしてかというと、天皇制がなければ、まず日本が戦争を起こすということがないでしょう。この間の戦争にしても、天皇制を利用して一派の者が野心を抱いて始めたことなのだから、つまりそういった機関がなければ、そういった看板がなければ、そういうことができないのです。ですから非常に結構だ。というのは、日本という国は本当の平和の国です。平和の国ということは、要するに世界の公園です。というような、非常に世界的に美しい、世界中の人を慰める、楽しませるという、そういう国柄なのだ、日本の使命はそうなっているのだ、だから戦争などは絶対反対なのだから、徹頭徹尾戦争が起こらないような国家にする。そうして平和的の美、美しい国という、そういう考えで地上天国や美術館を造ったのだ。それからこれからも日本では箱根、熱海、京都に最初造るとして、それからハワイにも発展したので、いずれ地上天国を造るようになるだろう。それからその次はアメリカにも造るし、ヨーロッパにも勿論造る。東洋にも造る。それはなぜかというと、公園は世界各地至る所にありますが、その公園よりもっと上等なもの……公園というものは一般的のもので、大衆が憩い、あるいは大衆の娯楽という意味ですが、もっとレベルの高い美によって人間の品性を高めるというものが人類に必要なのです。私はこれからそういうものを造ろうと思っている。それからもう一つは、今日の人間というものは、娯楽がなくてはいけないが、娯楽といっても、品性を高めるというようなものよりか、品性を堕落させ低めるというもののほうが多い。これは説明するまでもありませんが、そういった観覧物を見て堕落に導くもののほうが多いですから、どうしても少しは品性を高めるというものが必要だ。このことは、そのときには時間がなかったからあっさり話しましたが、少し詳しく話してみますと、つまりこの汚い社会……嫌なことがたくさんある忌まわしいものの中に生活している以上、その魂が汚れるのです。汚すまいと思っても、汚すような事柄がたくさんできてくるのです。話を聞いても、ラジオでも、新聞を見てもそうです。ラジオでは、娯楽以外には世の中の良いことはあんまりありません。そういったことを見たり聞いたりしているために、精神的に濁りが溜まったりいろいろします。そういうものを洗濯する、洗うというものが必要なのです。そのために地上天国といって、天然の美と人工の美というものを楽しみながら見れば、汚れた魂がいくぶんでも洗われる。それからまた美ですが、目によってその人の心の境地が高まるわけです。だからつまり人類社会を良くするには、そういったものがもっとなければいけないのです。ところがいままではなかったのです。地上天国というのは美の世界です。真善美の美です。そういうようなことをやった人はいままでにないので、そのために私がやり始めたのが、いまやっている箱根、熱海です。ところが箱根はできあがって、熱海はいまやってますが、これはみなさんも知ってますでしょう。シモンズという名前の人ですが、お世辞でなく、非常に感銘したようでした。それから熱海は私が直接案内しましたが、非常に驚いて、(これは通訳が言うのですが)事々に「こういった構想はアメリカにもない、なにを見ても心を打たれる」と喜んで帰りました。それから二、三日たって、通訳に当たった人が私の所に始終来る浮世絵専門の道具屋ですが、アメリカの浮世絵を研究している人たちに一週一回、夜講義をしているのです。その人は信者なのです。その人が通訳をしたわけです。その人の話によると、どうやら先方も分かったらしいのです。それで帰ってからの話を聞きますと、どうも自分のほうが少しタジタジだった、荷が勝ち過ぎた、だから今度自分の主人が朝鮮に行っているが、帰ってきたらぜび会っていただいて、また主人が十分話を交換して、自分はアメリカに帰って、『トリビューン』に救世教の紹介をし、そうして岡田という人の記事をぜび書きたい。「世界平和の建設者」という題で書くつもりだ、ということを聞きましたが、これは本当にそうするらしいです。とにかくこの新聞にそうとう出れば、アメリカの人に一遍に知れるわけです。だから神様のほうから言うと、一歩アメリカのほうに足を踏み入れたということになるわけです。それからそのときにこういうことを言いました。つまり文明にも経<たて>と緯<よこ>がある。緯の文明の代表者はアメリカだ、経の国の代表者が日本だ……これは私の書いたものにたくさんあります……ですから経と経の両方を結んで、初めて本当の文明が生まれるのだ、それでその経緯の文明を結ぶということが、救世教の本来の一つの使命だ、ということを言いましたが、そのことについてもたいへん共鳴してました。これは本当なのです。まずその第一歩としてあなたが来られてこういう話を交換されたわけだから、と言ったところが、だいぶ感銘したようでした。この話はそのくらいにしておきます。

京都劇場での御講話(2)

 つい五、六日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』という新聞で、大新聞の一つです。あっちのものでは、『ニューヨーク・ヘラルド』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』それにいま言った『シカゴ・トリビューン』が四大新聞というようなものでしょう。そこの東洋総支配人のシモンズという人の奥さんが来たのです。これは夫婦で新聞記者なのですが、その婦人というのがなかなかなもので、やっぱり記者をするだけあって、さすがにすばらしい頭です。こっちの言うことに対する理解と、急所をつかむところなどは、いままで日本人にもちょっと見られないような鋭さです。だから話も非常にはずんで、といったところで通訳が間に入るのですから、やりにくいのですが、それでもなかなか分かるので張り合いがありました。それでその見方などは日本人と違って、おもしろい見方をしているのです。例えば、私の経歴をザッと話をしたところが、「あなたは珍しい、釈迦やキリストは若いときから宗教的に生活していたが、あなたは五〇過ぎてから宗教に入ったということは非常に変わっている」と言うのです。これは私も気がつかなかったのですが、そう言われてみると、意外なところに目をつけたものだと思いました。二、三、気のついたことを話しますが、日本の天皇制ほどう思うという質問があったので、私は天皇制がなくなったということは非常によい、喜んでいる。というのは、この間の太平洋戦争にしても、結局ある一部の野心家が、天皇を利用してああいう馬鹿馬鹿しい戦争を起こしたのだから、天皇制がないとしたら、つまりああいったような戦争は起こす方法がない。そういう心配がなくなる点から言ってもたいへんよいと思う。それについて、日本はだいたい戦争をする国ではないのです。日本という国にはそういう使命はないので、日本はどこまでも平和的です。……美による平和です……これは日本のあらゆるものがそういう条件になっているのです。だから将来は世界の公園、世界の楽園というような国になるのが本当の日本の国柄です。それを戦争というぜんぜん違うことをやったというのは、つまり日本人が本来の国柄を間違えたというわけで、そういう意味から私は地上天国を造り、美術館を造るということをしているのです。そういう意味のことを話したのですが、非常に共鳴してました。私の考えとしては、地上天国ほいまほ箱根、熱海で、今度は京都に造るつもりです。それから無論ハワイにも造るつもりだ。いずれは米国にも各地に造るつもりだ。とにかく世界中がいまやりつつあるのは、どこの国でも公園です。公園はなるほど大衆的で非常に結構だが、公園より、もういっそう高いレベルのものを造らなければならない。というのは、今日娯楽機関というものは、いかにも俗悪きわまるもので、人間の品性を向上するようなものはない。むしろそれを見て堕落するくらいなものです。そういった悪いものがずっと多いのだから、いっぽうでまた人間の品性を高めるようなものも必要とする。それには公園以上の、もういっそう高いものを世界中に造らなければならない。その見本として私はいまこしらえているわけだ、と言いましたが、そういうことも非常に共鳴してました。そのときは箱根の美術館を見てきて、それから熱海の地上天国に私が案内して、いろいろ見せましたが、見るもの聞くものあんまり心を打たれて言葉の出しようがないと言ってました。そういうようで、よほどびっくりしてました。通訳をした人は、浮世絵の研究家で、英語がそうとうできるのです。そうして一週間に一度アメリカの人に英語の講話をしているのです。その人は浮世絵の売買をしてますから、箱根美術館の中にもその人が持ってきた物がずいぶんあります。それで東京へ帰ってからその記者は「岡田という人は自分としては少し荷が勝ち過ぎる」と言ったそうです。それほどとは思っていなかったらしいのですが、私の言うことは、どっちかというと先方よりかなり上手<うわて>のほうですから、タジタジなところがたくさんあったわけです。自分の主人が近々朝鮮から帰ってくるから、そうしたら主人によく理解をさして、無論大いに共鳴すると思うから、アメリカに帰ったら『シカゴ・トリビューン』に大いに書く、紹介するというわけです。「世界平和の建設者」という題で書くから、伝えてくれということを言ったそうですが、無論出るでしょう。それでアメリカに私を紹介するトップを切らしてもらいたい、ということを大いに言っていたそうです。それから私はこういうことを言いました。とにかく世界の文明は現在物質文明と精神文明で、これを分かりやすく言えば、アメリカは緯<よこ>の文明で日本は経<たて>の文明だ。だから経と緯を結ばなければ本当の文明はできない。そこで救世教は緯の文明と経の文明を結ぶ計画なのだ。だからちょうどあなたが来られたのは、その第一歩と思うと言ったら喜んでいました。私らのバッジもそういう意味を現わしていると言ったのです。

京都劇場での御講話(4)

 ハワイのほうは、始終『栄光』に出しているとおり、非常な勢いで発展しつつあります。いよいよ本部もできました。この間あっちの弁護士で、法人の届けを扱った人が来ました。これは予定の通りですが、許可になりました。その報告と、またほかのことで来たのでしょうが、私は会って聞いて、非常に結構だと言ったのです。法人になりますとすべてがやりよくなります。ちょうど本部ができて、そういったようなことを神様は順序良くされているわけです。ハワイは五つの大きな島から成り立っているのですが、その五つの島の重要な地点にみんな支部ができました。無論ハワイの新しい信者ですが、そういうような具合です。それでホノルルの本部も、とにかく五万ドルで買ったそうですが、非常に安いのだそうです。この間の弁護士の話によると、ちょうど坪一万二、三千円くらいになっているそうです。ところがいまこしらえると坪五、六万くらいかかるだろうと言ってました。だから非常に安いのです。位置も非常に高い所で、眺めもたいへん良い所だそうです。神様が準備してあるのですからあたりまえの話ですが、ハワイの発展は、そういう具合で目覚ましいものがあると思います。五万ドルですと邦貨にして一八〇〇万円ですが、これから少し修繕しなければならないので、そういった修繕費はハワイの信者が全部出すのです。わずか半年あまりでそれだけの発展の成績をあげたということは、驚異と言ってよいくらいです。そういうような具合で、私はいずれ地上天国はハワイから始まるのではないかと思ってます。ハワイがほとんど救世教信者になるということになると、これは大いに世界の注目を受けるとともに、特にアメリカが注目しますから、そうするとアメリカの発展も早くなるわけです。ですからむしろそうなってから日本の人がびっくりして、急に救世教信者になる人が非常に増えると思ってます。ちょうど幕末時代のキリシタン・バテレンのようなものです。というのは『救世教奇蹟集』の新聞広告を出そうと思ったところ、『読売』は出しましたが、『朝日』『毎日』は出さないのです。出さないというより出せないのです。というのは、とにかく怖いらしいのです。つまり迷っているわけでしょう。迷って決定しないのでしょう。というのは、あの「広告文」にしても、ばかに飛躍してますから。たとえてみれば、もうキリストが数十万人できているというようなことがありますから、あれではびっくりしてしまいます。おもしろいことを言いやがる、そうかといって読んでみると本当だ、だからやっつけることはできないが、そうかといって信ずることはできない、といって一人のキリストを拝んでも昔から大騒ぎをやっているところに、キリストが何十万できたというのは、まるで気違いだとしか思えないでしょう。だからけしからんといって調べたところで、本当なのですから、そこで迷ってしまうのです。決定ができないのです。私は以前こういうことを聞いたことがあります。アフリカの土人がなにか落ちている物を見てギョッとして悲鳴をあげたので、いったいなんだろうと思うと、時計が落ちていたのです。これはアフリカ探険に行った白人の話です。時計は動くので怖いと思って逃げ出してしまったのです。ちょうどそれに似ていると言うと、はなはだ相すまないことですが、ちょうど『救世教奇蹟集』を新聞社の人が見たときに、いまのアフリカ土人が時計を見て驚いたのと似ているかもしれません。怒るかもしれませんが、怒ったらまず研究してもらいたいと思います。そうすると怒るべきか怒るべきでないかが分かるでしょう。土人が見て時計だということが分かると結構な物だと分かりますから。そういうようなわけで、とにかく救世教というのはあまりに現代の文化と離れ過ぎてますから、それでかえって分からせにくいのです。ちょうど幼稚園や小学校の生徒に大学の講義を聞かせるようなものです。中学程度ならよいのですが、もっと割引しなければと思いますが、私もいままで割引はしてます。そうかといって本当のことを曲げてまで割引することはできないので、本当のことはやっばり正直に言わなければなりません。ただこうやって病気が治るということが、とんでもない脅威です。だから信じられないというのはもっともです。そこにもっていって新宗教というものの見方がいろいろなのです。いま問題になっている霊友会事件にしても、他の新宗教でも、ずいぶん顔をしかめるようなものもたくさんありますが、そういう目で救世教を見ると、あんなことを言って人を瞞<だま>しやがるが、結局一時的のもので、いずれは化けの皮を剥がれ、ボロを出すだろう、と思っている人もずいぶんあるでしょう。そういう見方をするのも無理はないでしょう。私でも仮に救世教を知らないふつうの社会人とすると、新宗教などは軽蔑して、信ずるどころではないです。やっぱりいまの知識人と同じに違いありません。だから無理はないのです。そこで、それはこういうものだということを知らせるということが非常に難しい問題です。そうかといって嘘ではないので本当なのですから、それを知ったらこんな結構なものはないのです。そういう者は仕合せです。あなた方は非常な幸運者です。先駆者というものは非常に難しいもので、どうしても骨が折れるものです。

大阪市毎日会館での御講話(2)

 それについて最近『救世教奇蹟集』の本を出しましたが、その広告文を私が書いて、三大新聞の『朝日』『毎日』『読売』に出したのです。『読売』は出しましたが、『朝日』と『毎日』はいまもって出さないのです。どうして出さないかというと、お察しするには、あんまり現代文化とかけ離れているから怖いのだろうと思います。いけないとなれば突っ込んできますが、本当だからそうはゆかないのです。しかし出すとあんまり飛躍し過ぎるので、ちょうど幕末時代のキリシタン・バテレンのように、認めざるを得ないと思います。これは少し怒られるかもしれないが、ちょうど適切な例と思います。あるヨーロッパ人がアフリカ探険に行ったときに、アフリカの土人がなにかを見てギョッとして逃げたので、なんだろうと思って見ると、時計が落ちていたのです。時計はいままで見たことがないし、それに動いているから、それを見て驚いたわけです。そういうわけではないのですが、そういう点があるのではないかと思います。あんまり見たことも聞いたこともないものですから、一つの驚きです。この驚いた点には一つはこういうことがあると思います。『奇蹟集』の広告に、いまキリストと同じょうに奇蹟を行なう者が数十万できている、とあることです。私は書かないようにと思ったのですが、本当だからしようがありません。キリストというのは、世界中のみんなが偉い人と思って、みんなが拝んでいるのです。それを私が数十万人作ったというのですから、これはアフリカの土人が時計を見たときより、もっと驚いたのだろうと思います。これが一番困るのです。これは新宗教で、最近では霊友会の問題がずいぶん新聞ラジオに出てましたが、新興宗教というものは実際けしからんものだ、踊る宗教とか璽光専とか、ナンテ低級だ。というように一般はみてますから、その中で救世教の奴がとんでもないおおげさな、それこそ耳に鼻をつけるように馬鹿馬鹿しい、これはどうかしている、少し頭が変ではないかと思えたのではないかと思います。しかし中を読んでみると嘘ではない、だからもう少し様子をみて、これがダイヤモンドかガラスか確認してから広告文も出すし記事も出すというのが、まず間違いないところでしょう。こう思ったのも無理はないので、私も新聞記者だったら、そう思うでしょう。ところがなんと言ってよいか、歴史にも伝説にもない馬鹿馬鹿しく大きなドエライことができることになってしまったのです。こうやって病気が治るというこのことだけでもたいへんなことです。偉いお医者さんが首をひねって、いろいろな機械とかでやっても治らない。それが宿屋のおかみさんが、腹が痛いとか言っても、ちょっとこうやれば三日か五日で治るのですから。と言っても、あまりに違ってとにかく信じられないのです。人間で言えば怪物ですが、怪宗教というわけで、宗教ではナゾのような不可解なような本物のように思っているに違いないでしょう。農作物にしても肥料を使わずに初年度から何割と増産するのです。今年などは凶作で農民は一家心中をするような悲惨な状態になって、消毒薬が悪いとか言ってます。肥料も消毒もしなくて最初から何割増産するとか言うが、なにか間違っている、インチキだ、肥料をやらなくて作物が穫れるなんて馬鹿なことはない、というわけでこれは時計ほどでなくても、かなり変なものと思っているでしょう。なるほど宗教のくせに美術館などを造ったことは偉い、ほかのことはどうあろうと、あれだけは買ってよいと、あれはたいへんよく受け取ったのです。そのために救世教に対する他の新宗教よりも信用があるようです。これは私を批判する人を私が批判しているのです。だから私の批判のほうが合っていると思います。自分が受けているのですから、私のほうでは霊感というものがありますから、よけい分かるだろうと思います。そういうようなわけで、そういう点においては、いま一番難しいところで、これが救世教はすばらしい、岡田というのはふつうの人間ではないということが分かってくれば、なんでもないことです。そうなればなんでもかんでも良くなります。そうかといってインチキや迷信邪教でもないというから、こっちもまた早くそういう時代を通り越したいと思ってます。一生懸命にやってますけれども、その地獄と極楽の間と言いますか、いまちょうどそこを突破せんとするところだろうと思ってます。

 それについてはこういう点もあります。ハワイは今年から始めましたが、非常な成績で、つい一週間ばかり前にあっちの弁護士が来ました。これは法人にしてもらうべくその人に頼んだのです。それでいよいよ許可になったという報告を兼ねて日本に来たわけです。ですから法人になると、これからはずっと楽ですから喜んでいます。これはあなた方も始終報告を読んでいるでしょうが、ますます発展してきて、今度はホノルルのごく眺めの良い所に本部の家を買ったのです。これは土地と家とで五万ドルですが、日本の金にすると一八〇〇万円です。その金というのは、今年三月からハワイに始めてできた信者がみんなで出してできてしまったのです。私のほうでは一文<いちもん>も出さないのです。それを思ってもいかに有力な、本当に熱心な信者ができたかが分かります。ハワイは五つの大きな島からできてますが、その急所急所に全部支部ができました。神様のやることは水際<みずぎわ>立っていて非常に早いです。判で捺<お>したようにキチンキチンとゆきます。そこの支部長はみんな新しいハワイの信者です。新しい信者の中にもずいぶん熱心な人があるようです。その弁護士の話では、あっちでは注目していて評判がよいそうです。つまり評判が良いということは、いままでハワイに行った宗教はどうもやり方が間違っているために、新宗教なんていうのは、特に向こうでは警戒しているのです。ところが救世教は違う、これが本当だということが分かったのです。人民が非常に良いのです。弁護士もこれから大いに救世教のためにやる、援助したいということを言ってました。これからのハワイの発展は、ものすごいものがあると思います。私の考えというより予想では、いずれハワイはメシヤ島になると思います。いままではしっかり信仰するほどのものが向こうにはなかったわけです。やはりキリスト教が一番多いようですが、それもお付き合い程度です。牧師がいろいろと骨折ってやるので、ある程度までは拡がってますが、根強さはありません。それからハワイは食糧とかそういうことは潤沢<じゅんたく>で、生活も非常に楽です。だから気風もよいのです。人間の気風が悪いというのは、現在の日本では一つには食えないからです。だから結局社会悪、悪い社会というのは、生活が楽でないからというわけで、その原因は病気です。日本の状態はだいたいそうです。ハワイはちょっと違うのは、生活は楽だが病気が非常に多いのです。そこで救世教が病気を治すということによって、みんな救われる一つのものが見つかったというわけです。なにしろ午前六時三〇分前から支部に行列しているというのだそうです。二人で行っているのですが、報告も書けないくらい忙しいのです。ですからそう長くならないうちにメシヤ島になると思います。それだけでも世界的に注目を浴びます。特にアメリカが注目します。そこでアメリカが調べると、病気がよく治るのであっちの人民が救世教の人をよく奨励するようになると思います。それが日本に知れればそれだけでも結構です。救世教は本物だということになって、日本人は救世教を認めざるを得ないということになるのも、それほど程遠いことではないと思います。それからいま言った自然栽培ですが、これは割合に早いと思います。「自然農法普及会」の幹部の人は、せいぜい二、三年で日本全体に分かってしまうのではないかと言ってますから、そうなると実に早いです。日本人が救世教に頭を下げるということは間違いないです。それから私のほうで一番分からせたいのは病気のことですが、これは一番難しいのです。従って延びると思います。けれども自然農法が分かって、救世教がこんな発見をするくらいだから、医学のほうに対する説もまんざらデタラメではないという、その一つの間接的の効果があると思います。そういうようなわけで、いままで長い間押さえつけられ、けとばされ、なぐられて小さくなっていたのがようやく過ぎて、これからよい時代、よい春が来るという、その時期に一歩来たような気がするのです。神様の御予定がそうなのですから、張り合いがある時期になってきたのです。

昭和二十八年十一月十六日の御講話(4)

 これはちょっとおもしろい論文です。これは何回にもわたって書いてゆこうと思います。いままで昔からこんなことを書いた人はだれもないのです。キリストや釈迦やマホメットという人も、こういう点にはぜんぜん触れてないのです。ですから後世いろんな説が出たり、どういう点によってああいうことをやったのか、ああいうことができたのか、ということがさっぱり見当がつかないのです。あの時代はそういう時代であったのかもしれないけれども、今日の目を持っている人には、はなはだどうもまわりくどいような不透明なようなわけです。だから説く事柄もいろんな説が出たりするのです。というのは、あの時代では文化がそこまで行ってないから、あんなところで良かったのかもしれません。今日ああいうことを言っても、テンデ人は耳を傾けることほありません。それもさっき言ったとおり、批判力のしっかりしたものを持っていないために、いままでは前提的に、みんな良いという、そういったものに無批判にその考えになって、一生懸命にやるというわけです。これも私からみれば、はなはだもどかしい気がします。それで私はそういうことがどうも本当でないからして、神というもの、人というものはこういうものだということを、できるだけはっきり分からせようと思います。そうなると迷信もなくなってしまいます。迷信ということは、やはりはっきり説いてないからです。はっきりつかめないようになっているからして、迷信も起こるのです。それで、はっきりできなかったということも、神様のほうの深い意味があるのですが、そういうこともだんだんに書きますが、とりあえず最初のほうを読ませます。

昭和二十八年十一月二十五日の御講話(1)

 昨日アメリカの人で、NHKの外国放送の主任の妻君で、『ニッポン・タイムズ』という外字新聞の記者であり、美術評論家……美術についてはだいぶ深いようです……である婦人に昨日箱根美術館を見せたのですが、なかなか頭が良いのです。とにかく私が思っていることとピッタリしているのです。先方も共鳴しましたが、私も大いに共鳴したようなわけです。その人のいきなり言ったことがこういうことなのです。「自分は世界中の美術館を見た。なるほどずいぶん立派な物がある。また日本でも、奈良とか京都とか、それぞれのお寺にもたいした物がある。けれどもすべてはそれだけだ。ところが箱根の美術館を見ると、美術館以外の庭園……庭とか木とか草とか、そういった物の一つ一つが実によく調和がとれている。要するに天然の美を発揮している。だから美術品を見るばかりでなく、その全体の空気……雰囲気に溶け込むというような、実にいい気持ちがして去り難い。だからまだ見残したような気がして、物足りないような気がしてしようがない」と言ってました。予定よりかずいぶん長く見たようですが、美術を見る以外にそういう一つの空気に浸って、なんとも言えない良い気持ちがしたというわけなのです。箱根を観た人はみんなそう思っているでしよう。そう思っている人はあるでしょうが、それを言葉に出したのを聞いたのは初めてです。私としても、美術館以外に全体的にそういうような感じを出して、つまりそれによって、楽しみながら高い気持ちに浸るというところを狙ったのですが、その婦人はよくそれを言い現わしていたので、私も非常に気持ちがよかったのです。それから美術よりも宗教的の話のほうがはずんで、だいぶ深い所まで話し合いました。いずれ『ニッポン・タイムズ』には出るはずです。それで宗教的のいろいろな話をしていても、実にすばらしいと思います。その見方がちょうど私の見方と同じなのです。というのは、たとえてみれば、キリストや釈迦はたいした仕事をしやしないではないかと言うのです。どういう計算か知らないが、あの人のやったことは六〇〇年くらいの間は成果をあげたが、それ以上は別にたいしたことはない、というような意味でした。これはアメリカ人としての考え方で、あくまで現実的に見てゆくのですが、これは非常によいと思います。その点私の見方と同じなのです。それに対して日本人はどうも伝統観念が根強く入っているために現実から離れてしまうのです。だから救世教なら救世教を現実的に見たらすばらしいものと分かるのですが、やっぱり伝統が邪魔をして、つまり色眼鏡で見るようなわけです。それからまたこういうことも言いました。日本人は明治天皇を非常に崇《あが》めているが、自分からみると、明治天皇はただ軍人を作ったり、武器はよく作った。単にそれだけではないかと言うのです。それ以外に外国文化を採り入れたということもありますので、いまの言い方は少し酷いようではあるが、世界平和に貢献せぬという意味では、その見方は間違ってはいません。そうしてだんだん話をしているうちに非常に共鳴して 「これから大いに救世教をアメリカに紹介する。これからいろんなアメリカの偉い人が来たら連れてくるから、よいか」と言うから、「私のほうではいつでもできるだけ都合して会うから」と言ったのです。「まず自分の主人を連れてくるから、大いに話をしてもらいたい」。またこういうことも言っておられました。「自分は日本に四年いるけれども、あなたのような人には一人も遇わない」と。つまり私の言うことが、なんにも囚われないで、ズバズバと物事の急所を言うわけですから、ちょうどその点はアメリカ人によほど似ているのです。なんでも実際的なのです。それで、自分は日本に永住的に住まうつもりで家を買って、日本人の生活……畳に坐って、日本の食い物を食べるというので、日本が好きなのです。それで「自分がそういう方針にしたのは非常によかった。あなたのような人を見つけたために意義があった」というようなことを言ってました。

昭和28年二月十二十三日御誕生祭御教え(2)

 それについて考えてみると、地上天国の模型は、箱根は今年でき、これから熱海ですが、来年はメシヤ会館と展望台の水晶殿ができます。再来年は美術館ができるということになってます。それで美術館ができると、あそこはだいたい完成ですが、それでもまだ神様のほうでは、あの地上天国はもっと拡げる計画のようです。しかしとにかく、それでだいたいはできるのです。そうしますと、できあがった暁は、この間も話したとおり、日本とすれば西は京都、奈良、東は箱根、熱海ということになるだろうという、米国の新聞記者の話で、その人は『ニッポン・タイムズ』の記者をしていて、放送局の英語放送の主任をしているエリス・グリリ氏です。外国の人が日本に来たときにはそういうふうに見るだろうと自分は思うということも言ってました。それからまたこういうことも言ってました。イタリアのヴァチカンですが、あそこはキリスト教の本山ですが、いっぽうから言うと美術の本山と言ってもよいです。イタリアの大美術館です。それと匹敵するように見ておりました。またフランスではルーヴルとも比べておりました。結局そういうことになるのは間違いないと思います。そうすると、ただ、その早さは驚くべきものです。なにしろ京都、奈良は千年以上たってます。奈良にしても千二、三百年たってます。それで、多くの人間……仏教が主ですが、その間いろいろな美術家だとか、とにかく一〇〇〇年以上、大勢の人がやってこしらえたものと、私のほうはまず一〇年でしょう。だいたい宗教になったのが二二年八月ですから、一〇年とすると三二年八月で丸一〇年ということになるわけです。それで完成するには、熱海の美術館ができるのが再来年とすると、三〇年です。それからまた京都にもできましょうが、とにかく一〇年で、それも私が設計までやったのです。西のほうは一〇〇〇年以上で、こっちは年限が短いですから、ああいうような細かい、いろいろなそういうことは無理ですが、とにかく、一つの、人間の目を楽しませ、また一つの魅力と言いますか、そういった見方で同格に思われるということは、その早さにおいてたいへんなものだろうと思います。これは私がうぬぼれているわけではないので、神様の腕前のすばらしいことには私自身が驚いているのです。そういうようなわけですから、そういった文化財的のものばかりでなく、あらゆる面にわたる救い、世界的の救世の事業も、その割でゆけば別にそう難しいことではないと思います。たとえて言えば、キリスト教は二〇〇〇年、仏教は二千五、六百年ぐらいになりますが、そういうように二〇〇〇年以上かかる宗教的事業を、救世教のほうの神様……というと変ですが、他の宗教の神様の総取り締まり……親玉みたいなものですが……その神様がやるのですから、おそらく釈迦、キリストが二〇〇〇年以上かかってやったことの何倍何十層倍のもので、まず二〇年か三〇年でやれます。それは間違いないです。私にはよく分かるので、それはお知らせというのでなく、それ以上の確実なことが分かってます。それはどういうわけだと言いますと、これはいつも言ってますが、いままでの宗教でもなんでも全部月の力なのです。これは夜の世界のためですが、夜の世界は月が支配したのですからして、月の力です。そうすると太陽の光はその六十倍ですから、そこで私の振るう力というものは太陽の力ですから、いままでの最高のものよりか六十倍の力です。だから私の弟子がキリストと同じくらいのことができるということは、そういうわけです。要するに力なのです。その力がいままでは弱いために、つまり悪魔に負けるのです。それともう一つは霊界が暗かったからで、ちょうど夜、物を見るようなもので、はっきりしなかったのです。それだからいままで説いたいろいろなものがはっきりしないのです。バイブルでも経文でもはっきりしないのです。だからそれを読んだ人でも、つまり想像です。「オレはこう思う」「貴様はそう思うだろう」というようなことで、まちまちなのです。ですから本当にバイブルや経文を読んでも、分かる人はおそらくないです。というのは、夜、物を見ようとするようなものだからです。ところが救世教のほうははっきりしているのです。私は書くものにしてもはっきり書いているのです。少しでも迷いがなく、解釈の仕方が一つよりできないように書いてあります。そこが、昼間の明かりで物を見るというように思えばよく分かります。だからすべて早いのです。夜ですと探り探り、見当をつけてやるのですから、たまには間違ったり、やり損なったりすることがありますが、昼間は遠くまで見通しがつきますから、そういうことはないのです。ですからして、これからはいっそう早くなります。それで、今年一年でもずいぶん早いです。知らるるとおりハワイに三月から手をつけて、もうそうとう立派な本部ができてしまっているのです。それも、別にこっちから金を出したわけでなく、先方で半年ばかりで作った信者が金を出して本部を造るというのですから、これもおそらく破天荒な話です。それで、来年は米国のほうもそうとう活躍しますから、これもまた予想もつかないほどの収穫を上げるでしょう。それからまた熱海の地上天国ができると、これはまたとにかく日本中の評判になりますから、たいへんに大きな刺激を与えるだろうと思います。