昭和二十六年九月二十三日 秋期大祭御教え(1)
それから、医学の革命もやろうと思っている。それが、だいたい来年あたりから手をつけるようなことになるだろうと思っている。まだ時間がありますからね。『文明の創造』中の「宗教篇」。それで話はちょっと元に戻るが、いま言ったような、世界的に大いに救うべき方法ですね。救わるべき原理ですね。それを頭に入れなければならない。というのは、『文明の創造』の著述ですから、世界的に宣伝するのは、ちょうどその本ができたころです。それが、たぶん……来年の予定ですが間違いないでしょう。それから「宗教篇」ですね。「宗教篇」というところで……結局、東洋は仏教、西洋はキリスト教ですが、キリスト教のほうは日本人どころじゃない。白人のほうで良く分かっている。ただ、キリストというのは、なぜ生まれたか、いったいキリストというのは、なんの御魂か、どういうわけで生まれたかということを書くつもりです。それだけで、そうよけいに書くことがない。ところが仏教のほうはなかなかあるんです。その中の仏教の起源ですね。いったい仏教は、神様のほうから言うと、どういうわけでできたかということを書いてありますが、仏教は日本でできた。日本人が仏教をつくった。日本に弘めるのは具合が悪いことがあったので、神様はインドに行かれて、仏教を始めたんです。それで、化身……化仏というわけですね。化仏というのは、日本の神様がインドに行って仏になったから化仏と言うので、それが本当です。
昭和二十六年九月二十五日 秋期大祭御教え(1)
まだ時間があったら「仏教の起源」というのを……これはおもしろいのですが……いずれ読ませます。仏教はだれが始めたかというと、インド人ではない。日本の神様がインドに行って化身、化仏されて……伊都能売神様ですが、伊都能売神様がお釈迦さんに教えられて、お釈迦さんがびっくりして弘めたんです。化仏というのは、神様が仏に化けたんです。日本の神様はインドに行かれて、今度メシヤ教が出て五六七の世を造る、その準備に用意された。それを『文明の創造』に書きつつあるんです。だんだん知らせますからね。そんなわけで、神様は前から、世界的に準備した。だから、キリストもマホメットも、地上天国の用意のために、何千年も前にいろいろなことをされたんです。そういうことも、いろいろと書くつもりです。それを、最初は日本人に知らせますが、最後は世界中に知らせます。これが「見真実」です。これは専売特許ではない。全人類に知らせなければならない。そうすれば、五六七の世ができるんですね。
昭和二十六年九月二十六日 秋期大祭御教え(1)
それから、『文明の創造』もだいたい医学は書いたんですが、いま「宗教篇」を書いている。宗教の七難しい理屈は抜きにして、できるだけおもしろく、知らず知らず分かるように書いてあります。その中で、仏教が一番肝腎ですからね。というのは、キリスト教や、そういうのは良く分かってますからね。最初からね。一番分からないのは仏教なんです。そこで仏教を主にして書くんですが、なかなか……仏教のほうもおもしろいですからね。仏教というのは、日本人がつくった。インドで生まれたけれども、元は日本です。それを精しく書きあげたんです。書いていると、どんどん浮かんできますからね。私も大いに教えられる。
昭和二十六年十月十五日 『御教え集』三号 (7)
キリストみたいに、かえって偉い人がひどい目に会っている。というのはあの時代は邪神のほうが強かった。邪神に対抗する力がなかった。ということは、以前に大きな罪を犯した。その罪がまだ体についていたために、対抗するまでの力が出なかった。相応の理ですからね。大きな邪神は大きな力がついている。私を苦しめるのは、邪神の大きな親玉です。ところが時期も違っているし、霊界もよほど明るくなっている。霊界の中にまた霊界があり、その奥の……神道でいう幽幻界ですが、そこはほとんど昼間になっている。その次の霊界が、まだ暗が残っている。いまは邪神のどんな強いやつでも私にはかなわない。邪神のうちで一番力のあるのは赤龍、黒龍ですね。いまは金龍が出てますからね。金龍にはどんなやつでもかなわない。金龍というと、私の『奇蹟物語』にあるが、三〇〇〇年間近江の琵琶湖に潜んでいたのが、昭和四年に琵琶湖から出たが、それが、いま活動してます。だから邪神のどんなのでもかなわない。しかし彼も、霊界が本当に明るくなったわけではないから……曇りがあるから、それだけ活動できないわけですね。そこで去年の事件もそういう意味だった。ところが去年の事件の意味というのは、その奥にまだあるんです。というのは、教団を乗っ取ろうとしたたいへんな邪神があった。その邪神をやっつける方法として、あの事件を起した。だから、やっぱり去年のあの事件は邪神をやる方法として、手を緩めてやらせるだけやらせた。だから、いま読んだ通り、邪神にもまんざら悪いことばかりはない、良いこともあって、いまは感謝しても良いくらいというのは、そのことなんです。そういうわけですから、神様のおやりになることは、ちょっと見ただけでは分からないことがよくある。邪神は何億といるんです。それで階級がいろいろある。神界……神様のほうとだいたい同じですね。そこで、信者一人一人を引き落とそうとして狙っている。ですから信者の人でも、ちょっと考え違いしたり、迷ったり。良いと思って間違ったりする。大本教のお筆先に「今は悪神がそこら中入りて居り、一寸の隙もないぞよ。何時なんどき悪神に侭にされるか分らないから、気をつけるが上にも気をつけたが良いぞよ」とある。みんな、信仰にある者は、抜き身の中にあるような気持ちで、ちょっとの油断もできないという意味で、なかなかうまいことを書いている。ところが神様にちゃんと手を合わせていると、御守護があり、憑けないで退いてしまう。というわけだから、そこでうまくいくんです。そういうわけなんです。それですから、いろんな宗教……信仰もあるけれども、ほとんど邪神がやっている。だから神、仏を拝んでいながら、ずいぶん間違ったことをしますが、つまり、その宗教の拝む的が邪神であったり、邪神でなくても、その神様が邪神に自由にされるんです。「お前、俺の言うことを聞かないとやっつけるぞ」と言う。神様でも邪神にかなわないのはたくさんあります。江の島の弁天様に行ったとき、お宮の中に、本尊は狐がいるんです。弁天様はいやしない。それから、武蔵の国魂神社というのがあります。官幣中社かです。立派な神社ですが、それもやっぱり邪神に占領されていた。そんなようなわけで、神社を拝む場合に、みんな神様と思ってありがたく拝むと、どうしてどうしてとんでもない。そういうのがたくさんあります。そうでなければ、世の中がこんなに悪くなっているわけがない。神様に力がなく、邪神に負けているから、こんなに禍や戦争や病気がある。というのは、こういうわけなんです。
昭和二十六年十月十八日 『御教え集』三号 (5)
よく、宗教を替わった場合に、特に神道ですが、神道に祀るのが良いとして、また先生にもそういうふうに勧められますが、それが、祖霊にとっては非常に有難迷惑なんです。それを霊が出て言うんですから、一番はっきりしているんですが、以前から私が、やたらに改宗してはいけない。一軒の家族でも、揃って改宗することはめったにないんですからね。ところが、やっぱり祖霊さんでも同じことで、天理教の信者になっても、俺は嫌だ。昔からの仏界のほうが良いという祖霊のほうが多いですから、それを気づかせようと思って、天理教に入ってから、重い病気になったり、苦しんだりするというのは、そういうわけなんです。またキリスト教に入って先祖を祀らなくても良いと、祖霊を祀るのを止めますが、祖霊は悲しんだり怒ったりします。ところがメシヤ教は違います。信者になったというだけでも喜びますから、不賛成という者はないんです。これは霊が憑ってよく言います。それでも、中にはこういうのがあります。御嶽教、豊川さんと、いろんなのがありますが、そういうので、役員になったりしたのが、霊界に行ったのは、メシヤ教は良い宗教には違いないが、癪に障ってしようがない。邪魔してやれというのがいる。また狐が憑って邪魔する場合もありますからね。すぐに祀り替えや、そういうことはしないようにして、以前通り祀ってやって、何年か経ってから、メシヤ教が分かってくるから、ぜひ祀られたいという気分が起ってきますから、これが一番安全なんです。稲荷なんかそうですね。狐ですから、悪いほうが多いが、メシヤ教というと、とんでもない。邪魔してやれというのがいる。この間の『地上天国』の質問応答に、そういうのがありました。これは、先生が知らないんです が、要するに指導者の失敗ですね。光明如来様をお祀りするや否やすぐに処分してしまった。それで狐が怒って……というのがあった。それで、処理の仕方が早かった。ということを答えた。そんなわけで祖霊さんを祀り替えるというときも、慎重にしなければならないという生きた実例なんです。それで、いずれメシヤ教のほうの祀り方……形式をこしらえますが、いまのところは、こっちのほうで、そういう形式になってないんだから、いばって言えませんが、そういう点はメシヤ会館ができてからです。本部の形が一通りできてから、そういう冠婚葬祭のやり方について考えます。やはり順序からいって、本部の形ができてからでないと、順序が違うんです。それで、それまでは待ってもらうとして、いまのお蔭話も、祖霊さんについてのこういう実例を見ると、たいへん参考になりますから、それで読んだのです。
昭和二十六年十一月二十一日 『御教え集』四号 (4)
アメリカの発展は、第一番にキリストのため、第二番目に金儲けの国ですからね。いまは戦争やっているが、昔は商人の国と言っていたからね。だから儲ければ良い。それからアメリカには、以前の日本のように、封建的に階級が定まっていないから、腕しだいという……豊臣時代のような……金儲け、腕しだいという……その根本にはキリスト教の影響があるが、そういう点が、アメリカ発展の原因だと思いますね、トルーマン大統領だって、元小間物雑貨商ですからね。だから、商人上がりですね。そしてまた、アメリカの陸軍大臣にしろ、海軍大臣にしろ、軍人を用いないようにしている。日本は、士官学校上がりの……どこまでも軍人上がりですね。そういうのを首脳者に置きましたが、あっちは、それを首脳者にしない不文律がありますね。おもしろいですね。戦をするにも……商人上がりですから……算盤を取っていきますからね。だから、日本でも算盤を取ったら、こんなみじめなことは決してないんですね。戦争を一六年に始めて……支那、中国をやっつけて、蒋介石が危なかったときに、蒋介石が和睦を申し込んで来ましたが、それを入れて、中支の良い加減な所を取って、満州は日本のものですからね。それだけで、戦争を止めてしまえば、世界の世論もそれほどひどくならないで、あれくらいしかたがないと、あと……日本にしても、どこまでも商業的に支那を開発するというようにいけば、蒋介石だって喜びます。そうして行けば良かったんですね。ところが算盤を取らないからね。八紘一宇で、アジアを全部日本にしようと、算盤を取らず、むちゃくちゃにやったからね。
昭和二十六年十二月一日 『御教え集』四号 (3)
お経が、解らないからありがたがって奏げるんです。お経が解ったら、ありがたがるのはずっと減る。なんとかいうお経なんですが、飜訳してみると、男女関係のことを書いてある。実に猥褻きわまるものです。それをありがたがるんですからね。結局人間はあんなものですね。だから、私は逆に、はっきり判るように書いてますが、だからそういった意味においては、ありがたがれないんですが、しかし、ありがたがる、ありがたがれないということじゃなくて、こっちは人間を……人類を救うんですから、解ることが主ですから、お経や……『バイブル』もあんまり解らないですが、お経よりは良いです。解らないことというのも良いが、そのために迷いを生ずる。迷いを生ずるから、仏教でもキリスト教でも、派がたくさんできる。だから、人類を本当に救うことはできない。ただ、なんとなく救われるというので、徹底しないですね。もっとも、力というものが不足していた点もあるから、いままでとしてはあれで良いんです。こちらは、そういう曖昧な点などは、はっきりさせるというんで、これがいままで夜の時代であり、私は昼間の文明の根本をつくるんですね。これは、そうなるのが当然の話です。そんなようなわけですから、絵にしてもそういう解らないようなものが大騒ぎをやられるというんで、それを見た日本の画家はまね始めた。実におもしろいですね。だから、これはちょうどブランコと同じで、古いのは行きすぎたため、反動的にこう行って、こう行ったのが、いまの油絵ですから、それがやがてまた、こう行くんですね。そうかというと、このごろ、『源氏物語』がはやってきた。石川五右衛門だとか、これは反動の反動ですね。それでだんだん行き詰まってきて、今度は本当のものが生まれるんです。いままでの文明を見ると、みんなそういう系流を通っているわけですね。それで、今度美術館ができたら、いま読んだ通り、西洋のはどうせかなわないから、ぜんぜん手を出さないようにしてますがね。
昭和二十六年十二月十五日 『御教え集』五号 (6)
これについてちょっとおもしろいのは、今度ダレス国務次官補ですね。いま来てますが……あの人が昨日、講演した中に、世界平和を確保するについては、東洋においては日本、西洋においてはアメリカだと、これが両方とも手をつないでやることが一番必要な問題だ。こういうことを言っている。私が前から言っている、経の中心は日本であり、緯の中心がアメリカである、という……だから、どうしても日本とアメリカは結ばなければならない。結ぶ時期が来ると、前から言いましたが、今度ダレスさんの言葉が、ちょうどそれと同じなんですね。要するに、それが具体的に一歩実現に入った、というように思われるんですよ。その経緯、結ぶんですね。結ぶそのごく種の中心ですね。それが私がやる仕事なんですよ。それはいつも言う通り、伊都能売ですね。バッジの形ですけれどもね。その意味が解れば、メシヤ教というものの根本が解るわけですね。それで、いま言う通り、経緯が結んで力が出るんです。力の文字や言霊の説明をしたんですが、いままでは経緯を結んでなかった。それで、力が出なかった。釈尊にしろキリストにしろね。キリストなんかは、奇蹟によって病気を治したと、『バイブル』に書いてますが、それはあったに違いないが、キリスト御自分だけで、弟子はできなかったですね。というのは力が小さかったんですね。ところがメシヤ教のほうは、私の弟子がキリストくらいのことをやっているんですからね。そうすると、力の大きさというのは、ぜんぜん比較にならないんですからね。なぜそういう力が出てきたかと言うと、経緯が本当に結ばれてきたんですね。それで本当の力が出るんですから、結局力なんですよ。じゃ神様のほうだけに力があるかというと、邪神のほうにも力があるんです。邪神は九分九厘、神様は一厘とね。九分九厘の力を持っている。だから、いろんな……なにしろ邪神に負けるんですよ。だから、教祖が現われたときは、そうとうな力を持っているから、その宗教も拡がったんですね。しかし、だんだん衰えてきて……仏教にしろキリスト教にしろ……ほとんど力がなくなった、というのは邪神のほうが、力が勝ったために、だんだん抑えつけられたんですね。しかし、抑えつけきりにはならないですね。一厘は神様が勝っているからね。九分九厘まで抑えつけられたんですね。それがいまなんです。そこで一番分かるのは、そうとう大きな宗教になると、病院をこしらえてますね。天理教なんかもこしらえてますね。あれは、神の力が駄目だということを表現してますね。ところがメシヤ教は、病院を作るどころではない、病院をなくしようというんですからね。さっきの論文なんか、露骨に医学をなくしようというんですからね。それはなにかというと、力ですよ。もし力がなかったら、そんな突拍子もないことを言えるわけがないですからね。
昭和二十六年十二月二十三日 『御教え集』五号 (明主様御聖誕祭)(1)
今度箱根にできる美術館は日本美術を主にして、とにかく、なるほど日本は、昔からこういう良いものがあったのかというようなものを見せたいと思って、そうして私は昭和一九年から……熱海に来てからそういうような意味で、少しは買ったものもあるんです。そしてまた、終戦後混乱状態になったので、そうとう……日本製の良いものが安く手に入ったんです。神様はうまくそうやってくれたものですね。そんなわけで、私のほうは広範囲にやろうと思うんです。それから、いろいろ……財閥とか……そういう方面を調べた結果、どこになにがあるということは、ごく名器名品になると、世間に解っている。で、内々先方の意向をいろいろ探った結果、出品をされる方もそうとうある。売買というと、税務署がやかましいんで、出品なら別に差し支えないんです。そういうものもそうとう出るつもりですからね。なにしろ、日本のものでも……絵画……絵画の中でも日本独特のものとしては、琳派ですね。光琳、宗達、光悦、乾山……その四人の者ですね。あとは、浮世絵ですね。浮世絵も、版画のほうは外国にもそうとう行ってますが、肉筆は外国にも行ってないです。いままで見る機会もなかったから、外人も買わなかったんですが、私は肉筆を出そうと思ってます。版画より肉筆のほうがずっと良いんです。それは……版画は印刷ですからね。肉筆のほうが良いに決まっているんです。また日本の古画ですね。狩野派……そういうものは、結局支那がお〔師〕匠さんになってますから日本独特のものとは言えないが、そういうものも出すには出します。あとは土佐派ですね。一名大和絵という……これも日本独特のものです。それから蒔絵ですね。これは世界にないんですからね。日本だけのものです。次に陶器ですね。陶器も、支那とはぜんぜん違う日本の特色のものを出そうと思ってます。あとは銅器ですがね。銅器は日本ではあんまりできない。いま、日本の特色のものもいくらかはありますが……それから、書ですけれどもね ……書は、一つの美術のうちに入ると思いますね。書というと、日本独特のものは、歌切れ……仮名物ですね。実に良いものがあるんですね。近ごろ、アメリカの人で、日本の仮名に趣味を持つ人が、ぼつぼつ出ている。非常に高く売れるんです。日本の貫之とか道風とか西行とか、それから光悦ですね。ああいう人の仮名書きですね。馬鹿に高く売れる。アメリカの人が買うんです。ですから、解ってきたんですね。それから、あとは坊さんの字ですね。坊さんにも上手いものがある。日本にもずいぶんあります。しかしそこにいくと支那の宋時代の古い書と絵ですね。これは日本よりは一段上です。絵なんか……宋絵と言って、絵は悲しいかな日本の画家はかなわないですね。ですから、そういうものも出すつもりでいます。支那の絵ですね。これはどこになにがあるということは解ってますから、だいたいそういう方面に話ができてますから……アメリカの人なんか、宋時代の絵というといくら高くても買いたがるんです。それはまた、実に上手いんですね。日本の画家はとうていかなわないです。ああいうものを、日本の画家に見せたいと思っている。日本の画家でも、それをまねして成功した人がありますがね。速水御舟という人ですね。あの人は宋元の、宋時代の彩色画ですね。それをお手本にしてやったものですね。日本でも、御舟は実に高いですよ。御舟のちょっと良いものになれば、五〇万くらいしますからね。ちょっと傑作になれば一〇〇万くらいします。日本の新しい画家じゃ一番高いと言っても良いですね。お手本は支那の宋元にあったんですからね。宋元の中でも、徽宗皇帝という天子で、天皇だけど非常な名人です。徽宗皇帝をお手本にしてます。それから大観あたりでも、宋時代の牧谿という人がありますね。馬遠、夏珪、梁楷……そういう人のを、大いに見習ってます。ちょうど、大観、春章というのは、宋元と光琳ですね。あれに、現代の感覚を入れたというようなものですね。 そんなわけで、私としては非常に多方面に、その時代の傑作ですね……そういうものを並べるつもりですから、これが世の中に知れたら、非常な評判になって、見たがる人がうんと出るだろうと思います。また、それがやはり、宗教に対する一つの良い意味で、メシヤ教は……新しい宗教で、迷信的の踊る宗教だとか、璽光尊だとか……そんなような迷信臭いものではない。一つの権威あるものだ。というような感じを受けるだろうと思いますね。で、特に外国人ですね。外国人は大いに認めて、本国にも紹介するし、そうとうのショックを与えるだろうと思ってます。将来外国に宣伝するうえにおいても、一つの力になると思うんです。あまり、キリストやマホメットはやらなかったからね。
昭和二十六年十二月二十五日 『御教え集』五号 (明主様御聖誕祭)(4)
御教え 今日はクリスマスで、世界中がなかなか大騒ぎをしている……さっき、ローマのバチカン宮殿から、鐘の音だとか、音楽だとか、法王ですね……あの人の言葉やなんかも、放送されましたがね。まあ……たいへんなわけのものですね。しかし、キリストのやった仕事は、二〇〇〇年経っても、ともかく人類の魂の堕落を、ある程度食い止めていたことは、たしかなんですが、まあ……大いに誉め称えても良いんですが、いま読んだように力が足りなかったんですね。だからといっても、別に腕力や暴力じゃないんですが……見えざる力ですね。それが足りなかったということは、時期がそこまで行ってなかったんです。で、その時期というのは、文化ですね。文化が、キリストの生まれた時分は、幼稚なもので、とても今日のような、国際的あるいは世界的にまでなっていなかった。だから、あの時分に天国や五六七の世を造ろうと思ったって、まあ……造れたとしても、それは本当のものはできなかったんですね。物質文化が幼稚であったために、天国のような結構な世界はできなかった。ところがいまはですね。いまの物質文化を見れば……一言しゃべれば世界中、隅々まで聞こえるんですからね。立派に天国の条件ができたんですね。それに対して、それをできあがらせる力ですね。その力が、いま言ったように、経緯結んだ力ですね。いま読んだ通り、結びの力ですね。この結びの力が絶対力というわけですね。キリストの十字架ですね……これもそのことなんです。その予言ですね。それから、仏教の卍ですね……Ζも十字ですね。ですから、力という字は、Ζを略したものですね。Ζは結ぶと鍵の手がある。鍵になっている。これは、ぐるぐるまわる形ですからね。いままではこう(卍)いうΖになっている。世間では、本当のΖと言っているが、われわれからは、逆Ζになる。仏教は月の教えですから、水になる。右進左退になる。本当は左進右退にならなければならない。これ(卍)じゃいけない。いままでは右進左退になっている。まったく良くできているんですよ……文字はね。ですから、文字と言霊で解釈すると、たいていなことは分かるんです。神秘が分かるんですね。そこで、いま言ったような力というのは、その結んだ力ですね。それを私が神様から与えられているんです。だから、御守りを懐に入れると病気が治るということは、それだけ発揮できる力ですね。だから、昔からのことを、良く考えてみると、実に良くできている。とともに、良く理屈に合っているわけですね。それで、キリストは……「再臨のキリスト」ということも、予言されてますがね。これは黄金の国ですね。つまり日本ですね。黄金の国に再臨するということになっている。
いま言っているキリストは、イエスですね。イエスとキリストは違うんですがね。これは、以前も言ったことがあるが、言霊で解釈すると分かる。「キ」というのは神ということです。「キ」という言霊は、霊体を結んである言霊なんです。「カミ」の言霊返しは「キ」になっている。神は火水ですからね。火と水が結んで「キ」になるんですからね。だから「キ」というのは、一番貴いんです。天皇のことを「キミ」と言うが、貴いんですね。貴いという字も、「キ」と読みますね。「リ」というのは、これは字で書くと、二つになるんですね。霊体ということなんです。霊体が経に働くという言霊で、言霊で言うと「リ」は「ル」で、渦巻く意味です。渦巻くという意味は、拡がると世界的になる。「ス」というのは一人ですからね。それから、「ス」というのは、統べる……イロハで言うと、一番最後につく……神様が作ったんですね。「ト」は人というんです。ですから、キリストというのは、いま言ったような意味ですから、イエスとは違うんです。キリストはイエスが出るよほど前に出ているんだから、再臨するというのは、その方が再臨するというんですね。イエスは、ヨセフとマリアの二人の間にできた子供です。聖霊に感じて身篭もったというのは作り事なんです。そんな馬鹿なことはないんです。ですから、いままではキリストでもお釈迦さんでも、力がなかったですね。要するに、両方結ばったんじゃないから……一方的だから力がない。そこで、キリストはなるほど奇蹟をやられた……ということは『聖書』にありますけれども、いまメシヤ教の信者がやっている奇蹟は、キリストと同じくらいなものですよ。昨夜か、「奇蹟座談会」の報告がありましたが……読んでみましたけれども……あれは生和会かのですが、まるで……みんなの奇蹟が、ちょうどキリストがやっているのと同じですよ。そこに、やっぱり力の発揮が……キリスト一人だったんだからね。弟子がそういう奇蹟を行なう者はなかったんですからね。だから、メシヤ教と較べてみれば、そのくらいの異いさがあるんですね。いま、力の話をしましたけれども、この力というのが、つまり一厘の力というんです。つまり、世界が、……あらゆるものが行き詰まって、九分九厘になった。そこで、一厘の力ですね……力が現われて、そうして、大転換ですね。ひっくり返しちゃう。この九分九厘と一厘というのを読ませます。