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昭和二十五年三月十一日 『救世』五十三号

 問 メシヤ(救世主)はイエス・キリストにも冠されているが、それとはどんな関係がありますか。

 答 西洋では一応キリストをメシヤと称しているが、まだしっかりした定義のもとに言っているわけではない。救世主と言っても、真にその目的を達成したものはない。二〇世紀前半まではその実力を顕現するまでにはゆかなかったかもしれないが、しかし、いよいよ、これからが神の実力が発現される時期に入ってきたと言える。西洋においてはキリストもさぞや本来の実力を発揮されることと思う。而して東洋においてはメシヤが本当に御神力を発現されることと確信する。だから従来のような宗教的観念ではとうてい理解できない。もっと神秘にして幽邃な御神力がはじめて登場することになる。私はもちろんメシヤの代行者であるから、今後、いかなる形態によってメシヤのお働きが行なわれるか、想像だに許されないが、しかし、現在の、わずかではあるが、神の御動静から推察して、これはまたたいへんな御霊力が宇宙に御加護あられるということを申してもよいと思う。

 可能な世界平和 キリスト教と呼応する

 答 絶対可能と信じている。前にも述べた通り、西洋にキリストあり、東洋にメシヤあり、この二大勢力が東西相呼応して平和のために全信徒が、まじめに闘ってゆくなら、必ず永遠の平和が齎らされるものと思う。いかに無神論国といえども、神の怒りに触るることは嫌だろうからネ。世界メシヤ教の教義は、勿論この人類永遠の平和希求に根をおいていることは申すまでもない。

昭和二十六年五月二十二日 日比谷公会堂での講演

 そこでこのいろいろなすばらしい発明ですね。発明が、いいほうへ使われないで、悪いほうに使われる。原子爆弾だって一遍に、さっきの話みたいに、二千万人も殺せると言うけれども、それを悪いほうに使うからで、いいほうに使ったら、指の頭くらいのもので、それで汽車や、自動車を、幾日も走らせることができるのです。飛行機だって、交通機関に使えば、あんな早く便利なものはないけれども、これを爆弾を落とすものに使ったら、それは恐ろしい機械です。そういうわけですからして、それは、今日の科学文化ですね、科学文化が進歩して、ここまで来たけれども、肝腎な……肝腎なものが足りない。足りないために悪いほうに使おうとします。それが人類の悩みなんです。そこでこれをいいほうへ使うような根本ですね、つまりこれが魂。魂を、悪を善にすれば、いいほうに使うから立派な世界ができる。これを、キリストは「天国は近づけり」と言いました。またお釈迦様は「仏滅後弥勒菩薩が現われて、そして五六七の世ができる」ということを言われましたが、ただこの点、お釈迦様は五十六億七千万年後とこうおっしゃった。ところがこれは五、六、七という数字ですね……その数字を現わすためにそういうふうにお書きになったと思うんです。本当に五十六億七千万年後の予言なんかするとしたら、お釈迦様の頭はどうかしている。こんな遠い先のことを予言したって、予言の価値はないのです。その時代になったらいったい地球の人類はどんなになっているか、想像もつかないほど変わるに違いないんだから。

 そこで五、六、七という数字ですね、これは、信者の人はよく知っていますけれども、この説明は時間がかかって肝腎なことがしゃべれませんから略しますが、とにかく、ああいう偉い人たちが言われたということは、私の考えは、これほど、キリストならキリストは「天国は近づけり」とおっしゃるよりか、「天国を造る」ということを言われたらよさそうなものだが、実はそこまで世界が行っていなかった。

 ところでもう一つ私が言いたいことは、キリスト教にある最後の審判ですね。お釈迦様の言う仏滅の世と、……これはいろいろな教祖、開祖が言われてますけれども、私は、この二大聖者のことだけに留めておきますけれども、それは、最後の審判というのはどういうことかと言うと、ただ最後の審判だけではなにか神様がこう……地獄でなくこの現世に閻魔様が出てきて裁くんじゃないかというように思うのですが、そうじゃない。これはちょっと、未信者の人には、分かりにくいんですけど、霊界というものがあるんですね、霊界……。このわれわれが物質をさわったり、見えたりするのはこれは物質界ですね、現界……それからその奥に霊界がある。その中間に空気界がある。空気界までは分かっているけれど、霊界は分からない。ちょうどさっきの野蛮時代から文化時代、文明時代とこういうような順序です。この三段階のうちのその物質界、それから空気界、霊界と、この三段階になってます。ところが世界の循環率……循環率によって明暗ですね、暗くなったり明るくなったり、これが一昼夜の二四時間にそれがあるのではなくて一年にも明暗がある。一年の明暗というものは、仮に冬は暗いということになると夏は明るいという、こうなるんですね。太陽の光線から言っても夏が一番強烈なのです。冬は一番薄いんだからして、これも明暗になっています。これがまた、一〇年にも明暗があり、一〇〇年にも明暗がある。歴史上平和時代もあるし、また暗黒時代もあるのは、やはりそういった一つのリズムなんです。

 いま言ったような具合に、霊です。霊の曇りを明るさに相応するようになるときに、病気くらいですめばいいけれども、そうでなくてもっと強くすると、もう病気なんかに堪えられないで、その人は死んでしまう。病気というものも、少しずつ来るから病気で、あれでいいのですがね。あれで一遍に来たら倒れてしまう。最後の審判というのはそれなんです。そこでだんだんだんだんこの霊界が明るくなるにつれて、そして一遍にやられることになると、そのために命を失うことになる。それが大量になる。大量になってはかわいそうだからというので、そのことを知らせる、と。知らせて助けなければならないというのが、神様の御意志である。で、私は神様に、それを命ぜられた。そして、こうしてお知らせするわけなんです。そうしておいて、私はですね、つまり釈迦とか、キリストとかいう人が、「天国は近づけり」と、いまにいい世の中が来るという予言をされた……予言をされたそれをですね、キリストや釈迦は預言者で、私は実行者なんだ、それを実行する、と。本当にその世界をして、病貧争絶無の地上天国を造ると、……造れということを神様から命ぜられたのです。

 その代わり私が作るのではないから、決して骨が折れることはない。万事神様がお膳立てしますから。ただ、形に表われたものだけをやればいい。これは、非常な楽なもんです。しかし楽だと言っても、責任は重いんです。まあ、おそらく人類肇まって以来、私くらい大きな責任を負わされたものはないでしょう。そうするとそれによって、偉い人たちの予言が合ってくるんです。ですから私のほうで言うには、もしキリストや釈迦の言った予言が、実際実現性がないとしたら、予言ではなくて虚言だと言うのです。いわゆる虚言とは嘘つきです。あんなに偉い人が嘘をつくというはずがないんだから、いずれはだれかが、実現されるものが出なければならんというような意味で、それで、その担当者として私が選ばれた、とこういうわけなんです。私はこういうことを、こんな大きなことを言うってことは、実際つらいのです。あんまり大それたことのようで言いにくいものですから、いままで言わなかったんです。しかしだんだんだんだんいま言う夜から昼間になる時代が迫ってきます。それで、人を救うには早く大勢の人に、それを耳に入れなければいかんというわけで、今日初めて大勢の方の前でしゃべるのです。

 それはノアの洪水のときだと思うんです。そういうような具合で、今度は、キリストの……これは黙示録やいろいろありますが、ヨハネは水の洗礼をすると、キリストは火の洗礼をするということ。ヨハネの水の洗礼はもうノアの洪水ですんだわけです。今度は火の洗礼となると、これはやはりたいへんな、大きなことなんです。

昭和二十六年五月一日 『御垂示録』六号(21)

 お釈迦さんは経ですね。キリストは緯を説くのです。私は、経にあらず緯にあらず……十字ですね。結びですね。結びというのは、これでお終いだということです。釈迦やキリストのは結びじゃないんです。また日本は経の中心で、アメリカは緯の中心ですね。

昭和二十六年六月二日 『御垂示録』六号(2)

  --先に、明主様が日比谷にお出ましになられましたとき、山梨県の下吉田の教会で、信者さんが一〇人集まっておりましたが、御神体のまわりに不思議なお姿を、十人の中五人くらいが見、それが三日くらい続き、その御  神体の側に明主様のお姿が、その左側にキリストのようなお姿が、その左側に十二単をお召しになり、簪をさし、  その前に支那の方と思われますお姿が、御神体の右側の方に、木の葉のお召し物をお召しになったお姿が見えま  したそうで、二時ごろだったそうでございます。

 キリストキリストに違いない。木の葉のようなと言うのは……女のようなと言うのは、兄之花姫です。支那のは、孔子かなにかです。

昭和二十六年七月一日 『御垂示録』六号(1)

 だいたい、天理教があれだけできたのは病気治しです。先には良く治ったんです。昭和六年から治らなくなった。天理教は月の神様ですからね。だから女が教主になった。素盞嗚尊の系統です。いままでは月の神様の系統ですからね。だから、お釈迦さんを変性女子と言った。キリストも女の系統ですね。素盞嗚尊の系統です。ですから、男の系統は救世教が初めてですよ。大本教の教祖も女ですね。代々女です。夜の世界じゃ、女が……月が、一番です。月の光で、ともかく闇がそれだけ明るかったからね。昼間になると月の光がいらなくなるからね。それで、昭和六年から病気が治らなくなった……天理教はね。その結果病院を作るとか、病気は医者が治すとか言い出してきた。だから、別に天理教が嘘言ったわけでもなく、間違ったわけでもない。時期が違ったということです。それで、そうなる。

昭和二十六年七月一日 『御垂示録』六号(9)

 お筆先があって、あれがたいしたものだった。『霊界物語』とか。いま、ああいうのは民主主義と違うからね……根本からね。それで、それを宣伝に使うことができない。ところが、それを使わなければ生命がない。「日本は神国、外国は獣の国であるぞよ」「今に艮の金神が返報返しを致すぞよ」なんてね。もう、大本教の御用もすんでるわけです。天理教の御用もすんでるし、仏教の御用も、キリスト教の御用もすんでる。いままではたしかに必要だった。だからこれからも必要だとはいかない。時に応じて変わっていく。いままでは治ったようだが、これからは死ぬか、浄霊を受けるか、どっちかです。そこまで来ますね。だいぶ近づいて来ているからね。だから、楽に信者が増えればいいんです。楽にどころか、先のほうで「頼みます」と言って来る時期でなければ本当じゃない。そういう時期が来るんです。

昭和二十六年八月八日 『御垂示録』一号(1)

  『東京日日新聞』も邪神がやっている……最後までやらなければ。やっぱり龍神ですからね。蛇を切っても尻尾だけ動いているでしょう……あれと同じです。邪神はメシヤ教が恐いんです。他には勝つんですが、メシヤ教だけは勝つことができない。どうしても勝つことができない。邪神の頭領は赤龍と黒龍ですからね。私は金龍ですからね。神軍戦史と言うですね、邪神との闘いですね。邪神をいろいろやっつける戦いですね。去年の事件も、教団を乗っ取ろうというのですね。実にうまくやったものです。しかし九分九厘のところで……神様にね。邪神も年々弱ってくるね。一番最初は短剣を持って私を殺しに来た。それが一番最初の邪神ですが、時代も違うわけですね。一番その犠牲になったのはキリストですね……あんな若くてね。観音会始めて間もなくね……指圧療法で……そのときちょっと人を冷やかすようなことがあり、その後冷やかすこととあべこべにどんどんこっちが出世した。それでくやしがってしようがない。ねたみですね。

昭和二十六年九月一日 『御垂示録』二号 (3)

【 明主様 】たいへんです。肝腎な……力のないもので、一生懸命解決しなければならないというのが、いまの文明ですね。それを教える仕事です。いろいろな法律を作るとか、一家が一生懸命やって……いまもラジオの街頭録音で、現代の世相というのは……世相が悪いと文句を言っている。親子心中だとか、家庭争議だとか、瞞し合うとかね。政府の政治が悪いとか、教育が悪いとか、金がないからとか、いろんなこと言っているが、宗教ということを言った奴は一人もない。一人、トルーマンもマッカーサーもキリスト教信者だと言ったが、もう少し言うかと思ったら、それでおしまいだからね。それだけ、宗教というものは世の中から認められなくなった。なぜかと言うと、力がないからです。できたては力があったが、だんだん無力になった。そこで信用がなくなったから、結局忘れられていった。だからわれわれは、宗教が信用をされるようにするのです。宗教の信用……信じさせるというのは奇蹟なんです。奇蹟がなくて理屈だけだったら、道徳や教育と同じで、奇蹟のある所に、理屈や教えで及ばないものがある。それが奇蹟だから、奇蹟即宗教だ。最初は多少あったが、今日ではなくなったから、宗教の使命がなくなったというわけで、それが長く続いたので、奇蹟がないのが宗教で、あるのは迷信邪教となった。およそあべこべになった。

 キリスト教のほうは、二〇〇〇年経ってキリストが再臨すると言うが、このほうが現実的です。仏教のほうは謎みたいに書いてあるが、そうしないと本当はいけない点もあるんです。仏教の中で弘法大師は良いほうです。極楽のほうですからね。少しは地獄のほうに行ったかもしれませんが、早く上がった。親鸞だとか、日蓮だとかは地獄に行っている。

昭和二十六年十月五日 『御垂示録』三号 (21)

 いままでは医者が注射すると、たいていちょっとは良いが、いずれは注射するとすぐ死んじゃうというのがたくさんできてくる。医者自身が、方法を講ずるのに怖くなってきますね。それで、なんとか方法はないかというような時代になってきます。それは楽なものです。そうなるということは、こっちがそれだけの組織や準備がすっかりできていなければならない。考えてみると、いま、どんどんと救われたいという人ができたところで、受けきれないから駄目です。だから私なんかでもずいぶんぼかしてますが、本当にメシヤ--キリストと言うと、世界中の人が寄ってきて仕事ができない。『文明の創造』なんか書けない。だから、ちょうど良いように神様がやっている。この次はこうなる。その次はこうなる……ということは、ちゃんと知らせますから、ちゃんと分かっている。神様は、それはうまくやってます。私はいまに世界的の論文を書いて、私はメシヤではない。さらに、私の仕事を見て、世界を救うというメシヤだけの、実際の効果を見て……そうしたらメシヤにしても良いと書く心算りです。メシヤだけの働きをすれば、メシヤと言っても良いが、最初から、俺はなんだかんだ、と言ったところでしようがないですからね。和光同塵と言ってね。うまいことを言ったものです。だいぶ近寄って来たですね。来年あたりから、かなり目覚ましいことになりますね。

昭和二十六年十月八日 『御垂示録』三号 (12)

〔 質問者 〕Uという女の信者で、熱心に信仰しており、子供がリットル氏病で、小児麻痺様になり、目も見えず、口もきけず、亡くなる一月ほど前に、先祖の霊というのがたくさん出てまいり「もう一月すると、救うために霊界に引き取る。それで夫婦も良くなる」と言い、次に一七歳の長男が御守りいただいておりますが、キリスト教の教会に讃美歌をうたいに行くのが好きで行っておりましたが、八月に奥さんの霊が憑り、「この子は霊界で御用があるから、涜罪という意味ではないが、引き取る」と言い、それより長男が寝つきました。審神させていただきましたが、恭しく出てまいり「八大龍王三女神の部下の神で、どうしても霊界で人類救済の御用をさせなければいけないことになっている。主人はそれによって分かって、入信することになる。その主人も、どうしても分かって、現界で使うことになる。浄化ではなく、霊界に引き取り、すぐに主人も分かるようになる」「いったい亡くなる時期はいつですか」と言うと「今日だ」と言うんです。明主様にお伺いして帰りましても間に合わないようでございます。これは本当でございましょうか。