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昭和二十五年三月五日 第一回五六七大祭での御講話

 釈迦滅後二六〇〇年、キリスト没後二〇〇〇年で六〇〇年の開きがあるが、これは二六〇〇年を詰めた意味である。

 釈迦は経で、キリストは緯で、これが結んで神の働きになる。これもよく合っている。

 キリストは緯であるから広い。仏教は経であって、緯の働きはない。

 キリストの時代、イエスがメシヤか否かということになり、メシヤではないということになった。そしてキリストもメシヤなりとは言わなかった。

昭和二十五年八月一日  (1)静岡事件後最初の御講話

 私のお腹の中に光の玉があり、いままで中に心<しん>がなかった。その種が六月一五日留置場中で入った。その種が髄になるわけである。これは悉<くわ>しくは言えぬ。大本教のお筆先の一輪の身魂で、種が育つに従い、光の玉は大きくなる。そして現界は昼間になるし、現界に大きな変化が起る。すなわち大浄化が起る。いままでは霊界だけが昼間であった。すると穢れのある所はすべて浄まって行く。これがキリストの言った、世の終わり、最後の審判……である。

 大本教祖はずいぶん憑った。話がおもしろいので退屈しなかった。キリスト、釈迦、弘法、親鸞、日蓮など憑った。これらは、弘法は極楽であるが、他はほとんど地獄であった。いろいろあって割合退屈しなかった。

 一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬとおおせられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけのことしか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。

 小さな型だが世界的になる。世界的散花結実になる。これこそキリストの世の終わり、最後の審判で、朝鮮問題はその第一歩である。キリストは世の終わりと言い、天国は近づけりと言うが、ちょうど合っている。

 地上天国、弥勒の世という立派な世を造るには地上を清めてからでなくてはならぬ。言えば簡単だが、実際にはたいへんなことである。キリストは「世の終わり来る。天国は近づけり」と言ったが、破壊と創造で、破壊の親玉がスターリンで、だんだん進むとアメリカも壊し屋になる。今度はどっちも横綱で、両方で噛み合うのである。世界は二つの大きな塊となる。血みどろになって戦う。われわれはおもむろに建築屋になる。大浄化の根本は霊的で、今度は火の洗礼である。

 キリストはイエスより一〇〇〇年前に生まれたそれが再臨するわけである。キリストは救主で、罪の赦し主がメシヤで、日本でいう国常立尊である。

昭和二十五年 御講話 (1)朝鮮戦争の真意義、ユダヤ文化の清算

 朝鮮問題であるが、朝鮮は素盞鳴尊<すさのをのみこと>の発祥地で、現在の文化はユダヤ文化である。素盞鳴尊は目的のために手段を択ばぬ。共産主義も資本主義もユダヤから出ており、ユダヤには正義派と邪道と両方ある。資本主義のアメリカはキリストを基としている。世界平和をモットーにしている。

昭和二十五年二月二十八日『御光話録』十七号 (3)

 幽世大神のお名前は無論この通りですよ。幽世大神は霊界が昼になったってありますからね。……それから、いままでは第三天国くらいしかなかったんですが、今度初めて最高天国ができるんです。その反対に最低地獄というものもなくなってくるんです。まあキリスト教で言う「煉獄」、仏教で言う「無間地獄」、神道の「根底の国」といったものはなくなってくるんです。これを現界で言えば、例えば牢屋なんかなくなる、重い罪を作るような人がいなくなりますからね。そうなると一番重い刑罰は重労働ということになるんです。だから、地下へ入って石炭を掘ることや火夫のような苦しい仕事が重刑になるんです。悪いことをする人がいなくなるから重い刑罰もなくなるんです。

昭和二十五年四月二十三日 『御光話録』十八号(18)

 当然な疑問ですね。写真というものは人間の目の五倍の強さを持つ鋭いものなんですよ。ま、見る感覚が強いんですね。見る感覚と言っては変ですがね。なんて言うか、写る強さって言うか、写る濃さが強いんですね。霊写真は霊が写るんですよ。私はいままでたくさん霊写真を見ましたが、その中にはずいぶんはっきりしたのもありましたがね。私のなんかもはっきりしてるほうでしょうね。霊写真には人の霊が写ることが多いんですが、中には作り物もありますよ。日本にはあまりないようですが、西洋の物でキリストが写ってるというのを見たことがありますが、これはにせ物で、煙のようになってるのは綿を使ってそうやってたんです。で、人霊も顔だけが写ったり、肩に乗ってたり、人間より上のほうに現われてるのもありますね。やはり、写真機の感度のいいほうが霊を把握できるようですね。霊界にはたくさんの霊がおりますからね、まったく百鬼夜行の有様ですよ。先に非常によく霊の見える人がいましたがね、気持ちが悪くてしようがないそうですよ。そこいらに亡霊や動物霊や魔物やなんかがウヨウヨしていてね。そんなの見えないようにならないものかって、私が大本の信者だった時分に出口先生の所にお願いに来た人がありましたがね。また、某宗の行者で汽車に乗ると必ず轢死者の霊が見えて困るって人もありました。ま、こんなふうに霊が見えすぎて困る人があるかと思うと見たくて困る人もあるもんでね。(笑声)

昭和二十五年一月二十日 『地上天国』十二号(7)

 十三の数は、仏教でいろんな意味によく使う。仏教では、十三仏や十三塔などと言う。また月を十三夜とも言い、二十六夜様などとも言う。これは月を祝うのである。十五は満ち数で下り坂の一歩手前であるから、十三の数は最もよいわけである。また薬師如来の家来に十二神将がある。これも合わせて十三になる。キリスト教では、十三を凶数として嫌う。というのは十三日の金曜はキリストが受難の日であるからで、不思議なことには西洋の歴史でも、実際十三日には悪いことが多いようである。

昭和二十五年一月二十日 『地上天国』十二号(10)

〔 質問者 〕「汝ら人に惑はされぬ様に心せよ。多くの者わが名を冒し来り「われはキリストなり」と言ひ、「時は近づけり」と言はん。されど終りは直ちに来らず」「その時偽キリスト偽預言者おこりて大いなる徴と不思議とを現し、為し得べくば選民をも惑はさんとするなり」イエス問ひ給ふ「汝ら我を誰と言ふか」ペテロ答へて言ふ「汝はキリストなり」イエス答へて言ひ給ふ「汝はさいはひなり」とあり宣教の際読解されますがいかがでしょう。

 これはまったくその通りである。いままでに再臨のキリストなどと称する者はたくさんに出たが、この言葉はそれを注意したものである。二〇年くらい前に、インドにサンダーシングという三〇くらいの男が現われた。それで何百万もの信徒ができた。水の上を渡ったりいろいろの奇蹟を表わしたので、一時は再臨のキリストと言って騒がれたが、三十幾歳で死んだ。しかしこれは本当のものではない。この『聖書』の言葉は本教のほうでも言いたいことである。

日本においても、いまでも偽りはある。いま天照大神の再生と称えるものがたくさんいる。いままでたくさんに偽キリストが出ているので本物が出たとしても最初は偽物と思われるが、これは致し方ない。しかし本物はいつかは知れるに決まっている。

昭和二十五年一月一日 『光』四十三号

 大先生 宗教心のない人間はダメだと私はいつも強調している通り、宗教こそ平和的なすべての基礎をつくるものと信じている。しかしこの宗教といえども、いわゆる迷信邪教ではなんらの効力もない。無価値な宗教は信ずるだけムダだ。現在の日本には万人信頼のおける宗教は本教以外にない。観音力の絶対性、これより他に本当に救われる力はない、欧米はやはりキリストだと思う。

昭和二十五年二月四日 『救世』四十八号

 キリスト教と呼応 東洋にあまねく布教

 答 信仰によって世界全人類を幸福に導くのがその最大の目標です。しかし西洋にはキリスト教があります。そのキリストのいわく「天国近づけり……」はわが教理と最も近きにあり、わが教理は「現世の天国」を一日も早くつくることにある。キリストの遺訓まことに立派で、やはり世界人類救済の神力や偉大です。私はわが新教はこのキリスト教と呼応し、東洋において、わけてもまず日本で、人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい。従ってこのことが今後の世界平和に必ず大きな寄与をなすものと堅く信じています。まことに本教こそ日本で生まれた最初にして最大の世界平和推進に役立つ宗教であろう。宗教に国境なしという言葉がある通り、本教の真面目と現実の霊験が納得できれば、必ず日本人は勿論、東洋人全体が真に平和に徹した高邁、清純な精神を保持することが可能である。世界平和のために、人類世界の争闘をなくするためにも、本教将来の活動が活発にならなくてはならない。この真理を了解できざる人々こそ平和を希求しない不幸な人々だと言えよう。