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昭和二十四年五月二十五日 講話(13)  地天04 「妙智之光」

〔 質問者 〕キリストと十二人の弟子について。

【 明主様 】 キリストには十二人の弟子があった。そのうち一人はかのユダがイエスに叛いたため、実際は十一人の弟子である。

 その当時、当局の圧迫がひどく、弟子たちはみな逃避し一〇年の間はひっそりしていた。一〇年以上経ってみな寄り合って教えの元を作ろうというので、みなでイエスから聞いた心覚えを書いた。それが『バイブル』であるから、キリスト御自身の書いたようなわけにはゆかないであろう・『旧約』はモーゼが書いたもので夢みたいな謎が多いが、それは神懸りに因るものである。ヨハネが作ったという説もあるが、これはモーゼが書いたというのが本当であろう。圧迫のほとぼりの覚めるに従い、内密に書いたのが『聖書』である。

 キリスト教徒にはなかなか偉い人があった。アフリカ探検の有名なリヴィングストン博士の話を聞いたことがあるが、実に偉い人で私も感心した。この人はアフリカ探検の際あらゆる危険を犯して伝道したが、土人の鉄砲に包囲された中を平然と通過した。そのときの彼は「もし自分が現世に用事があれば、絶対に神は自分を殺さぬ」という信念であったとのことである。

昭和二十四年十月二十五日 御講話(2)  地天09 「妙智之光」

〔 質問者 〕ユダヤ教、仏教、キリスト教など、いわゆる世界の大宗教と称せらるる宗教が今日の人心世相をすでに二千三千年の昔に遺憾なく言い表わしております。このうち最も重大と思わるることで未だ実現しないものに最後の裁きで地球上の人類の三分の二は篩にかけられ、ピラミッドの王房に入り得る者は残り三分の一であると言われております。いままでがだいたい当たっておりますので、今後のことを疑うよりも信ずるほうが賢明であるかもしれませぬ。はたしてかくのごとくであるとすれば、その篩は病気、天変地変、戦争などのいろいろの種類がありましょうが、そのうちもっともなるものはどんな型でしょうか。またその時期はいつごろでしょうか。お話し願います。

 三分の二滅び、三分の一助かるという予言は私は知らない。釈迦は仏滅の世が来ると言った。これは仏教が滅するとか物質界が滅するとか諸説はっきりしない。キリストは世の終わりとか、最後の審判とか言ったが具体的に言っていない。その時期としては釈迦は五十六億七千万年後と言い、キリストは二千年後と書いてある。私も世の終わりとか最後の審判とか書いているが、これは『聖書』によったまでである。こういうことははっきり時期が判っても言えない。言わないところに価値がある。例えば人間の寿命が判ったら働かないことになる。私は予言しないようにしている。誤解されやすいからである。詳しく言えば人心惑乱として法にふれる。ただ世の終わりが近づいていることは言える。これは浄霊が年々よくきくようになるのでも判る。これは霊界に火素が増えたからで、火素が増える結果は浄化が強くなることである。浄化はひとり病気だけではなく、あらゆる面に及ぶから想像はできる。

昭和二十四年九月十日 天国之友01 「御開示集」(3)

〔 質問者 〕代々仏教の家にて母がキリスト教を信仰し、死後キリスト教で祀ってほしいと申しますが、いかがいたしましたらよろしいでしょうか。

 キリスト教で祀らねばいけません。すべて生前の信仰によって祀ることです。生前の信仰の霊界へ行くのです。

昭和二十四年四月十八日 光07 ある日の対話

 僕 お説の通り、本教発展のため恐怖を感ずるもの、嫉視する者、為にする者などが入り混り種々の不正手段を用い、当局を動かそうとしていることはよく判っている、これは新宗教には必ずつきもので、キリスト、マホメットなどの大聖者を初め日本においても法然、親鸞、日蓮などの例をみても明らかである、ただ釈尊だけそれがなかったのは皇太子という地位のためであった、しかし文化の進んだ今日はむしろ迫害というほどの峻烈な圧迫がないことはありがたい時世と思うくらいである。

昭和二十四年五月三十日 光号外 自観大先生との対談

 大先生 実存している。私はこれをもっと科学的に説明することはできるが、まだその時機に達していない。いわば私の発揮する観音力は、いまの宗教的水準よりずうっと上にあるから、まだ一般[が]充分に理解することができないのである。だから私の言うことをびっくりして迷信だと否定する人々ができるのである。宗教の揺籃時代は勿論いばらの道である。キリスト教をバテレンとして迫害したということもそのことである。やがて解ってくればおのずからその価値を信ずることになる。

昭和二十四年九月三日 光25 ある客との対談

 ところが、キリスト教は別とし、今日までの宗教、道徳、法律などでは一時的苦痛緩和のカンフル注射くらいの効き目はあるが、全治させることは不可能であることは、現実が証明している。この意味によってどうしても絶対的強力なる療法が生まれなくては、人類の不幸はますますはなはだしくなるばかりだ。本教が生まれたのもまったく生まるべくして生まれたのである。勿論広い世界といえども二〇億の個人の集団である。とすれば、まず個々人の病気から解決してゆかなければならない。それよりほかに有効な方法はあるまいからである。

昭和二十四年六月十五日 無限03 自観放談

 自観 この辺から、宗教上の解釈が生むるわけだよ。つまり、かのキリストの唱えた「最後の審判」がそれだ……人間に対する大転換がある。これはなにを意味するか。いま言う原子戦の前に、それ以上の途方もない脅威が目前に迫っている、と言ったら、ちょっと奇言迷説になりそうだが、ま、気軽く説いてみると、こうだ……物質文明はおそらく原子の発見で頂点に達するだろう。つまり、現代文明はほぼこの辺で停止する、物質科学の極限に達したわけさ。

昭和二十四年七月十七日 NHKアナウンサーとの御対談

 アナ 中の十文字はなんの意味でしょうか……キリスト教となにか関係が。

 明主様 関係って言うより、これは私のほうの解釈ですがね。十字は経緯を結ぶっていう意味なんです。経は東洋、東洋文化ですね。緯は西洋であり、西洋の物質文明なんです。また、経は祖先との繋がりであり、緯はキリスト教の博愛的な精神です。だから、今度敗戦によって日本が民主国家になったということは、経に緯の棒が入ったってことなんです。いままで忠君愛国といったふうな経だけのところへ緯が入ったわけですよ。

 明主様 ええ、クリスチャンですね。だからキリスト教でならやってもらうでしょうが、ほかのでは受け入れないでしょう。キリスト教の中にも派が分かれていて、祈りによって病気を治すのもありますね。クリスチャン・サイエンスなんかはそうですね。だから、永井博士には別に。