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昭和二十三年四月十八日 御講話(2) 光録(補)

 予言予言と言うが、宗教で予言のないものはない。キリストも釈迦もみんな預言者ですよ。「天国は近づけり」と言ったのも予言ですよ。天理教もそうです。日蓮の「義農の世」というのも予言です。が、ああいうのは捉え所がないからいい。何年何月にどうなるなんていうのは外れるに決まっている。たとえ予言してもまた神が変えてしまうんです。それは一般に知れてはいけないことなんだからです。みんな予想なんですよ。予想が理想です。日をきったりするのなんかウソだと知っていい。

昭和二十三年四月二十八日 御講話(2) 光録(補)

【 明主様 】そのくらいなら上等ですよ。肉一毒九ですよ。昔は「膿塊人」と題して笑冠句を作ったもんです。いまのような激しい病気や形の変わった浄化が起ったとき、初めてこのお浄めの意味がわかります。私がこう言うと悪宣伝の材料になり観音会に入らぬと死んでしまうなどと言う人が出る。私が言った通り言うならいいけどオマケがついてしまう。空気が三分間なくなるという話もよく調べたら出口王仁三郎が言ったんです。そしてこっちで言ったようにしてこっちを害しようとしたんです。やっぱり邪神が憑依しているんです。ほかの宗教でもこういうことは言ってます。以前キリスト教の牧師で「天国の福音」会会長という人に会ったらその人がいわく「世の終わりとは人類が全部死んでしまって一〇〇〇年経ってからいったん死んだのがポツリポツリと生きかえる、それが復活だ」と言っていた。そのころ私は宗教のことはよく知らぬのでバカバカしくてね。またチベット学者の河口慧海を訪ねて、人間は死ぬとどうなるかと訊ねたら、宇宙の大霊に溶け込んで零<ゼロ>になってしまうと言っていました。そんな考えになると虚無思想で悪いことをするようになる。なぜなら善をしても悪をしても死んでから零になるんなら悪いことをしてもこの世の中で楽をしようという気持ちになるから。

 何年何月にどうなるという予言は外れるものだ。関西の地震もそうです。そういうことは人間に判ってはいけないんです。寿命と同じで寿命があらかじめ判ったら人はいい加減前からもうあとこれこれで死ぬんだからと言ってブラブラ遊んでしまうでしょう。地震が確実に予言されたら家を建てる人もなくなってしまう。だからそんなことを知らせるのは邪神です。正しい神はただこういうことが将来あると知らせるだけです。大本で浅野和三郎を訪ねたとき、お立替は昭和一一年にあると言ったので、もしなかったらどうするかと問うたら、私は軍人だから腹を切ると言っていた。一一年にはなにもなかったので彼は止めてしまったのです。キリストの再臨なんてのもね、「メシヤは夜盗人の来るがごとく来る」とか「栄光の雲に乗って天降る」とか書いてある。これはどっちにもとれるようにしてあるんです。

昭和二十三年八月二十八日 御講話(6) 光録(補)

 ええ、龍神、天狗は我が強いです。今度本にも書いたのですが苦しみというのは我と執着があるからであって、これは本当ではない。我とは主観のことで、自分の思っていることが正しいと思うことです。だからつまり主観をすてて客観的に、自分を離れて自分を見ることが大切です。理屈をつけるのは我です。……自分で自分の間違いが判らないのは、それは智慧がないからです。だから智慧を磨かねばいけない。……信仰の標準は智慧と誠です。自分のしていることがいいか悪いかも判らなくては駄目です。仏教でも智慧証覚と言い、キリスト教でも智慧の木の実という。智慧のない人は無駄をやっては失敗するんです。

昭和二十三年九月八日 御講話(7) 光録(補)

 ほーおもしろいですね、初めて聞きました。偉大なというほどでもないが、あることが秘められているでしょう。だいたい皇室の先祖はユダヤに関係がある、が、あまりはっきり言わないほうがいいでしょう。皇室は十六の菊の紋ですが、ユダヤの都の四つの門の中の「開かずの門」の上にはやはり十六の菊の紋が刻まれてあり、その門はキリストの再臨まで開けてはならぬと伝えられてます。

昭和二十三年九月八日 御講話(8) 光録(補)

 国常立尊がヨハネではなくヨハネの働きをするのです。「靴の紐を解くにも値せず」と言ってキリストもヨハネも謙遜し合っている。ヨハネは霊的には火でキリストは水です。

 ヨハネもキリストも水ですが霊的には火です。言霊ではヨは横、水で、ハは火、ネは根本、だいたいは水で水の中の火です。……『聖書』は旧新約ともに本当のことは書かれてない。ある程度までは本当だがその先はまだ発表の時ではない。

 〔 質問者 〕キリストは本当は日本へ逃げて来たとの説もありますが。

昭和二十三年九月十八日 御講話(9) 光録(補)

 〔 質問者 〕キリストのはなんでしょうか。

 あれは霊でもってついてる邪霊をとってやったのです。だから中風なんかも非常に早く治ったのです。御木徳一の先生の金田徳光という人は非常に偉い人でしたが、当時の官憲からたいへんな圧迫をうけたのです。いまでも大阪のほうに徳光教がそうとうあるようです。信仰療法で他人の病気を引きうけるのはいままでいろいろなのがたくさんありましたが、だんだん霊界が昼になるとできなくなるのです。天理教もそうです。人の病気を引きうけるほうの一番の親玉はキリストで、ともかく全人類の罪を贖うというわけですからね。

昭和二十三年九月二十八日 御講話(3) 光録(補)

 メシヤというのはヘブライ語ですからちょっと日本語には解し難い。意味は救世主、救い主ということです。キリスト教の人はキリストが救い主だと信じているが、本当は贖罪主であって救世主とはたいへん違うのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命をギセイにして初めて許された人ですが、救世主のほうは許されるのではなく許す方です。まあ時機の進むにつれて話しますよ。

昭和二十三年九月二十八日 御講話(8) 光録(補)

 イスラムはマホメット教のことでインドではイスラム教という。イスラエルのことで根本はキリスト教と一つです。アラーは最高神でキリスト教ならエホバ、日本では天之御中主大神になる。……神は土地によって神格を落とすことがあります。アラーはアラビア地方で称える名だが、あの辺は文化が低いから低い神格で救いをされたと言える。

昭和二十三年九月二十八日 御講話(10) 光録(補)

【 明主様 】これは天地ができたときの順序で、だいたい七が完成で、七は「ナリ」「ナル」です。殖えて発展することが八です。一は独一神でありそれが陰陽に別れる(二)そこへ子が生まれ(三)そして四方へ発展し(四)、火が燃え(五)、水ができ(六)それで完成(七)です。キリスト教は七でできたから日曜を安息としています。九は「つくし」と言って極点でありいまは九の世の中です。十で結び、十一で始まる。天の数歌は天地創造の順序を数で表わしたもので、これを唱えれば霊界で順序……活動力となる。つまり神の力徳が順序の言霊で力を発揮するのです。気持ちよくゆっくり上げたらよい。