昭和二十三年十一月二十八日(2) 御講話 光録01
【 明主様 】起って結構です。これはいままで世間で言われていたこととは反対です。……大森時代、私は人から悪口を言われると笑ったものです。大本のお筆先に「悪く言われてよくなる仕組み」とありますがうまく言ってますね。……いろいろな宗教がありますが初めからよく言われた宗教はありません。いまは世界的なキリスト教だって初めは十一人《ママ》しか弟子がなかったし、しかもキリストが死んで一〇年くらい経ってから心覚えを書いた、それがいまの『聖書』なんです。それからだんだんに広まってきたんです。釈迦だけは違うがあれはインドの皇太子だったからです。天理教の中山みきだって二十何回留置場に入れられ、四回検事局送りになったのです。ともかく最初は悪く言われるものです。もっともいまでも天理教を悪く言う人はありますが……
昭和二十三年十一月二十八日(4) 御講話 光録01
【 明主様 】神国思想はいけません。神国思想と私とはなんの関係もありません。……私のことは思った通りを人に話したらいいですよ。ここで大切なのは私の仕事を考えることです。例えばいままでは人間の寿命はどうにもできなかった。が、私はそれを延ばすことができるのです。だから問題はその事実なんですよ。いままでにも「キリストの再臨」なんて言うのがときどき世に出たが、本当の「事実」がない。三〇年ほど前にもインドに「サンダーシング」という三〇歳くらいの男が水の上を歩いて渡ったりしたので、キリストの再臨とまで称されたが若死にしてしまいました。しかし水の上を渡ったりしたって人間や社会にはなんの益もない。単なる興行師にすぎない。つまり、病気が治ったり、貧苦が解決したりなど実際の効果がなければ駄目です。私は言うのですが、釈迦やキリストも偉いが人の病気を治せなかった。キリスト自身は多少治したが、弟子にはその力がなかった。また釈迦の死についても本当は伝えられているのとは違うのです……
昭和二十三年十二月八日御講話(15) 光録02
神道では麻迩の玉、仏教では如意の宝珠というので玉とは魂のことで絶対力の意味です。これはいままで世に出たことがなかった。で、本当のことを言うとおかしいが、これは私のおなかの中に在るのです。だから私はいろんなことができるのです。人を治すということも、キリストはわずかに十二弟子にしかその力を授けられず、釈迦とても往来で急病にかかってなくなったのですが、これは自分の体すら治すだけの力がなかったからです。私はキリストと違って何万人でも「人を治し得る人」を作ることができる。この働きが麻迩の玉なのです。
昭和二十三年十二月十八日御講話(17) 光録02
こういうことは一宗の開祖をよくするために後世の人がつけ加えた拵え事でしょう。……キリストは偉い人には違いないが、力がなかった。しかしキリストの教えと予言はたいしたものです。もしキリストが出なかったら西洋はいまよりもずっと野蛮国だったでしょう。キリスト教が西洋文化の発展に寄与した力はたいしたものです。……同様に釈迦の教えである仏教により、東洋人がいかに大きな恩恵をうけたかは判らない。仏教の「諦め」により気持ちを安らかにし得たことはたいへんなものですね。
昭和二十三年十二月二十八日御講話(1) 光録02
〔 質問者 〕日本観音教と五六七教との関係、および仏教、キリスト教と対比した場合の名称についてお伺い申し上げます。
【 明主様 】ええ別派です。が、五六七も観音も元は一つです。キリスト教にだってカトリックもあればプロテスタントもある、これと同じです。観音様が縦なら五六七は横と思えばよい。結べば一つなんだから。もう少したったらまた分派ができるかもしれないし、またその先は一つになるかもしれません。名称だってそうですよ、時勢に応じていろいろに変わるんです。
昭和二十三年十二月二十八日御講話(7) 光録02
キリストの「人若し汝の右の頬を打たば左をも向けよ」との無抵抗主義に……
これはいいでしょう、これくらいの心持ちなら間違いはない。これがいいんだがなかなかできないんですよ。大本教祖の出口なお刀自は人が金を貸してくれと言えばすぐに貸してやる。先方が借金を返す人かどうかには頓着せず、また金を貸したことも忘れてしまう人でした。しかしこんなことは現実問題としては無理です。個人ならまだいいが、殊に国家の間では成り立たない。領土を半分とられて、「ではこっちも差し上げます」……というわけには行きませんから。だから、キリストが言ったような心持ちでいて、臨機応変にやって行けばよろしい。戦時中、滅私奉公ということがよく言われたが、これは・で、私を滅してしまってはオジャンです。滅するのではなくぎせいにするのならいいですが……
昭和二十三年十二月二十八日御講話(10) 光録02
孔子のため支那民族が弱くなったとは言えないでしょうね。孔子の道徳で支那は救われたんですよ。いまでも論語の影響はたいしたものです。日本でも西洋文化が入る前までは論語によってどれくらい裨益されたかは判りません。孔子は決して弱者ではない、強者ですよ。……思想の力は強いものです。その点から言えばマルクスも強いですね。共産主義を今日ほどに発展させたのだから。共産主義にだっていいところがあります。もしあれがなかったら資本家や地主はどれくらい人々を苦しめ悪いことをしたか判りません。ただ共産主義が天下をとっては困りますが、……四、五年前までは楠木正成や吉田松陰なんかはすばらしい正義だったのですが、いまではそれは戦犯で判るように悪なのです。だから正義や悪は時代によって違ってくるのです。従って時代によっても変わらない孔子やキリストの教えはたいしたものですね。
昭和二十三年二月十八日 御講話(2) 光録(補)
予言というものは外れるものですよ。キリスト教でも言ってますね。以前ある有名な牧師に世の終わりのことを訊ねたら、地上の人が全部死に、一〇〇〇年くらい経ってからまた生き返る。それが復活だとマジメな顔で言ってました。『聖書』に世の終わりには山々が噴火して川の水も熱湯となり大きな雹<ひよう>が降り、これに当たった人は死ぬとか、逃げるとき欲を出して家のほうをふり返って見た者は死ぬとか書いてあります。世の終わりとは夜の終わりのことですね。
昭和二十三年二月十八日 御講話(5) 光録(補)
神道では神さえ祀れば仏はどうでもよいとしているがこれはいけない。特にキリスト教は先祖を祀らないから不孝です。病人や死人がよけい出ます。山室軍平なんかはいい人でしたが不幸だったですね。実に哀れです。祖先を祀らないから祖先が怒るんです。西洋は霊界も東洋と違っており、また生きているときからそういうふうに教育されているからかまわないが、東洋の霊界は縦で層をなしています。西洋は横です。
昭和二十三年四月八日 御講話(2) 光録(補)
キリストもやはり月の系統です。彼の奇蹟は後世おおげさになったんでしょう。教祖に値打ちをつけるためにやったんですよ。日本にも弘法大師の石薯なんてありますね。弘法大師は病気を治す力がなかった。だから弘法灸を使ったんです。釈迦にもこの力はなかった。それで薬草喩品がある。観音様は薬師如来で薬を服めと説かれている。これは未だ夜の世界であり浄化させるよりも浄化停止のほうが手っ取り早かったからです。観音様は神の化身であり伊都能売大神ですがその上に主神がおられる。それは神道では天御中主大神、キリスト教では天の父、ユダヤではジュース、またメシヤ、支那では天帝、インドでは大自在天と言う。キリストは父の命で父の子として現われたと言うが、それはあの時代必要があって出たんです。私のは主神の力が伊都能売大神を経て、さらに私の体を通してみんなに行くんです。私は電灯会社であり、観音様は水力電気、大神様は水を出す源です。御守りは一つの霊線の中継ぎ、まア電球ですね。この電球は本社は同じですが、人によって百燭光にもなりまた十燭光にもなる、その人の働きしだいです。ふつうの人の霊力とはぜんぜん違う。御守りのない人がやるのはちょうど電灯のない所で手探りしてるようなものですよ。まア修行しても懐中電灯くらいですよ。