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第二の誕生【散花結実】

 そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄が出て来たのです。この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神憑りの事を言ったけれども、あれは京都の方の若い女性ですが、今度は熱海に居る若い女の人が、やはり霊憑りで、いろいろそういう事を言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますから今読ませます。

 これをみると、キリストキリストらしい、バイブルの書き方みたいな事を言われているので、面白いと思います。バイブルのいやにくどい所などがよく似ています。

 それで、今読んだ中に。″神ならぬ神″という事を言ってますが、これは非常に面白いと思います。実際今まで神といって拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから″神ならぬ神″というのは、うまく言いまわしたものです。そういうわけで、「聖夜」と言って、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとして苦しんでいるのです。

 私か作ろうと思っていたのですが、ところが私か作るという事は嘘なのです。私は歌うのではなくて、歌われる方なのですから・・・。だから讃えるという事が、自分が自分を讃えるような事になってしまうから、どうしても何か然るべき歌詞が欲しいなと思っていたのです。そうかと言って、適当に作れる人はないのです。ところがキリストが作ってくれたのですから、実に結構なのです。そこで私も一安心したわけです。この歌詞もなかなか良くできてます。簡単で実に讃える心持、気持がよく表れてます。ですからこれを採用するつもりです。

 非常に驚いて、″自分は今まで世界でのいろんな偉い人を見たり聞いたりした事は随分あったが、みんな、つまり一人対一人か、或いはただ教えというようなわけで、釈迦、キリスト以上という人の話は聞いた事がない。ところがキリストぐらいの奇蹟をやる弟子を多く作るという事は、おそらく見た事も聞いた事もない。そういう点において実に驚いた″というような事を言ってました。

御教え集栄光

『救世主は誰だ』

 翻って考うるに、救世主出現は単なる人類の理想と極める事も出来得まい。何となればキリストの再臨も、メシヤの降臨も、ミロク下生も、往昔の聖者が予言しているにおいておやである。故に、何時かは出現の可能性かおる事を信じない訳にはゆかないのである。

 ナザレの聖者キリストのいった「汝世界を得るとも、生命を失えば何の利かあらん」という有名な言葉によってみても明かである。この意味において、人類から病気を滅消し得る力のない宗教も、宗教家も、その価値は限定的のものしかないといえるであろう。私はこの理論を常に抱懐していたのである。しかるに、私か信仰生活に入って十数年を経た頃のある日、病気の根本原理と、その解決法とを知り得たのである。嗚呼、時その私の驚きと喜びは、何人も想像はなし得ないであろう。何となれば今日までの世界の人間のうち、これ程大きな発見をしたものは絶無であったからである。いかなる大発見も大発明も、この事に比較すれば問題にはならない。実に私というものは何たる不思議な運命を持って生れたものであろう。 

神示の健康

『何故救世教となったか』

 という訳で最高の神様は民族や国の差別などはなく、世界全人類を救わせ給う事になり、実に有難い時となったのである。ここにおいて適当な名称を冠せなくてはならない。とすれば救世の名こそ最も相応しいが、救世教では漢字である以上東洋的で面白くない。そこでメシヤの振仮名をつけたので、これによって東洋も、西洋も合わせて世界的という訳である。特にメシヤの言葉はキリストに相通じ、文化民族憧憬の名称においてをやでもある。

地上天国

メシヤの言霊について

 メシヤというのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救い主という事です。キリスト教の人はキリストが救い主だと信じているが、本当は贖罪主であって、救世主とは大変違うのです。万民の罪を贖った<あがなった>人、罪の代表になり生命を「犠牲」にして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく、許す方です。まあ時機の進むにつれて話しますよ。

御光話録

イエスはキリストか

 『・・・大祭司いう「汝はキリスト、神の子なるか」イエス答えていう「汝の言えるごとし、かつ我汝等に告ぐ、今より後汝ら人の子の、全能者の右に座し、天の雲に乗りて来るを見ん』

 「実はキリスト教信者にこの御仕事の御話を致しますと、例え信者でなくとも一度でも聖書をよく読んだ人ですと聖書の中にその・・・」

 偽キリストだっていうんでしょう?

 駄目です。疑いを解こうとしたって駄目ですよ。いくらあんたがね、一生懸命に言ったってね、分りませんよ。言えば言う程益々偽キリスト、巧妙極まる偽だと思うだけですね、えゝ。まあ時機が来なければ駄目ですね。ーーそれにね、若しあの時代に救世主が現れたとしても、あの頃は交通が不便だったし、人もまばらであったし、世を救おうとしても、到底全世界を救うなどという事は出来なかったでしょうし。

御光話録

メシヤだけの働きをすれば

 だから私なんかでも随分ぼかしてますが、本当にメシヤーキリストと言うと、世界中の人が寄って来て仕事が出来ない。『文明の創造』なんか書けない。だから、丁度良い様に神様がやっている。

御垂示録

救世主の力をもって再臨のキリストとしての事実を示す

 私は、今度の『医学革命の書』に書いてますが、″私は救世主とは言わないし、キリストの再臨とも言わない。これからの私の仕事の上において、価値があったら、それから信ずればいいだろう″と書いておきました。看板をあげたり、自分はこうだ、という事は今までに沢山出ているのです。それはみんな駄目になっていますから、そういう事では人が信じないのです。又信じないのが当たり前です。

 しかし事実救世主だけの力をもって、再臨のキリストだけのことを事実において示せば、これは信ずるよりありません。それで結構なのです。

 そうです。それから″キリストの様な奇蹟は、私の弟子でも出来るのだから、もう日本には数十万のキリストが生まれている″という事も書いてます。しかしこれもいずれは分りますから、結局時節です。 

御垂示録

私の仕事【神秘幽玄】

 私か筆で光という字を書くが、それを懐に入れるとキリストと同じような奇蹟ができるのだから、そうするとキリストの値打ちというものはどのくらいかという事が分ります。

 ですから本当言うと釈迦でもキリストでも、やっと私の小僧ぐらいなものです。しかしそう書くと先では疑かって、信用しなくなるから書かないようにしていますが、本当の事が分ったら大変です。第一熱海の地上天国は何万年も前から石とか地形とかを準備してあるのですから、そうしてみると私かする仕事は偉大なもので、想像もつかないものです。私自身がそう思っているのです。神秘幽玄なものです。

御垂示録

大本教との関係

 正義はどんな事をしても蹂躪(じゅうりん)されないから世界というのはいいのです。もし正義がちょっとでも勝たなければ、世界というものは崩壊してしまいます。大変なものです。だからキリストだって、正しいから自分の身が亡びてまでやっぱり世界を何するだけの力を現わしたのです。

 その力が世界的に広がっていけば良いのです。ですから観音というものはそれになるわけです。観音力というのは、丁度男と女、火と水、経と緯、それが一致したものです。そこで観音力といって、阿彌陀力とか、釈迦力とか、キリストカなんてありゃしないのです。

 また力というものは制限がないのです。無限のものです。だからこの頃キリストと同じ様な奇蹟を信者が行うが、そうすると、力という点では、キリストは私の弟子位しか無かったのです。

御垂示録