授かった愛と智慧を働かせて世の中を開発していく

 人間は神様の代行者<だいこうしゃ>として、神様の愛と神様の叡智<えいち>とを授<さず>かって、地上に天国を造るために生まれてきておるものであります。このことがわからねば人間として生まれてきた甲<か>斐がない次第であります。人生の真の目的がつかめていませんと、つまらないことに骨をおって、傘屋<かさや>の丁稚<でっち>ではありませんけれども、骨をおってつまらないものを拵<こしら>えてしまいます。そして、一生を棒<いっしょうぼう>にふって、また、再び出直しをしてこなければなりません。

 人間というものは人生において魂を向上<たましいこうじょう>させ、世界のためになるというこの進展的<しんてんてき>ご神業に対して、積極的に<せっきょくてき>働かねばなりません。これが消極的<しょうきょくてき>なことであっては、すべて悪といってもよいのであります。神様のことは全部積極的、楽天主義<らくてんしゅぎ>であるということが条件<じょうけん>なのでありまして、姑息退嬰<こそくたいえい>それ自体もう悪に属<ぞく>することであります。

 ですから、人間は神様からうけた愛と智慧とをできるだけ積極的に働かせて、この世を開発<かいはつ>していかなければならないものなのであります。