入信した後の聖地への参拝は、信者として欠<か>かせない大切なことであります。入信して「おひかり」を胸にかけたからといって、それだけで救われることはなかなか難<むず>かしいのであります。もちろん、熱心にお取次<とりつぎ>をして多くの人を光の道へお導きすることは、その人が救われるための立派な道ですが、しかし、なんといっても、私たちおよび先祖代々が、しらずしらずに積み重ねて来た罪けがれを洗<あら>い浄<きよ>め、病、貧、争より救っていただく第一番の門は、聖地参拝であります。
神様のお膝元<ひざもと>にてお光をいただき、神様とより強くつながらせていただくことによって、私たちは間違いなく救世教の一信徒となることができるのです。ご神徳は、その人が一生懸命になってこの神様のご意志に順<したが>い、努力されればされるだけ、相応<そうおう>の理<り>によって何程<なにほど>でもいただけるものなのです。ですから、おかげが少ないのは、その人が神様のご意志にはずれているか、または、やる気がないのかのいずれかです。
言葉を変えて申しますなら、聖地へのご参拝ということは、信者が一生懸命神様におすがりする努力のあらわれであり、姿であるとも申せましょう。それなればこそ、当然おかげもいただけるわけです。
聖地ご参拝をおろそかにしない気持の人で、救われない人はありません。