宗教篇 最後の審判 

 私はこれまで、現代医学の誤謬と、真の医学の在り方とを、微に入り細にわたって、徹底的にかいて来たので、大体分ったであろうが、しかしこれだけでは全部ではない。というのは今まで説いて来たものは、体的すなわち唯物面の方を主としたのであるから、いわば半分である。したがって残りの半分の面が、根本的に分らなければ、真の医学としての全部は分らないのである。

 もっとも今まで説いた中にも、霊の実在と霊の本質と、霊の作用影響等は、相当かいたつもりであるが、それは病気そのものについての直接的解説であって、これから説くところのものは人体の内面である霊に関する一切である。したがって宗教とは離れられない霊に関する以上、結局は宗教にまで発展し、神霊の本体にまで及ぶのである。

 しかしこの所説が最後に到って、宗教とはなるが、既成宗教のそれのごとき、信仰一点張りの独善的のものではない。言うまでもなく経文、聖書、御筆先のごとき、神秘幽幻な説き方ではない。あくまで論理的、実証的であって、むしろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人といえどもこれを精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。換言すれば今日まで何人も説き得なかったところの、高遠にして人間がふるる事を恐れていた、深い微妙なる謎の本体とも言うべきものであって、これを徹底的に開明するのである。というのは現在までの世界は宗教的、形而上的のほとんどは神秘の幕に閉され、その実体が明かにされなかったからで、それが為神というものの本質は分り得ない為、神の実在なども一部の人を除いては、信ずる者がほとんどなかったのである。その結果唯物科学が絶対的信仰の的となり、ついに真理ならざるものを真理と錯覚してしまい、物の正邪の区別さえ分らなくなり、せっかく苦心して成し遂げた人類の幸福に役立つところの、発見発明といえども邪神に利用され、本来の目的とは反対に不幸を生むべき道具にされてしまったのである。その結果病気の氾濫となり、経済的苦悩を生み、戦争の原因を作ったのであるから、こうみてくると、この苦難に充ちた世界人類を救おうとするには、何よりもまずおかしな言い方だが本当の真理を開明し、世界人類特に文化民族の智識人に、自覚させなければならないのである。これが真文明を生むべき根本要素であって、これ以外決してない事を私は断言するのである。この意味において、私はまず医学の誤謬から明白にすべく、真理の鏡に照して、鏡面に映るままの真実をかくのであるから、絶対誤りはないのであって、私としても別段医学に対し、怨恨などある訳はないが、人類救済の必要上、止む事を得ないのである。したがってよしんば私がこれを行わないとしても、誰かが神命によって行うのは当然である。というのは再三言う通り、時期の到来とともに、主神(エホバ)の神意の発動は、これ以上の延期は許されないからであり、最後の審判は目前に迫りつつあるからである。そこで神はまず第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、この事がまず私に命ぜられた使命である。というのはさきに述べたごとく人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。したがってこの問題をわからせる為には、今日の人間にかいし得らるべく、時代即応の説き方でなければならないのである。しかも前人未開の真理であってみれば、なおさらそうでなければならないので、これをもってみてもこの著は、有史以来の偉大なる文献であって、この大任を負わされた私としても、責任の重大なる、到底筆舌に表わす事は出来ないのである。

「文明の創造(未発表)」 昭和27年01月01日

文明の創造(未発表)