昭和二十九年四月一日御講話(15)

〔 質問者 〕子供のときから両性であり、男性のほうが非常に劣性であったので結婚して奥さんになっておりますが、最近男性のほうがだんだん大きくなり、困っております。

【 明主様 】それは困りますね。私にもちょっと分かりそうもないです。

 〔 質問者 〕現在のところでは夫婦生活にはたいして邪魔にならないそうですが、夫婦で心配しておりますので、

【 明主様 】それは信仰に入ってますか。

 〔 質問者 〕信者でございます。どういう因縁でございましょうか。

【 明主様 】無論前の世のことで、前の世の罪です。つまり「オチゴ」というのがありますが、そういう罪でしょう。あれは男のくせに女の役をするのだから、そうなるのでしょう。それが霊界で浄化されないうちに生まれ変わってくるのです。そういうわけです。それが信仰に入っているなら、そのままほうっておけば、最後に、どっちにすべきかというところで、罪が消えてきますから、その人としては一番よい。不仕合せがなくなってきて、仕合せになってくるわけです。いまどうこうということは考えないで、そのままにして推移を見ているということがよいでしょう。

 特に戦国時代にはそういうことが非常に激しかったのです。しかしいまでも、さかんというまではないが、そうとうあるようです。そういうのは、ひどいのは男でありながら女が絶対に嫌いなのです。女に側に寄られても気持ちが悪いのです。男でいて男が好きなのです。これはやっぱり前の世の関係です。それは女などで「女ぐらいつまらないものはない。この次の世には男に生まれ変わってきて、やりたいことをしたい」というのがよくあります。また中には、男でありながら(男のほうは少ないが)「女のほうが気楽でよい、だからこの次には女に生まれてきたい」という男もあります。そういう想念が強いと、そう生まれ変わってくるのです。ところが肉体のほうはそうではないから、そこで肉体と符合しない場合があるのです。男に生まれ変わってきても同性愛、女でも同性愛と、そういうことがあるのです。そして、そういうことは割合に数が多いようです。なにしろ事柄が事柄だけに、お互いにみんな秘密にしているから、それほどは知れてないようですが……。そういうのは男のほうでは「女くらい不潔なものはない」と言うし、また女の同性者のほうでは「男ぐらい下等なものはない、あんな獣みたいな」と言うわけです。

 〔 質問者 〕信者の長男(十三歳)。生まれながらにして睾丸が片方しかありませんでしたが、入信して浄霊をいただくようになってから、豆粒ぐらいのものができてきて、現在半分ぐらいになっております。

【 明主様 】それは大きくなります。ふつうになります。それはやっぱり前の世で、片方の睾丸がつぶれて死んだものです。あるいは爆発物で取れたとか、切られて死んだものが、治らないうちに生まれ変わってきたのです。しかし元々はあったものですから、そういうふうに回復してくるわけです。

「『御垂示録』三十号、19540415、19540401、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p85~86」 昭和29年04月01日